私たちはこのままでイエスと同じ立場の神の子どもとされています。それは王子や王女であるよりもはるかにすごいことです。ところが私たちの心からは古い奴隷根性が抜けません。奴隷は脅しの力で動かされます。 “Ⅰテサロニケ5章1〜28節「神があなたがたに望んでおられること」” の続きを読む
ナホム2章〜3章「見よ。わたしはあなたに立ち向かう」
今、日本では、与党の絶対多数を背景にした強引な採決手法が批判されています。それは当然、反省が促されるべきことですが、同時に、「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」という永遠の真理を忘れてはなりません。 “ナホム2章〜3章「見よ。わたしはあなたに立ち向かう」” の続きを読む
ナホム1章〜2章2節「敵を用いて謙遜にし、その後に敵をさばく神」
日本では昔から、大岡越前(再放送中)だとか水戸黄門などが根強い人気を博しています。これは意外に、若い主婦の間でも人気だということに驚きました。私たちの周りにはいつも自分の力を誇って、人を振り回す人が耐えません。そのような強い人に、ひどい目に合わされることもあります。しかし、私たちはそれを通して、主に祈ることを覚えるとも言えます。 “ナホム1章〜2章2節「敵を用いて謙遜にし、その後に敵をさばく神」” の続きを読む
Ⅰテサロニケ4章「主イエスが命じた歩み方」
クリスチャン生活の核心とは、いつでもどこでも、三位一体の神との交わりの中に生きることです。ただ、もっと具体的に、日々の歩み方において、神を知らない人々とどのような違いが生まれるべきかに関して、本日の箇所は三つの観点からわかりやすく解き明かされます。それは、性道徳、お金、死生観です。 “Ⅰテサロニケ4章「主イエスが命じた歩み方」” の続きを読む
ミカ6章9節〜7章20節「主はいつくしみ(ヘセド)を喜ばれる」
ミカの時代と現代とは似ています。見せかけの経済的な繁栄の中で、人の価値がどれだけの富を獲得できたかで計られるようになりがちだからです。そして、より多く稼いだ者は、より多くささげることができ、神に貢献できるかのように誤解されます。 “ミカ6章9節〜7章20節「主はいつくしみ(ヘセド)を喜ばれる」” の続きを読む
ミカ5章〜6章「平和への救い主とともに歩む」
2013年11月3日
ミカ書5章はキリスト預言として有名です。ただ多くの人が見過ごしていることに、その救いが、「彼は、私たちをアッシリヤから救う」と描かれていることがあります。アッシリヤとは、横暴な支配者の代名詞です。それはイエスの時代はローマ帝国でした。また第二次大戦下の日本では軍閥でした。あなたの身近なところにも、横暴な人間がいるかもしれません。 “ミカ5章〜6章「平和への救い主とともに歩む」” の続きを読む
Ⅰテサロニケ2章13節〜3章13節「信仰の成長とは?」
クリスチャンとして生きることを決めたからには、自分の信仰の成長を願うのは当然のことです。しかし、私の場合はどうも、「信仰の成長」などと言われると、信仰の世界にそれを測る何らかの人間的な尺度が持ち込まれるようで、抵抗感を覚えてきました。 “Ⅰテサロニケ2章13節〜3章13節「信仰の成長とは?」” の続きを読む
イザヤ52章3〜10節「あなたの神が王となる」
世の多くの人々は、家内安全、商売繁盛や災いを退ける厄払いを願って神社に参拝します。そのような中で、「イエスを救い主と信じることによって、今ここで、何が変わるのですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょう。 “イザヤ52章3〜10節「あなたの神が王となる」” の続きを読む
ミカ3章〜4章「主の御計らいを知る幸い」
映画「おしん」が始まりますが、昔の東北農家の貧しさは想像を絶しました。しかし皮肉にも、第二次大戦の悲劇が小作制度を変える契機になりました。 “ミカ3章〜4章「主の御計らいを知る幸い」” の続きを読む
ミカ1章〜2章 「この世の権力者たちへのさばき」
伊勢神宮の式年遷宮のことが大きな話題になっていました。天皇家は天照大御神の子孫が天から地に下ったことに始まると言われます。そして、天照大御神の臨在のしるしが八咫鏡(やたのかがみ)で、そのご神体を20年ごとに移すのが遷宮です。 “ミカ1章〜2章 「この世の権力者たちへのさばき」” の続きを読む