2008年10月12日
あなたは、教会で自分の信仰に劣等感を感じたことがないでしょうか。私は、「あの高額の所得を惜しみもせずに……」などと言われたことがありますが、実際には、神学校に入ったとき、感動的な献身の証しを聞きながら、「こんな不信仰な者が牧師になろうとして良いのか……」と深く悩んでいました。 “ルカ19章1〜27節「持っている者は、さらに与えられ……」” の続きを読む
2008年10月12日
あなたは、教会で自分の信仰に劣等感を感じたことがないでしょうか。私は、「あの高額の所得を惜しみもせずに……」などと言われたことがありますが、実際には、神学校に入ったとき、感動的な献身の証しを聞きながら、「こんな不信仰な者が牧師になろうとして良いのか……」と深く悩んでいました。 “ルカ19章1〜27節「持っている者は、さらに与えられ……」” の続きを読む
2008年9月24日
先週はエレミヤ書から、現実から遊離した理想や根拠のない楽観主義の危険を話しました。ただ、それが人生を悲観的に見ることにつながっては本末転倒です。今から百年ほど前のボーア戦争のとき、南アフリカのひとりの兵士が、「落胆させる罪」という罪名で起訴されたことがあるそうです。彼はある小さな町がイギリスの攻撃を受けていたとき、町を守る兵士たちの間に、あらゆる否定的な情報や不平不満を吹聴しました。彼はイギリス軍の強さばかりを一面的に語り、町が陥落するしかない理由をまくしたてて歩き、そのことばは、銃よりも強い武器となり、町を防衛する兵士たちの戦意を挫いてしまいました。否定的な言葉と落胆は、人を滅ぼす武器になります。しかし、肯定的な言葉と希望は、人を生かす武器になります(Durano Japan リビングライフ 9月号 p101、ただし事実関係の詳細は不明)。聖書の箴言には、真理を簡潔に言い表す言葉に満ちています。ただ、一見、脈絡のないと思われる表現が並び、互いに相矛盾すると思われる言葉もありますので、聖書全体から理解する必要があります。 “箴言10章〜11章「主の祝福の中を大胆に生きる」” の続きを読む
19世紀ドイツの哲学者 は、「人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続に他ならない……幸福な人生などというものは不可能である。 “エレミヤ7章〜9章「悟りを得て主 (ヤハウェ) を知るとは?」” の続きを読む
2008年9月14日
今から二百年近く前の米国でファニーという女の子が生まれましたが、ある感染症にかかったときの自称医者の誤った治療によって失明しました。母親はお金を貯めて五年後に有名な医者を尋ねますが、「かわいそうな女の子だね」とだけ言われ、すべての希望が失われました。 “ルカ18章31〜43節「主の道の真ん中を歩む」” の続きを読む
2008年8月31日
ヴィクトール・フランクルというユダヤ人の精神科医は、アウシュビッツ強制収容所で、寒さに凍えながら強制労働に駆り立てられながら、ふと、愛する妻の面影を思い浮かべ、空想の中で彼女と対話し、彼女の微笑を見ることができました。人はどんな悲惨の中でも、愛する人の精神的な像を想像して自らを満たすことができるのです。そのとたん、彼は、彼女の眼差しの中で、人間の存在の目的を、「愛による、そして、愛の中の被造物の救い」であると悟り、「あなたの心に私を印として置いてください……愛は死のように強いのですから」(雅歌8:8私訳) の意味が分かったとのことです。それは伴侶でなくても、父でも母でも、またその他の大切な方の面影でも同じでしょう。 “エレミヤ4章5節〜6章30節「これでは、どうして、わたしがあなたを赦せよう」” の続きを読む
2008年8月17日
オリンピックでは不思議に愛国心が刺激されます。そして、金メダルという結果がでると自分のことのように嬉しくなります。しかし、私たちは「結果」よりも「過程(プロセス)」を何よりも大切にする必要があります。 “エレミヤ1章1節〜4章4節「背信の子らよ。帰れ」” の続きを読む
2008年8月10日
イエスは山上の説教で、「だれもふたりの主人に仕えることはできません・・・あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」と言われました(マタイ6:24)。ところが、このイエスのみことばほど理解し難い、腹に落ちにくいことばはありません。 “ルカ18章15〜30節「富と力の中にある罠」” の続きを読む
2008年8月3日
私たちの社会では、自分で自分を律することが何よりも大切な徳とされます。確かにそれは大切なことですが、それはすべての宗教や道徳に共通する倫理基準に過ぎません。聖書の教えのユニークさはそれを超えたところにあるのではないでしょうか。主はイザヤを通して、最初から最後まで、偽善の礼拝者を非難していました。それはイエスがパリサイ人を非難したのと同じです。 “イザヤ63章7節〜66章24節「神による新しい創造と報復」” の続きを読む
2008年7月20日
世界の最初は、「やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた」(1:2)という不思議な状態でした。その上で、「神は仰せられた」と、おことばひとつで、「光」が創造されます。そして、神は、光と闇とを区別されました。そして、この世界の完成は、光に満ちた世界です。ですから、この世界に、「やみ」に支配されていると思えるときがあったとしても、それを私たちは、新しい恵みの世界が生み出される前触れと見ることができます。 “イザヤ59章14節〜63章6節「主 (ヤハウェ) の光に満ちた世界に向かって」” の続きを読む