ルカ23章32〜49節「十字架上で輝くイエスの愛」

2010年3月28日

ルカが描くイエスの十字架の場面は、何と美しいことでしょう。十字架刑という最もおぞましい刑罰が、そのみにくさの描写を最小限に抑えながら、イエスが死に至るまで隣人を愛し、神に信頼し続けた様子が描かれています。十字架は、救い主の悲劇ではなく、愛の勝利として描かれています。 “ルカ23章32〜49節「十字架上で輝くイエスの愛」” の続きを読む

ルカ23章13〜31節「あの人がどんな悪いことをしたというのか」

2010年2月28日

私たちは、「どうして、自分ばかりがこんな嫌な目にあわなければならないのか・・・」とつぶやきたくなることが多くあります。しかも、自分の労苦が報われる代わりに、不本意に担わされてしまった責任に対して、不当な非難を受けることがあります。それを警戒するからこそ、私たちは、互いに、責任を押し付けあう傾向があります。 “ルカ23章13〜31節「あの人がどんな悪いことをしたというのか」” の続きを読む

黙示録の要約「大バビロンの誘惑に耐える」

2010年2月14日

黙示録は聖書の中で最も誤解されやすい書物のひとつです。しかし、これは信仰者にとって不可欠な励ましの書です。22章10節に、「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである」と記されていますが、これは、たとえばダニエル書で、終わりの日の幻に関して、「あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ」(12:4、9) と記されているのと対照的です。またこの書は、英語では、Revelation(啓示)と呼ばれるように、これは隠されたことばではなく、信仰者すべてに特別に明らかにされた希望のことばです。 “黙示録の要約「大バビロンの誘惑に耐える」” の続きを読む

エゼキエル47章13節〜48章35節「主はここにおられる」

2010年2月7日

無教会の指導者、矢内原忠雄氏は1920年から37年まで東京大学で、国際連盟に転出した新渡戸稲造の後継者として植民政策の講座を担当、多くの研究業績をあげますが、その平和主義思想のゆえに大学を追われました。 “エゼキエル47章13節〜48章35節「主はここにおられる」” の続きを読む

ルカ22章63節〜23章12節「自分の都合によってイエスをさばく人々」

2010年1月31日

17世紀最高の科学者パスカルは、「あることが私の気に入ったり、気にさわったりする」というのは、何かの理由があるという以前に、「気にさわるからこそ、その理由が見つかるのだ」と言いました(パンセ276)。 “ルカ22章63節〜23章12節「自分の都合によってイエスをさばく人々」” の続きを読む

エゼキエル40章〜47章12節「生ける水の川が流れ出る」

2010年1月24日

エゼキエル40章以降をどう解釈するかは、今後の世界の歴史を見る上での鍵となります。ここには、世界中からイスラエルの民が集められ、エルサレムに理想的な神殿と礼拝が実現することが記されています。 “エゼキエル40章〜47章12節「生ける水の川が流れ出る」” の続きを読む

エゼキエル36章16節〜39章「神のみわざに心を開く幸い」

2010年1月17日

旧約聖書を初めて通読した頃、私はいつも自分の不信仰に悩んでいました。しかし、エゼキエル36章26節の、「わたしは、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける」というみことばに深く感動しました。 “エゼキエル36章16節〜39章「神のみわざに心を開く幸い」” の続きを読む

箴言16章〜17章「あなたのしようとすることを主(ヤハウェ)にゆだねよ」

2010年1月3日

あなたにとって「ゆだねる」とは何を意味するでしょうか。ある人にとっては、それは「あきらめる」こと、つまり、自分で努力するのをやめること、またある人にとっては、いろんなことを事前に考えるのを止めて、大胆な計画にでも身を任せるせることかもしれません。しかし、そのどちらにも問題があるのは明白ではないでしょうか。 “箴言16章〜17章「あなたのしようとすることを主(ヤハウェ)にゆだねよ」” の続きを読む

エゼキエル33章1節〜36章15節「目に見える救いの約束」

2009年12月27日

2006年のトリノ・オリンピックでも歌われたジョン・レノンの不朽の名曲、「イマジン」の初めでは、「想像してごらん。天国なんてないって・・・やってみたら簡単なことだよ。私たちの下に地獄もない。上には、空があるだけさ。想像してごらん。みんなが今日を生きているんだ」と歌われます。この歌詞は、天国を皮肉り、死後のさばきを否定するという反聖書的なものに見えます。しかし、ジョンがこのように歌ったのは、当時のキリスト教道徳が、天国への「夢」を説いてこの世への不満を沈黙させ、地獄への「脅し」で人々の自由を抑圧しているように思えたからです。 “エゼキエル33章1節〜36章15節「目に見える救いの約束」” の続きを読む

ローマ8章1〜17節「罪深い肉と同じような形で」

2009年12月20日

今年は有名女優の薬物依存が大きな話題となりました。依存症は「否認の病」と呼ばれます。依存症の人は、自分が自分を制御できないということを認めることができないからこそ、何度も同じ過ちを繰り返し、その度に自己嫌悪をつのらせ、「今度こそ」という泥沼にはまって行きます。 “ローマ8章1〜17節「罪深い肉と同じような形で」” の続きを読む