マルコ10章1〜12節「戒律ではなく、対話の中に生きる」

2012年4月29日

シェークスピアの名作「ロミオとジュリエット」の最初の場面で、ジュリエットはロミオに聞かれているとも知らずに、「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの・・」と問いかけながら、ロミオがモンタギュー家を捨てるなら、私もキャピュレット家を捨てるという趣旨のことを言ってしまいます。両家は激しい敵対関係にあったからです。しかし、ふたりが死によってひとつとなった時に、両家の和解が導かれました。 “マルコ10章1〜12節「戒律ではなく、対話の中に生きる」” の続きを読む

エステル1章1節〜2章18節「神の摂理の御手の中で」

2012年4月22日

私たちの人生に中には、「何でこんなことになるのか……」と、泣きたくなるようなことが起きます。しかし、それはしばしば、振り返って見ると、神が示してくださった方向転換のときとなってはいないでしょうか。 “エステル1章1節〜2章18節「神の摂理の御手の中で」” の続きを読む

マルコ15章40節〜16章8節「空の墓から生まれる希望」

2012年4月8日

イエスの復活の記事は四つの福音書すべてにおいて、極めて生き生きと描かれています。私は最初その記述の違いに驚き、とまどいました。歴史的事実の記録なら、もっと記述に共通性があっても良いと思われたからです。しかし、記録の細かな違いに整合性をつけようとした形跡が見られないということ自体が、これら四つの福音書が、目撃者の記録をそのまま残しているということの証拠とも言えるということがわかって心が落ち着きました。 “マルコ15章40節〜16章8節「空の墓から生まれる希望」” の続きを読む

「ユダヤ人の王としての十字架」

2012年4月6日

私たちは誰しも、平穏な毎日を過ごしたいと願います。それが人情でしょう。しかし、一年前の東日本大震災のように、良い人にも悪い人にも突如、襲ってくる災難があります。そのような中で、苦しみを自分のせいでも、また人のせいでもなく、神の御手の中にあるものと受け止められる人は幸いです。 “「ユダヤ人の王としての十字架」” の続きを読む

マルコ15章1〜39節「世界の王としての十字架」

2012年4月1日

当教会での礼拝が始まったころ、世はバブルの全盛期でした。私は時代に逆らうように、この受難節の時期、来る日も来る日も、イエスの十字架の御苦しみに思いを馳せるというメッセージをし続けました。そこに私たちの癒しがあると信じていたからです(ただ、時代に逆らいすぎると、話は通じない、という現実も悟りましたが・・・)。そこではとにかく、「イエスの十字架を、罪の消しゴムのように軽く見てはならない・・」と、「重・・・く」語り続けました。それは当然、大切な真理です。 “マルコ15章1〜39節「世界の王としての十字架」” の続きを読む

箴言22章1節〜23章11節「主をおのれの喜びとせよ」

2012年3月25日

多くの信仰者の愛唱歌に、「キリストには代えられません」(I’d rather have Jesus than silver or gold) という名曲があります。ただその内容を吟味して歌わないと、富や名誉をさげすむ禁欲的な生き方こそが、信仰者の歩むべき道であると誤解されることになります。 “箴言22章1節〜23章11節「主をおのれの喜びとせよ」” の続きを読む

マルコ9章30〜50節「神の国を今から生きる」

2012年3月18日

多くのクリスチャンの心の中に、「イエス様を信じて、良い人間になって、天国に入れてもらおう・・」という思いがあるかもしれません。しかし、そこでの天国とは、しばしば「極楽」の言い換えに過ぎないのではないでしょうか・・・ “マルコ9章30〜50節「神の国を今から生きる」” の続きを読む

ネヘミヤ13章4〜31節「人の心の限界を超える神の救い」

2012年3月11日

昨年の東日本大震災以来、日本では絆という言葉に代表されるような糸偏のことばが好まれています。日本は、団結力によって難局を乗り切るなどという国民意識の高揚も見られます。そのような中で、ふと、そこに息苦しさを感じる人もいます。なぜなら、はずれた見方をする人は排除されがちだからです。そして、人間関係を何よりも大切にする意識こそが、原発の安全神話を作り、想定外の危機への対処を怠るという構造を作ってきたと思われるからです。 “ネヘミヤ13章4〜31節「人の心の限界を超える神の救い」” の続きを読む

マルコ9章14〜29節「信じます。不信仰な私をお助けください

2012年3月4日

人は誰しも、毎日を楽しく、気力にあふれて目の前の課題に取り組みながら、「生きていて良かった!」という感動を味わいたいと思っているのではないでしょうか。書店に行くと、そのように生きることができるため様々な方法(How to)を書いた本が平積みにされています。しかし、すべてがHow toで解決できるなら、神を求める必要などなくなってしまうことでしょう。 “マルコ9章14〜29節「信じます。不信仰な私をお助けください” の続きを読む