Ⅱサムエル1章〜5章5節「神の時が満ちるのを待つ」

2017年12月3日

あなたの前に、「目の上のたんこぶ」のような人がいないでしょうか。ダビデは、サムエルから王としての任職の油注ぎを受けたとき、「紅顔の美少年」でした。彼が強くなるにつれ、サウルからの迫害が激しくなり、彼はその状況に十数年間は耐えたと思われます。 “Ⅱサムエル1章〜5章5節「神の時が満ちるのを待つ」” の続きを読む

エペソ1章15節〜2章7節「私たちに与えられた救いとは」

2017年11月26日

会社勤めをしていた時、ついつい被害者意識で一杯になり、目の前の最低限の課題を果たすことしか見えなくなりがちでした。そんなとき上司から、「社長になったつもりで、もっと高い視点から自分の仕事を見なければならない」と言われました。実は、キリスト者として生きるとは、「イエス様だったら、どうされるでしょう(What would Jesus do?)」と問いかけながら生きることとも言えます。 “エペソ1章15節〜2章7節「私たちに与えられた救いとは」” の続きを読む

エペソ1章1〜14節「三位一体の神の愛に包まれたいのち」

2017年11月19日

私たちは父、御子、御霊の三位一体の神の愛に包まれて生きています。それを、「キリストのうちにある生活」と呼ぶことができます。

私たちは今、イエス・キリストの弟、妹として、その傍らに置いていただき、イエスの父なる神に向かって、「アバ、父」と呼びかけることが許されています。しかも、そのような祈りを起こしてくださるのは、私たちのうちに住んでくださっている「聖霊」ご自身です。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と告白することはできません」(Ⅰコリント12:3)と記されているからです。 “エペソ1章1〜14節「三位一体の神の愛に包まれたいのち」” の続きを読む

Ⅰサムエル27章〜31章「あなたの明日を支配する主」

2017年11月12日

目の前の問題にどう対処して良いか分からず、不安に圧倒される人がいます。また、自分の過去の誤った選択を後悔し続ける人がいます。しかし、「キリストのうちにある生活」にあっては、誤った選択というのはないのかとも思います。 “Ⅰサムエル27章〜31章「あなたの明日を支配する主」” の続きを読む

Ⅰサムエル25章〜26章「神の怒りにゆだねなさい」

2017年11月5日

人から不当なことばをかけられ、怒りのあまりひどい言葉を返したことがないでしょうか。人の悪には驚くほどの伝染力があります。ひどい仕打ちを受けた方が、「神様の目は節穴ではないから……」と言って、争いから身を引きました。やがて神はその立場を逆転させてくださいました。 “Ⅰサムエル25章〜26章「神の怒りにゆだねなさい」” の続きを読む

Ⅰサムエル22章〜24章「恐れを祈りに変えたダビデ」

2017年10月29日

プロテスタント教会にとって、10月31日はハロウィンの日ではなく、宗教改革記念日です。マルティン・ルターは五百年前のこの日に、ウィッテンベルグの城教会の門に、免罪符に抗議する95箇条の提題を張り出したと言われます。 “Ⅰサムエル22章〜24章「恐れを祈りに変えたダビデ」” の続きを読む

Ⅱコリント4章5節「自分ではなくイエスを宣べ伝えるとは?」

2017年10月22日

私たちは関係の中に生かされています。ですから、いつも誰かのために生きることによってこそ、私たちが真に人間らしく生きられるとも言えます。

しかし、依存関係にならないため、人と人との距離感は大切です。あくまでも、「イエスのために」、人間の奴隷となることなく、人々に「仕える」生き方をするのです。 “Ⅱコリント4章5節「自分ではなくイエスを宣べ伝えるとは?」” の続きを読む

ヨハネ21章15〜25節「あなたは、わたしに従いなさい」

2017年10月15日

日本では、「茶道」「華道」「書道」「剣道」「柔道」などのように特定の「道を究める」ことが大切にされます。それと同じように信仰の歩みを、クリスチャンとしての礼儀作法を身につけて「キリスト道」を究めるかのように、無意識に考えてしまっていることはないでしょうか。 “ヨハネ21章15〜25節「あなたは、わたしに従いなさい」” の続きを読む

Ⅰサムエル19章〜21章「信仰と友情」

2017年10月8日

フーストン先生の本の原題は、「the Christian Life East and West(東洋と西洋でのクリスチャン生活)」ですが、そこで改めて感じたのは、人と人との関係の築かれ方の違いです。西洋とはギリシャ・ローマ文明の影響下にある文化圏ですが、その古典では、友情に関しての様々な物語や教えがあります。一方、東洋では、儒教文化の影響下で、個人と個人の友情よりも主従関係の絆で社会の秩序が守られるという価値観がありました。 “Ⅰサムエル19章〜21章「信仰と友情」” の続きを読む

Ⅰサムエル16章〜18章「おびえるサウルと主にまっすぐなダビデ」

2017年10月1日

「神経科学者たちは、恐怖こそが私たちの人間としての基礎的感情であり、脳の視床の下部で感じられると言います。多くの独裁者たちは卓越した力を身につけ、力の神として支配することを狙っています。しかし、そうすればするだけ、彼ら自身が恐怖にのみ込まれて行くのです」とフーストン氏は記しています(「キリストのうちにある生活」P67)。 “Ⅰサムエル16章〜18章「おびえるサウルと主にまっすぐなダビデ」” の続きを読む