私たちの信仰生活の神秘は何よりも聖霊のみわざにあります。初代教会の時代、アポロという雄弁な伝道者がいましたが、彼のことが、「イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」と描かれ、それに対し、パウロのから教えを受けていたプリスキラとアクラが、「彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した」と描かれています(使徒18:24-26)。 “ヨハネ1章19〜34節「聖霊を授けられて生かされる」” の続きを読む
ハガイ「あなたがたの現状をよく考えよ」
2014年3月2日
私たちの人生では、すばらしい喜びの後に、倦怠感に襲われることがあります。イスラエルの民は紀元前538年にバビロン捕囚の地からエルサレムに戻ってくることができました。 “ハガイ「あなたがたの現状をよく考えよ」” の続きを読む
Ⅱテサロニケ2章9節〜3章18節「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい」
今も昔も、「この世の終わりが近づいた」という教えを信じると、目の前の仕事がバカらしくなるのでは、という誤解があります。それに対しルターは、「たとい明日、世界が消えると分かっていたとしても、それでも今日、私はリンゴの木を植えよう」と言ったと伝えられています(出典不明)。 “Ⅱテサロニケ2章9節〜3章18節「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい」” の続きを読む
詩篇62篇「ただ神に向かって、私のたましいよ、沈黙せよ」
多くの信仰者にとっての落とし穴とは、主ご自身を仰ぎ見ることよりも、自分の「生き方」に目が向ってしまうことではないでしょうか。また、キリストご自身以前に、他の信仰者の成功例に習いたいという誘惑もあります。多くの人々から尊敬されている神学舎で、カウンセラーでもあるラリー・クラブは自分の失敗談を次のように語っていました。 “詩篇62篇「ただ神に向かって、私のたましいよ、沈黙せよ」” の続きを読む
ゼパニア2章4節〜3章20節「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ……」
マザー・テレサが書いた「からっぽ」という詩があります。 “ゼパニア2章4節〜3章20節「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ……」” の続きを読む
ゼパニヤ1章1節〜2章3節「主を尋ね求めない者たちへの主の怒り」
私たちはみな、自分が無視されることに腹を立てます。しばしば、多くの妻たちは、経済的な不安以前に、夫の目が自分に向けられていないことに心を痛めています。実は、私たちの創造主も、何よりも私たちの心が主に向けられていないことに悲しみと怒りを覚えておられるのです。 “ゼパニヤ1章1節〜2章3節「主を尋ね求めない者たちへの主の怒り」” の続きを読む
Ⅱテサロニケ1章1節〜2章14節「神の国にふさわしい者とされるため」
日本の政治の右傾化の問題が議論されています。確かに私たちは政治に目を見張る必要があります。しかし、この世の政治がどれほど私たちの理想に近づいたとしても、信仰者はどこかで必ず、この世の権威と衝突するということをも忘れてはなりません。 “Ⅱテサロニケ1章1節〜2章14節「神の国にふさわしい者とされるため」” の続きを読む
ハバクク2章〜3章「悲惨のただ中に生まれる喜び」
2014年1月5日
私たちは互いに、「今年は(も)、良い年でありますように……」と互いの祝福を祈り合います。しかし、はっきりしていることは、わざわいのない年はだれにもありえないということです。必ず何らかの「まさか」に出会います。 “ハバクク2章〜3章「悲惨のただ中に生まれる喜び」” の続きを読む
詩篇19篇「天は神の栄光を語る」
この詩篇の美しさは比類ないものです。何かの説明を加えること自体が、かえって聖霊の語りかけを減じるようにさえ思われます。ここには言葉にならない神の語りかけと、人のことばを用いた神のかたりかけの二つが記され、私たちの「こころ」を創造主に向けさせてくれます。 “詩篇19篇「天は神の栄光を語る」” の続きを読む
ハバクク1章1節〜2章5節「神の真実に応答する者は生きる」
2013年12月29日
新約聖書の教えの核心に、「義人は信仰によって生きる」というみことばがありますが。それはハバクク書2章4節からの引用で、新約では教理の核心と呼ばれる三つの箇所で引用されます。 “ハバクク1章1節〜2章5節「神の真実に応答する者は生きる」” の続きを読む