Ⅱ列王記20章〜23章「主の激しい怒りとイエスにある救い」

2018年11月25日

この世で言われる「悔い改め」とは、自分の罪を反省して、心を入れ替え、行いを改めることです。しかし、人間的な道徳教育で人の心を変えられるぐらいなら、神の御子が十字架にかかる必要などなかったのではないでしょうか。

確かに尊敬に価する指導者に励まされて一時的に良くなることはあっても、多くの場合、意志力の限界に直面させられます。しかし、聖書が命じる「悔い改め」とは、何よりも、心の向きを変えることです。それは人間の意志の力に信頼することをやめて、神の御霊の働きに心を開くことです。

1.神のあわれみとヒゼキヤ王の失敗

そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた」(20:1)とは、時間的には18章13節以降のアッシリア帝国による攻撃の前の出来事だと解釈されます。彼がロンの使者に宝物倉の豊かさを見せることができたのは、アッシリアに貢物を差し出した紀元前701年の前のはずだからです。また種々の王の名前との関連からもヒゼキヤの死は紀元前687年頃であると推測されますが、6節に寿命が15年延ばされたことからすると、この病気はアッシリアによる攻撃の前の年の出来事と思われます。

それまでヒゼキヤは、18章3-8節に描かれていたように、国の中からあらゆる偶像を取り除き、民をイスラエルの神、主(ヤハウェ)に立ち返らせるというすばらしい働きをしていました。しかし、今、目の前にアッシリアの脅威が迫り、国が危機に瀕していました。彼の病には多分に、ストレスが原因となっていたのではないでしょうか。

そのような危機の中で、意地悪にも見えますが、敢えて預言者イザヤが、「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない』」と伝えに来ました(20:1)。そのとき彼は、自分が熱心に主に仕えてきたと訴えつつ、「大声で泣い」(20:3)というのです。

すると主が再びイザヤを通して、「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたをいやす……あなたの寿命にもう十五年を加える」とご自身のみこころを変えてくださいました(20:5,6)。ただ、その際、「わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る」とも付け加えられました。

そこには、主(ヤハウェ)がダビデ王国を守られるのは、何よりもご自身がダビデに対して約束したことのゆえであるという意味が込められています。それこそ神の愛の真実(ヘセッド)です。

ところがこのとき、ヒゼキヤはイザヤに向かって、主が自分を癒してくださるということのしるしを求めます。それに対し、「預言者イザヤが主(ヤハウェ)に祈ると、主は、アハズの日時計におりた日時計の影を十度後に戻された」(20:11)と記されます。これは地球を逆回転させるということではなく、影だけを戻すということで、光の創造主である方には容易なことでしょう。

アハズの日時計」と敢えて呼ばれるのは、彼はヒゼキヤの父でしたが、ユダの王では最悪の王の一人で、あらゆる偶像礼拝を持ち込み、エルサレム神殿を汚すことを行ったからです。本来ならそれによってユダ王国は神のさばきを受けてしかるべきでしたが、神がご自身のあわれみによってその時代をもとに戻してくださるという意味が込められていたのでしょう。

ところがここで、「そのころ……バビロンの王メロダク・バルアバンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。ヒゼキヤが病気だったことを聞いていたからである」(20:12)と記されます。この王に関しては紀元前722~710年、および703年に9か月バビロンの王であったという記録があるようで、このころアッシリアの圧政に苦しんでいました。バビロンにとってエルサレムはアッシリアの反対側の国ですから、敵の敵は味方ということで同盟を求めてきたのでしょう。

それに気を良くしたヒゼキヤは、「彼らを歓迎して、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた」(20:13)というのです。

それに対しイザヤは、ヒゼキヤが何をしたのかを尋ねた上で、それに対する主のことばを、「見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない……また、あなたが生む、あなた自身の息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる」(20:17)という恐ろしいことを語ります。

しかし、ヒゼキヤはそれを真剣に受け止めず、「自分が生きている間は、平和と安定があるのではないか、と思った」(20:19)と描かれています。彼ほどの王でも、人生の危機を通して、世界の見方が近視眼的になるのは驚きです。この後、信仰によって巨大帝国アッシリアと戦うことになるヒゼキヤでさえも、そのアッシリア以降の歴史には目が向かいませんでした。それこそが多くの人の現実ではないでしょうか。

このバビロンの使者への対応に関して歴代誌は、「ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせたので、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った」(Ⅱ32:25)と記します。これはまるで、バビロン捕囚が、ヒゼキヤの高慢のゆえに起きたかのような表現です。

しかし同時にそこには、「しかし、ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、主(ヤハウェ)の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった」(Ⅱ32:26)とも記されます。

なお、このバビロンの使者のことが、アッシリア帝国を劇的な形で撃退したという記述の後の部分に敢えて記されているのは、時間的な順番ではなく、その後のバビロン捕囚への流れという論理的な順番を明確にするためです。

ヒゼキヤは大勝利の前に大敗北への道備えをしてしまっていたのでした。事実、預言者イザヤの書では、このヒゼキヤの安易な安心が描かれることで、バビロン捕囚以前の記録が終わり、40章からは時代がはるかに飛んで、バビロン捕囚からの解放とキリスト預言が重ねられて描かれます。

日本の歴史で言えば、日露戦争での劇的な勝利が、「神国日本は不滅である」という幻想を生み、第二次大戦での大敗北に道を開いたことが明らかです。

そして、エルサレムもアッシリアの攻撃をこのときに、主のあわれみによって撃退できたことが、エレミヤ書に繰り返し記されている祭司や預言者の状況、「彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒し、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている」という幻想を生みました(6:14)。

またそれが「これは主(ヤハウェ)の宮、主(ヤハウェ)の宮、主(ヤハウェ)の宮だ」という幻想的な勝利主義を生み、自分たちが主の怒りを買っていることを認めない傲慢さに結びつきました(7:4,5)。

実は、ヒゼキヤはエルサレムを守った王であるとともに、バビロン捕囚への道を開いた王でもあるのです。この世界で大成功をおさめたと見られる人が、実は、敗北への道を開いていたということがあり得るのです。

それと同時に、たとえば、地球温暖化の危機が叫ばれていても、多くの人々には、「自分が生きている間、平和で安全であれば……」と子孫たちへの配慮が欠けてしまいがちです。

しかし、そのような無責任、無関心こそが、罪の本質ではないでしょうか。傲慢と無関心こそが悲劇への導入口となっているのです。

2.カナン人よりも堕落したといわれたユダ王国

21章ではユダ王国史上最悪の王マナセが登場します。彼はヒゼキヤの存命中の12歳のとき(紀元前696頃)に即位し、55年間も王座に留まり、これはイスラエルとユダ王国を通して最長です。彼の時代にアッシリア帝国はますます勢力を強め、紀元前669年にはエジプトを征服します。

マナセはアッシリアの王のご機嫌を取りながら驚くほどの悪政を敷きました。彼は敬虔な父に反発するかのように、かつてのイスラエルの王アハブの姿勢に倣いバアルに仕え、何と「(ヤハウェ)の宮に、いくつもの祭壇を築いた」ばかりか、「その二つの庭には、天の万象のための祭壇を築いた」(21:4,5)というのです。

また、祖父アハズに倣って、「自分の子供に火の中を通らせ」(21:6、レビ18:21、Ⅱ列17:17参照)るというモレク礼拝まで行いました。

そればかりか21章7節には、「彼はまた、自分が造ったアシェラの彫像を宮に安置した」と記されます。アシェラに関しては、ヤハウェの配偶者としての女神として崇められたという見方も最近出ています。その説の真偽が不明ですが、ヤハウェの宮にそのような像が置かれると考えるだけでも、ぞっとします。

それはヤハウェへの礼拝を「すべての律法」から離すことであり、ここに記されるように、主が「わたしは、この宮に……わたしの名をとこしえに置く」と言われたことを不可能にさせることばです。マナセがどうしてこれほど愚かなことをしたのか、その理由は記されていませんが、これによって、エルサレム神殿がヤハウェの宮ではなくなるという道が開かれたことは確かです。これこそ後の神殿崩壊への最後の一歩でした。

そして、それらのことを要約するように、「マナセは彼らを迷わせて、(ヤハウェ)イスラエルの子らの前で根絶やしにされた異邦の民よりも、さらに悪いことを行わせた」(21:9)と描かれます。主がイスラエルの民を約束の地に導きいれたのは、カナンの国々があまりにも堕落し、その「咎が……満ち」るという状態になっていたからでした(創世記15:16、申命記9:5)。

神は癌細胞を除去するためにイスラエルを用いたのに、イスラエル自身が世界の癌細胞になってしまったというのす。それでは、彼らに存在意義がなくなります。

また、「マナセは……咎のない者の血まで多量に流したが、それはエルサレムの隅々に満ちるほどであった」(21:16)と記されますが、伝承によれば、預言者イザヤはこの時、のこぎりで真っ二つにされました。

そのことがヘブル書において、「もっとすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを拒んで拷問を受け……のこぎりで引かれ……」(11:35-37)と記されたのでしょう。マナセは強大なアッシリア帝国と協調することばかりを求め、神の民としてのアイデンティティーを軽蔑したのだと思われます。

そればかりか自分の権力を守るためには、父ヒゼキヤを助け導いた最高の預言者さえも獣のように扱ってしまいました。

なお、歴代誌では、彼がアッシリアの怒りを買って捕虜とされたときに、主に立ち返ったことが記されていますが、それは晩年のことと思われ、そこに至る過程で彼は、とりかえしのつかないほどに国を堕落させてしまいました。

イスラエルの民はかつて、預言者サムエルに向かって、「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」(Ⅰサムエル8:5)と懇願しました。彼らにとっては、(ヤハウェ)こそが王」(詩篇96:10)であるはずでした。ダビデ王のすばらしさは、それを心から理解していたことにあります。

しかし、その原点を忘れた王は、その影響力のゆえに、国を破滅に導くことができます。マナセは、強い国の顔色ばかりを伺い、国民にはあらゆる横暴を働いて、人々の目から神を見えなくさせてしまいました。

3.ヨシヤの宗教改革

マナセの後継者アモンに関しても、「彼はその父マナセが行ったように、主(ヤハウェ)の目に悪であることを行った」(21:23)と描かれます。そして、彼は何と、王位に就いた二年後に家来たちによって殺されます。それは、かつての悪女アタルヤの後に立てられたヨアシュとアマツヤという二代続いた敬虔なユダの王たちと同じ悲劇ですが、宮殿内で殺されるというのは初めてです。

その理由は分かりませんが、以前の場合と同様に、外交政策の対立である可能性が高いと思われます。このときはアッシリアがエジプトへの影響力を失った直後で、外交政策の転換を迫られていたときだからです。

ところがこのときは民衆がすぐに蜂起して、王に謀反を起こした者たちをみな打ち殺し、まだ八歳のアモンの子ヨシヤを王に立てます。

ヨシヤは31年間王位にとどまりますが、彼は曽祖父のヒゼキヤにまさる敬虔な王で、「彼は主(ヤハウェ)の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった」(22:2)と描かれます。

彼はマナセが汚したエルサレム神殿の修理に力を注ぎます。その際、工事に携わって大工たちを全面的に信頼しているという関係が見られることは大きな驚きです(22:3-7)。王が誠実だと民も誠実になるのでしょうか。

そして、そのような中で、大祭司ヒルキヤ書記シャファンに「(ヤハウェ)の宮で律法の書を見つけました」と伝えます(22:8)。歴代誌の並行記事によると、それはヨシヤの治世の第18年で、紀元前622年のことだと思われます。この「律法(みおしえ)の書」という表現は特に申命記を指しているとも言われます(申命記28:61,29:21)。

ここには、それまで、この律法の書が祭司の間においてさえも読まれていなかったことが示唆されています。主はモーセの後継者ヨシュアに、「このみおしえ(律法)の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ……そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである」(ヨシュア1:8)と言っておられましたが、それと真逆の事態となっていたのです。

そして、「王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた」(22:11)と記されますが、これは特に申命記28、29章などにある、「のろいの誓い」(申命記29:12,14,19)の部分を読んだからだと思います。

そこには、主の御声に背き続けるときに、「(ヤハウェ)は遠く地の果てから一つの国を来させ、鷲が獲物に向かって舞い降りるように、あなたを襲わせる」(28:49)と、国の滅亡と住民の強制移住のことが警告されていました。

そして、ヨシヤがこれを読んだのは、紀元前625年にナボボラッサルがアッシリア軍を打ち破ってバビロンに入城し、新バビロニア帝国の樹立を宣言して間もなくの頃で、アッシリア帝国よりも恐ろしい国が起こる可能性を見たのかもしれません。

彼らはこのとき、北王国イスラエルの滅亡が外交政策の失敗などではなく、主の怒りの現れであると理解し、同じことがエルサレムにも起こると見えてきたのです。

このとき(ヤハウェ)女預言者フルダを通して、「わたしの憤りはこの場所に燃え上がり、消えることはない」(22:17)と宣告しながらも、ヨシヤ王に対しては、彼が「心を痛めて主(ヤハウェ)の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いた」ので、彼が生きている間にその悲劇は起きないという保障を与えます(22:19,20)。

それを聞いたヨシヤは、国中の長老たちを集め、「契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせ」、それを「実行することを誓い、民もみなこの契約に加わり」ます(23:1,2)。

王はその後、あらゆる偶像礼拝の施設を排除します。特にマナセが主の宮に据えたアシェラ像をキデロンの谷に運び出し、焼いて粉々に砕いて灰にし、その灰を共同墓地に投げ捨てるということまでしました。

また23章13節ではオリーブ山が敢えて「破壊の山」と呼ばれ、ソロモンが妻たちに誘惑されて立てたあらゆる「高き所」までも破壊したと記されます。先にヒゼキヤ王が「高き所を取り除いた」(18:4)ことを徹底したということでしょう。

そればかりか彼は、北王国の初代の王ヤロブアムが作ったベテルの「高き所も破壊します。それは三百年前、彼に向かって神の人が預言した通りでした。そのとき、「一人の男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ」と具体的に預言されていたのですが(Ⅰ列王13:2)、ベテルの町の人々は、それを預言した神の人の墓石碑をヨシヤに指し示しました(23:17)。

これによって預言が文字通り成就したことがすべての人に明らかになりました。これは、神が歴史を動かしておられるという何よりのしるしです。

その後、ヨシヤサマリヤの町々の高き所の宮までのすべてを取り除きます(23:19)。これはヨシヤ王の支配権が、かつての北王国にまで及んだことを示します。

Ⅱ歴代誌34:6によれば、その支配地はガリラヤ地方の北にまで広がっています。それは主が、ヨシヤを喜び、彼に繁栄を与えてくださったからです。

これは国際政治の観点からはアッシリア帝国の滅亡の直前の権力の空白期と説明できます。しかし、イスラエルの神、主は、巨大帝国をも自在に立て、また滅ぼすことのできる方です。「主(ヤハウェ)は全地の王」であるというのは当時の人々に理解し難いことでしたが、ヨシヤはそれを理解し、何よりも主への誠実を第一とすることで、国を復興しました。

そして彼の在位18年での過越のいけにえは、イスラエルの民が約束の地に入って以来の最大のものとなったと言われます(23:21-23.Ⅱ歴代誌30章にはヒゼキヤの祭りが記載)。

そして、「ヨシヤのようにモーセのすべての律法に従って、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって(ヤハウェ)に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった」(23:25)とは、最大限の賛辞と言えましょう。

しかし、「それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、主はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった」(23:26)と記されます。それは主の怒りが、これまで積み重ねられた結果と言えましょう。それはまもなく起こるバビロン捕囚を示唆しています。

ヨシヤの悔い改めは、ヨシヤ一代の王国を繁栄させることにしか役立ちませんでした。それは先に述べた「のろいの誓い」(申命記29:12,14,19)が変えられないからです。

しかし、イエスは、ヨシヤの宗教改革によってさえ変えられなかった流れを変えてくださいました。そのことをパウロはガラテヤ人への手紙3章13、14節で、「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです。それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためでした」と記しています。

これは人間には理解し難い神秘です。しかし、イエスにすがるすべての者の上を、神の怒りが過ぎ越すことの保障です。

今も、イエスは私たちに、「悔い改めないなら、大きな患難の中に投げ込む」(黙示2:22)、また、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」(ヘブル3:15)と語っておられます。ですから、「悔い改める」ことは信仰の基本ですし、心を柔軟にする必要があります。

しかし、ヨシヤの宗教改革の例に見られるように、一度、滅亡に向かって歩み出した流れを止めることは人間には不可能です。それは依存症の問題の解決を、人間の気力では解決できないのと同じです。

ところが、人間にはできないことを神の御子がしてくださいました。何と、私たち罪人の代表者となるために人間となって、私たちのすべての罪の「のろい」を引き受けて十字架にかかり、三日目に復活し、私たちに聖霊をお送りくださいました。

そして今、イエスは、「見よ。わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示3:20)と言っておられます。

イエスは、あなたを助けたいとあなたの心の戸をたたき続けておられます。あなたに求められているのは、ただその心の戸を開き続けることです。