ヨハネ3章22〜36節「天からのことばと地のことば」

2014年8月24日

1947年にベドウィンの羊飼いの少年が、死海のほとりの洞窟で、紀元68年にローマ軍によって滅ぼされたクムラン教団が残した貴重な文書を発見しました。そこにはその教団の生活を思い起こさせる様々な文書と共に、旧約聖書の巻物が発見されました。それによって、現代に受け継がれている聖書が二千年前の記録とほぼ完全に一致しているということが明らかになりました。

そこで何よりも興味深いのは、そのクムラン教団が聖書に徹底的に忠実であろうとしながら、当時のエルサレム神殿の権威を認めず、厳しい荒野の中での禁欲生活をしていたことです。

しばしば、バプテスマのヨハネをクムラン教団やエッセネ派と結びつける学者がいますが、根本的に違うのは、イエスを救い主(キリスト)と認めたか否かです。ルカの福音書によると、ヨハネはその父ザカリヤがエルサレム神殿の至聖所に入って香をたいていた時に、その誕生が告げられました。

その点からするとヨハネはまさに「エルサレム神殿の子」と呼ばれるにふさわしい宗教指導者でしたが、宣教活動を神殿から遠く離れたヨルダン川近辺の荒野で行い、厳しく罪の悔い改めを迫り、神殿を無視するようにバプテスマを授け、禁欲的な生活を指導しました。

イエスはヨハネからバプテスマを授けられることで公の生涯を始めました。人間的に見ればイエスは当時のユダヤ人にとっては、ど田舎の大工のせがれであり、ヨハネが彼を救い主として認めなければ、人々の注目を集めることはなかったかもしれません

また、神殿でのいけにえなしに罪の赦しを宣言したヨハネの活動がなければ、誰もイエスが神殿の権威を否定するような宮清めの乱暴な働きに理解を示すことはできなかったことでしょう。

当時の時代背景を知れば知るほど、イエスの働きの前にヨハネが人々の注目を集めていることの必要がわかります。まさに、ヨハネなしにイエスの働きはありえませんでした。しかし、人間的に見るとこのふたりはあらゆる面で対照的でした。ヨハネの弟子たちが容易に、自分の指導者のことばに従ってイエスを信じられなかったのも納得できるほどです。

1.「私はキリストではなく、その前に遣わされた者である」

3章22節に「その後」とありますが、これはイエスと弟子たちが、エルサレムを離れ、ユダヤの地方のどこかに行って、そこに滞在したことを示します。

そして、「イエスは弟子たちと・・・バプテスマを授けておられた」とありますが、4章2節には、実際にバプテスマを授けていたのは、イエスではなく弟子たちであったと記されています。もちろん、これはイエスが弟子たちに委任したものですから、イエスご自身によるバプテスマと同じ意味をお持ちます。

そして、ここでは続けて、「一方ヨハネもサリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が多かったからである。人々は次々にやって来て、バプテスマを受けていた」(23節)と描かれます。この場所がどこかについてはよくわかりません。

なお、ここに追加説明として、「ヨハネは、まだ投獄されていなかったからである」(24節)と記されています。これは、ヨハネが間もなく、人々を悔い改めに導いてバプテスマを授けるという働きができなくなることを示しています。なお、ヨハネは自分の働きを「水でバプテスマを授ける」(1:26)と言いつつ、イエスに関しては、「その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である」(1:33)と語っていました。

ところで、ヨハネと弟子たちとの会話のきっかけが、「ヨハネの弟子たちが、あるユダヤ人ときよめについて論議した」(25節)と記されます。

「きよめ」の代表例は、たとえば、ツァラアトに犯された方が、患部がいやされた場合、祭司に確認してもらって、「自分の衣服を洗い、その毛をみなそり落とし、水を浴びる。その者はきよい。そうして後、彼は宿営に入ることができる。しかし、七日間は自分の天幕の外にとどまる・・八日目に彼は、傷のない雄の子羊二頭と・・・を持ってくる」とありました(レビ14:3-10)。

ですから、ヨハネのバプテスマは、当時の宗教指導者には、水を浴びるだけできよめが完了するかのように宣言していると見えたことでしょう。これは神殿でのいけにえの必要性を否定することですから、当時の祭司長や律法学者が疑問に思ったことは当然です。

しかも、ヨハネの弟子たちにとって問題に思えたのは、ヨハネからバプテスマを受けたはずのイエスご自身とその弟子たちが、より多くの人々にバプテスマを授けているということで、それが当時の宗教界の大きな問題になっていたのだと思われます。

ヨハネの弟子たちは彼のところに来て、「先生。見てください。ヨルダンの向こう岸であなたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方が、バプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほうへ行きます」(26節)と記されています。

ここでは、「あなた」という代名詞が強調されていて、イエスのもとに人々が集まるのはヨハネの貢献によるのに、イエスはヨハネに対して恩知らずな行動をとっていると言いたかったのだと思われます。

それに対してヨハネは極めて冷静に、まず、「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。あなたがたこそ、『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である』と私が言ったことの証人です」(27,28節)と答えます。

ここで、「天から」と言われるのは、神の御名をみだりに使うことがないようにという配慮からで、人々を引き寄せるイエスの働きは、神から与えられたものであると、人間的なライバル意識を捨てるようにという訴えです。

その際、「あなたがたこそ・・・証人です」と、彼ら自身がヨハネから直接に、「私はキリストではなく、その前に遣わされた者である」と確かに聞いていたはずであると、自分たちの立場をわきまえるようにと自覚を促しました。

とにかく、ヨハネが人々に悔い改めを迫って来たのは、あくまでも救い主を迎える準備であったということなのです。

この背後には、マラキ3章1節があります。そこでは、「さばき(正義)の神はどこにいるのか」という人々の訴えに対して、主ご自身が、「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整えると言われました。バプテスマのヨハネは、この預言に従って、主の現れの備えをしていたということなのです。

しかも、そこでは「あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る」と記されていました。ヨハネの福音書でイエスの公の働きの最初が、エルサレム神殿での宮の中から商売人たちを追い出したこととして描かれているのは、マラキの預言の成就を強調するためと言えましょう。

しかし、それは当時の人々が期待していたような、「火が天から下ってきて、全焼のいけにえと数々のいけにえを焼き尽くし・・・主の栄光が宮に満ち・・・祭司たちは主の宮に入ることができなかった」(Ⅱ歴代7:1,2)と描かれていたような圧倒的なしるしではありませんでした。

イエスは、「細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し」(2:15)という実力行使はしましたが、それは当時の人々には、預言者気取りの独りよがりの行動と見えたことでしょう。ヨハネの弟子もそのような印象を持ったのではないでしょうか。

それに対して、ヨハネはイエスこそがマラキが預言していた救い主であり、自分はその「前に道を整える」使者である、そしてそれを自分は弟子たちに何度も話してきたと、ここで思い起こさせているのです。

2.イエスのメッセージとヨハネのメッセージとに見られる対比

ヨハネは弟子たちに向かって引き続き、「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです」(29節)と語ります。

イザヤは捕囚とされた神の民の回復を、孤児たちを集めて神の都に帰ってくる「花嫁にたとえ(49:18)、「花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ」(62:5)と語っています。

つまり、ヨハネはイスラエルの民を「花嫁」にたとえ、キリストが「花婿」として「花嫁」であるイスラエルの民を迎えようとしていると語っているのです。

ただ、そこで同時に、ヨハネは自分の立場を花婿の「友人」たとえます。これは英語ではしばしば、ベストマンと呼ばれる役割です。当時は、花婿と花嫁の連絡係として、花嫁と花婿を結びつけるための花婿に信頼される友人でした。

そしてそこで、友人は、花婿が花嫁を迎える声を聴いて、自分の労苦が報われたことを「大いに喜ぶのと同じように、イエス・キリストがイスラエルの人々をご自分のもとに直接に招き入れるのを喜んでいるというのです。

そしてその結論として、「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(30節)と最後にまとめます。

それにしても、ヨハネの弟子たちは、何度もヨハネの話しを聞きながら、どうして、イエスのもとに行けないばかりか、自分たちの教師ヨハネと、イエスを人間的な目のライバルかのように見てしまったのでしょう。

それは、ある意味で、ヨハネのメッセージの方が、具体的な指示に満ちた分かりやすいものであったからかもしれません。

ルカの福音書では、ヨハネの働きが、「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」と「荒野で叫ぶ者の声」として紹介されます(3:4)。そこで引用されたイザヤの原文では、「呼ばわる者の声がする。『荒野に主(ヤハウェ)の道を整えよ。荒地で私たちの神のために大路を平らにせよ』と」(40:3)と記されています。

つまり、ヨハネの働きはあくまでも、主の栄光がイスラエルに戻ってくることに先立って、人々が道備えにための行動を忠実に果たすように促す「であるというのです。

ヨハネ自身が道備えの働きをするというよりも、人々の行動を促すのが趣旨です。当然、そのメッセージは極めて具体的になります。ルカ3章7-14節には次のように彼のことばが記されています。

それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」

群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」 彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」

取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよいのでしょう。」ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」

兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」

この背後にはマラキを通しての主のメッセージがありました(3:2-5)。そこでは次のように記されていました。

「だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の・・・のようだ。

この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、【主】に、義のささげ物をささげる者となり・・・昔の日のように・・【主】を喜ばせる。

『わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行う者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。』」

そこでは、救い主の働きが、「精錬する者の火」として描かれ、人々を惑わす者、社会的弱者を虐げる者に対して、神の復讐を実現する方として描かれています。

しかし、イエスの宣教の姿勢にはこのような「火」のイメージは背後にかすんで見えるほどでした。宮きよめにおいても、天からのしるしのようなものは見られませんでした。

そこで、ヨハネの弟子たちに間には、イエスの宣教よりも、ヨハネの厳しい具体的な指示に満ちたメッセージの方に惹かれる者が多かったのかと思われます。

なお、後にパウロがギリシャ世界の異邦人に福音を宣教していたとき、イエスをのことを良く知っていながら、「ヨハネのバプテスマしか知らない」人々がいたということが記されています。

その根本的な問題は、聖霊のみわざを知らないということでした(使徒18:24-19:7)。生き方を改めるという明確な行動指針がありながら、それを可能にしてくださる聖霊のみわざを知らない信仰者がいたということですが、それは現代の多くのクリスチャンたちの問題でもあるのかもしれません。

3.神は真実であるということに確認の印を押したとは?

31節からは福音書の記者自身のことばなのか、バプテスマのヨハネ自身の話しの続きなのかについては見解が分かれます。特に31節は、バプテスマのヨハネが自分の弟子たちに向けて語っていると想定した方が分かりやすいと思われます。

ヨハネはそこで、イエスを「上から来る方」、自分を「地から出る者」と位置付けながら、「上から来る方は、すべてのものの上におられ、地から出る者は地に属し、地のことばを話す。天から来る方は、すべてのものの上におられる」と語ります。

これは、先の「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(30節)ということばをさらに説明するものと解釈できます。

ヨハネの弟子たちは、ヨハネの具体的な行動の変化を訴えたメッセージに惹きつけられている一方で、罪人たちに寄り添うかのようなイエスのメッセージには違和感を覚えていたことでしょう。

それ以上に、彼らを混乱させたのは、イエスが当時の僻地のガリラヤ生まれで、私たちとまったく同じ人間の子の姿を持ちながら、「わたしは三日で、それ(神殿)を建てよう」(2:19)などと途方もないことを言ったことではないでしょうか。

当時の敬虔な人々の目には、バプテスマのヨハネのことばの方がはるかに現実的で、人々のライフスタイルを変える力があるように思えました。

しかし、それはヨハネによれば、ヨハネが地に属しているからこそ、地に属する人々のことばで話しているのに過ぎないのです。

ヨハネはここで、「すべてのものの上におられる」ということばを繰返しながら、一見ひ弱なイエスという存在を神の視点から見るようにと勧めているのではないでしょうか。

一方、32,33節では、「この方は見たこと、また聞いたことをあかしされるが、だれもそのあかしを受け入れない。そのあかしを受け入れた者は、神は真実であるということに確認の印を押したのである」と記されています。

ただ、この表現は1章11,12節にあった「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」に極めて似ており、この福音記者自身の話しと解釈した方が良いようにも思われます。

多くの聖書学者が、どちらかの解釈を取るということは、どちらの解釈を取っても、私たちの救いには影響がないこととも言えましょう。

このことばの意味は、たとえば、親にとっての一番の哀しみは、子供から信頼されないことであるということに似ています。神は、ご自分の「ひとり子をお与えになったほどに、世を愛され」ました。

ですから、その神の愛を信頼することこそが神に最も喜ばれることであり、そこに神の救いが実現するということです。

なおここで、「神は真実である」とは、私たちができる最高の信仰告白です。

たとえばイザヤ59章では、「見よ。主(ヤハウェ)の手が短くて救えないのではない。その耳が重くて、聞こえないのではない。それは、あなたがたの咎が、あなたがたと神との仕切りとなり、その罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたからだ」(1,2節)と、すべての問題の根本が、神の無力さではなく、人間の罪にあるということを明確に語っています。

それと同時に、人々の罪の現実が、預言者たちを遣わして正すことができないほどに悪化していることに対し、「主(ヤハウェ)はこれを見て、さばきのないのに心を痛められた。主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、その義を、ご自分のささえとされた」(15b、16節)と言われと記されています。

ルカも、バプテスマのヨハネの働きに関して、「罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた」と記しています(3:3)。ヨハネはそのために罪を告白した人々に、ヨルダン川でバプテスマを授けていたのですが、これは当時のエルサレム神殿の機能を否定する破壊的な教えとも思われました。なぜなら、神殿の最も大切な機能は、動物のいけにえをささげて、神の赦しとあわれみにすがることだったからです。

いけにえなしに、罪の赦しを宣言することは、レビ記の規定に真っ向から反すると思われました。ヨハネのバプテスマは、イエスが十字架で完全な罪の贖いとなられるということを前提としなければ、聖書全体の教えに反してしまいます

ですからヨハネはイエスを最初に見たとき、「世の罪を取り除く神の子羊」(1:29)と言いました。しかし、イエスの現れをイザヤが預言した神の救いの「御腕」と見るなら、そこで神の真実が証しされます。

そしてイエスのあかしを「受け入れる」ということこそが、「神は真実であるということに確認の印を押した」というすばらしい応答として、神から喜ばれるというのです。

4.永遠のいのちか、神の怒りがその上にとどまるかという対比

そして続けて、イエスのみわざに関して、「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される」と、人間イエスが、神から遣わされ、神のことばをお話しになっておられるということが強調され、その理由が、「神が御霊を無限に与えられるからである」と説明されます(34節)。

「無限に」とは、厳密には、「神は御霊をはかりによって与えたわけではないから」という意味です。神は預言者たちに、それぞれの働きに応じ、「はかりによって」聖霊をお与えになりましたが、イエスに対してはそうではなく、ご自身のすべてをお与えになられました。

そのことが、改めて、「父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった」(35節)と述べられます。父なる神は、無限にご自分のひとり子を愛し、信頼しているがゆえに、ご自分の被造世界すべての管理をお任せになられたというのです。

最後に、救いと滅びの対比が簡潔に、「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」(36節)と記されます。

この二者択一は一見、乱暴に見えますが、それはモーセの告別説教に従ったものです。

モーセは、イスラエルの民がまもなく神の御教えを軽んじて滅びに向かうことを予期していたからこそ、「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死祝福とのろいを、あなたの前に置く、あなたはいのちを選びなさい」(申命記30:19)と厳しく迫りました。

ですから、これはバプテスマのヨハネによる、自分の弟子たちに対する告別説教と理解すると、聖書全体の流れに調和します。

ヨハネの弟子たちはイエスの働きを、自分たちが心から尊敬する指導者であるヨハネに対する驚異かのように受け止めました。しかし、そのような受け止め方ほどヨハネを悲しませることはありませんでした。なぜなら、彼は自分の働きを、何よりも、人々がイエスを受け入れるための道備えと理解していたからです。

神はご自分の御子の犠牲によって、この世界を救いに導こうとされました。救いはそれほどに神の一方的なあわれみ、神の真実の現れです。

ヨハネのあかしを通してこれほど明確に、救い主の来臨の事を聞きながら、それを人間的な次元でしか受け止めることができないということほどに、神への冒涜、神への不信はありません。

なお、「御子を信じる」の「信じる」とは、教えを信じるというのではなく、無条件にこの方に自分のいのちをかけるという行為です。

それはたとえば、あなたが大火災の中に取り残されているときに、助けにきた消防士に身を任すような行為です。そこから抜け出るためには、熱い火の中を潜り抜ける必要があります。しかし、消防士の救出能力を信頼して、その火を潜り抜けるなら、助かります。しかし、目の前の火を恐れて、前に進むことができないなら、火の輪はどんどん狭くなり、あなたは窒息するか焼け焦げるしかなくなります。

イエスに従うことは、差し当たり、この世的には、不利益にしか思えないようなこともあります。しかし、この方に信頼する以外に、救いの道はないのです。

バプテスマのヨハネの説教は、当時の人々にはイエスのよりもずっと分かりやすく、宗教指導者にも理解できるものであったことでしょう。それはしかし、地のことばであったからとも言えます。

イエスの説教は、天のことばであるために、言語明瞭意味不明という面がありました。しかし、それらは、人間的な努力を促すものでも、人を絶望に追いやるものでもなく、人々を救いに導くいのちのことばでした。

ただし、ヨハネのバプテスマはヨシュアのヨルダン渡河を、イエスの十字架も過越しの「神の子羊」を再現するもので、両者はセットで神の救いのみわざを現します。

そして、それは、ヨハネによる厳しいさばきのことばがあって初めて心に迫ってくる救いの招きでした。私たちは罪人に対する神のさばきを宣言することに躊躇を覚えることがあります。しかし、旧約最後のマラキ書には、「あなたがたはのろいを受けている・・・すべて悪を行なう者は、わらとなる・・その日は彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない」(3:9、4:1)などという恐ろしいさばきの宣言があり、バプテスマのヨハネはこのみことばどおりに救い主の現れの備えをさせました。

ヨハネのメッセージは極めて聖書的なものでした。そして、イエスの救いを理解するためには、そのような神の厳しいさばきの宣言が前提として必要だったのです。私たちはその原点を忘れてはなりません。

多くの人々は、イエスを史上最高の教師と見ています。しかし、イエスは、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は生まれませんでした」(マタイ11:11)と言っておられました。ヨハネこそ史上最高の教師でした。

そして、イエスは人の姿でこの地に現れた創造主であられ、同時に、「世の罪を取り除く神の子羊」であられたのです。

私たちはイエスの教えではなく、イエスご自身に信頼することによって「いのち」を得られるのです。