クリスチャンとして生きることを決めたからには、自分の信仰の成長を願うのは当然のことです。しかし、私の場合はどうも、「信仰の成長」などと言われると、信仰の世界にそれを測る何らかの人間的な尺度が持ち込まれるようで、抵抗感を覚えてきました。 “Ⅰテサロニケ2章13節〜3章13節「信仰の成長とは?」” の続きを読む
イザヤ52章3〜10節「あなたの神が王となる」
世の多くの人々は、家内安全、商売繁盛や災いを退ける厄払いを願って神社に参拝します。そのような中で、「イエスを救い主と信じることによって、今ここで、何が変わるのですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょう。 “イザヤ52章3〜10節「あなたの神が王となる」” の続きを読む
ミカ3章〜4章「主の御計らいを知る幸い」
映画「おしん」が始まりますが、昔の東北農家の貧しさは想像を絶しました。しかし皮肉にも、第二次大戦の悲劇が小作制度を変える契機になりました。 “ミカ3章〜4章「主の御計らいを知る幸い」” の続きを読む
ミカ1章〜2章 「この世の権力者たちへのさばき」
伊勢神宮の式年遷宮のことが大きな話題になっていました。天皇家は天照大御神の子孫が天から地に下ったことに始まると言われます。そして、天照大御神の臨在のしるしが八咫鏡(やたのかがみ)で、そのご神体を20年ごとに移すのが遷宮です。 “ミカ1章〜2章 「この世の権力者たちへのさばき」” の続きを読む
Iテサロニケ1章1節〜2章12節「生き方を通して伝わる福音」
私たちの教会では、聖書を誤りのない神のことばであると信じ、告白しています。神のみことばには私たちの生き方を変える力があります。ただし、みことばは、決して、この世の成功者の座右の銘のようなものではありませんし、格言のような情報でもありません。 “Iテサロニケ1章1節〜2章12節「生き方を通して伝わる福音」” の続きを読む
箴言27章23節〜28章27節「主 (ヤハウェ) に拠り頼む人は豊かになる」
パスカルはパンセの中で、「すべての人は、幸福になることを捜し求めている。それには例外がない・・ある人が戦争に行き、他の人たちが行かないのは同じ願いからである・・・人間の中にはかつて真の幸福が存在し、今ではその全く空虚なしるしと痕跡しか残っていない…この無限の深淵は、無限で不変な存在、すなわち神ご自身によってしか満たされ得ない」と語っていますが、それこそ、私たちの原点と言えましょう。 “箴言27章23節〜28章27節「主 (ヤハウェ) に拠り頼む人は豊かになる」” の続きを読む
箴言26章〜27章「愚かな者?の間で生きる知恵」
「人を見たら泥棒と思え」ということわざがある一方で、「渡る世間に鬼はなし」ということばもあります。世の中には信じられる人もいれば、信じられない人もいます。 “箴言26章〜27章「愚かな者?の間で生きる知恵」” の続きを読む
ヨナ2章〜4章「あなたは当然のことのように怒るのか」
私たちの視野は非常に狭いばかりか、その思い込みが強化されることがあります。 “ヨナ2章〜4章「あなたは当然のことのように怒るのか」” の続きを読む
ヨナ1章〜2章「主の御顔を避けることの愚かさ」
僕の郷里の近くから育った一学年上の歌手、藤圭子さんが痛ましい死を遂げました。「十五、十六、十七と私の人生暗かった・・・一から十までバカでした、バカにゃ未練はないけれど・・・夢は夜開く」という人生を投げ出したような歌詞が、心に焼き付いています。演歌というより怨歌と呼ばれた歌い方には、人生の不条理に対する彼女の怒りが込められていたのかもしれません。中学時代は勉強が好きで評判になるほど成績が良かったのに、流しの旅芸人のような親に振りまわされて進学をあきらめ、歌がヒットしてもお金は父親の博打に消えて行きます。 “ヨナ1章〜2章「主の御顔を避けることの愚かさ」” の続きを読む
ピレモン「あなたの信仰の交わりが生きて働くものになりますように」
聖書が描く歴史のゴールは「平和(シャローム)」の完成です。「平安」と訳されている言葉は、多くの場合「平和」と訳した方が良いとも言われます。そして、「平和」とは、人間の罪を真正面から見据えながら、しかも、それを赦すことから生まれます。 “ピレモン「あなたの信仰の交わりが生きて働くものになりますように」” の続きを読む