日本人とドイツ人には「秩序を守る」ということに長けていると言われます。ドイツ語では、「大丈夫」ということを「イン・オードゥヌング(秩序の中にある)」と言います。日本人も大震災や消費税引き上げの中での秩序だった行動が諸外国から評価されています。 “ゼカリヤ6章〜8章「だから、真実と平和を愛せよ」” の続きを読む
ヨハネ1章35〜51節「イエスの公生涯の初めの七日間」
ヨハネの福音書も創世記も、「初めに」ということばから始まり、七日間のことが描かれています。創世記の七日目は、神の喜びに満ちた安息の日でした。そして、ヨハネ福音書における七日目は、カナの婚礼で、水がぶどう酒に変えられた喜びの日でした。 “ヨハネ1章35〜51節「イエスの公生涯の初めの七日間」” の続きを読む
ゼカリヤ3章〜5章「奇跡の人として生かされる」
わざわい会っている方のことを、「あの人は、何か隠された罪のゆえに、サタンの攻撃を受けているのでは・・・」などと、傷口に塩を塗るような評価をする人がいるかもしれません。しかし、そのような人は、ヨブ記によるとサタンの味方になっているのかもしれません。 “ゼカリヤ3章〜5章「奇跡の人として生かされる」” の続きを読む
ゼカリヤ1章〜2章「神の瞳へのさばきといやし」
世界の歴史に対するユダヤ人の影響力には驚くべきものがあります。ユダヤ人は世界人口のたった0.2%を占めるに過ぎないのに、全ノーベル賞受賞者の少なくとも2割、経済学賞に至っては4割がユダヤ人だと言われます。その秘訣を巡っていろんなことが言われますが、ユダヤ人は何よりも旧約聖書に親しむ民であるということは誰も否定できない事実です。 “ゼカリヤ1章〜2章「神の瞳へのさばきといやし」” の続きを読む
ヨハネ1章19〜34節「聖霊を授けられて生かされる」
私たちの信仰生活の神秘は何よりも聖霊のみわざにあります。初代教会の時代、アポロという雄弁な伝道者がいましたが、彼のことが、「イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」と描かれ、それに対し、パウロのから教えを受けていたプリスキラとアクラが、「彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した」と描かれています(使徒18:24-26)。 “ヨハネ1章19〜34節「聖霊を授けられて生かされる」” の続きを読む
ハガイ「あなたがたの現状をよく考えよ」
2014年3月2日
私たちの人生では、すばらしい喜びの後に、倦怠感に襲われることがあります。イスラエルの民は紀元前538年にバビロン捕囚の地からエルサレムに戻ってくることができました。 “ハガイ「あなたがたの現状をよく考えよ」” の続きを読む
Ⅱテサロニケ2章9節〜3章18節「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい」
今も昔も、「この世の終わりが近づいた」という教えを信じると、目の前の仕事がバカらしくなるのでは、という誤解があります。それに対しルターは、「たとい明日、世界が消えると分かっていたとしても、それでも今日、私はリンゴの木を植えよう」と言ったと伝えられています(出典不明)。 “Ⅱテサロニケ2章9節〜3章18節「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい」” の続きを読む
詩篇62篇「ただ神に向かって、私のたましいよ、沈黙せよ」
多くの信仰者にとっての落とし穴とは、主ご自身を仰ぎ見ることよりも、自分の「生き方」に目が向ってしまうことではないでしょうか。また、キリストご自身以前に、他の信仰者の成功例に習いたいという誘惑もあります。多くの人々から尊敬されている神学舎で、カウンセラーでもあるラリー・クラブは自分の失敗談を次のように語っていました。 “詩篇62篇「ただ神に向かって、私のたましいよ、沈黙せよ」” の続きを読む
ゼパニア2章4節〜3章20節「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ……」
マザー・テレサが書いた「からっぽ」という詩があります。 “ゼパニア2章4節〜3章20節「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ……」” の続きを読む
ゼパニヤ1章1節〜2章3節「主を尋ね求めない者たちへの主の怒り」
私たちはみな、自分が無視されることに腹を立てます。しばしば、多くの妻たちは、経済的な不安以前に、夫の目が自分に向けられていないことに心を痛めています。実は、私たちの創造主も、何よりも私たちの心が主に向けられていないことに悲しみと怒りを覚えておられるのです。 “ゼパニヤ1章1節〜2章3節「主を尋ね求めない者たちへの主の怒り」” の続きを読む