クリスチャン生活の核心とは、いつでもどこでも、三位一体の神との交わりの中に生きることです。ただ、もっと具体的に、日々の歩み方において、神を知らない人々とどのような違いが生まれるべきかに関して、本日の箇所は三つの観点からわかりやすく解き明かされます。それは、性道徳、お金、死生観です。 “Ⅰテサロニケ4章「主イエスが命じた歩み方」” の続きを読む
ミカ6章9節〜7章20節「主はいつくしみ(ヘセド)を喜ばれる」
ミカの時代と現代とは似ています。見せかけの経済的な繁栄の中で、人の価値がどれだけの富を獲得できたかで計られるようになりがちだからです。そして、より多く稼いだ者は、より多くささげることができ、神に貢献できるかのように誤解されます。 “ミカ6章9節〜7章20節「主はいつくしみ(ヘセド)を喜ばれる」” の続きを読む
ミカ5章〜6章「平和への救い主とともに歩む」
2013年11月3日
ミカ書5章はキリスト預言として有名です。ただ多くの人が見過ごしていることに、その救いが、「彼は、私たちをアッシリヤから救う」と描かれていることがあります。アッシリヤとは、横暴な支配者の代名詞です。それはイエスの時代はローマ帝国でした。また第二次大戦下の日本では軍閥でした。あなたの身近なところにも、横暴な人間がいるかもしれません。 “ミカ5章〜6章「平和への救い主とともに歩む」” の続きを読む
Ⅰテサロニケ2章13節〜3章13節「信仰の成長とは?」
クリスチャンとして生きることを決めたからには、自分の信仰の成長を願うのは当然のことです。しかし、私の場合はどうも、「信仰の成長」などと言われると、信仰の世界にそれを測る何らかの人間的な尺度が持ち込まれるようで、抵抗感を覚えてきました。 “Ⅰテサロニケ2章13節〜3章13節「信仰の成長とは?」” の続きを読む
イザヤ52章3〜10節「あなたの神が王となる」
世の多くの人々は、家内安全、商売繁盛や災いを退ける厄払いを願って神社に参拝します。そのような中で、「イエスを救い主と信じることによって、今ここで、何が変わるのですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょう。 “イザヤ52章3〜10節「あなたの神が王となる」” の続きを読む
ミカ3章〜4章「主の御計らいを知る幸い」
映画「おしん」が始まりますが、昔の東北農家の貧しさは想像を絶しました。しかし皮肉にも、第二次大戦の悲劇が小作制度を変える契機になりました。 “ミカ3章〜4章「主の御計らいを知る幸い」” の続きを読む
ミカ1章〜2章 「この世の権力者たちへのさばき」
伊勢神宮の式年遷宮のことが大きな話題になっていました。天皇家は天照大御神の子孫が天から地に下ったことに始まると言われます。そして、天照大御神の臨在のしるしが八咫鏡(やたのかがみ)で、そのご神体を20年ごとに移すのが遷宮です。 “ミカ1章〜2章 「この世の権力者たちへのさばき」” の続きを読む
Iテサロニケ1章1節〜2章12節「生き方を通して伝わる福音」
私たちの教会では、聖書を誤りのない神のことばであると信じ、告白しています。神のみことばには私たちの生き方を変える力があります。ただし、みことばは、決して、この世の成功者の座右の銘のようなものではありませんし、格言のような情報でもありません。 “Iテサロニケ1章1節〜2章12節「生き方を通して伝わる福音」” の続きを読む
箴言27章23節〜28章27節「主 (ヤハウェ) に拠り頼む人は豊かになる」
パスカルはパンセの中で、「すべての人は、幸福になることを捜し求めている。それには例外がない・・ある人が戦争に行き、他の人たちが行かないのは同じ願いからである・・・人間の中にはかつて真の幸福が存在し、今ではその全く空虚なしるしと痕跡しか残っていない…この無限の深淵は、無限で不変な存在、すなわち神ご自身によってしか満たされ得ない」と語っていますが、それこそ、私たちの原点と言えましょう。 “箴言27章23節〜28章27節「主 (ヤハウェ) に拠り頼む人は豊かになる」” の続きを読む
箴言26章〜27章「愚かな者?の間で生きる知恵」
「人を見たら泥棒と思え」ということわざがある一方で、「渡る世間に鬼はなし」ということばもあります。世の中には信じられる人もいれば、信じられない人もいます。 “箴言26章〜27章「愚かな者?の間で生きる知恵」” の続きを読む