2023年8月20日
コロナの中で主の臨在とともに歩む〜出エジプト33章4、15、16節
毎日、変異型の新型コロナの猛威のことが話題になっています。この変異型の感染力からするとそう簡単に収束の目処が立たないと考えるべきなのかと思わされています。
ただ、私たちはそのような中で、ともに顔と顔とを合わせて、手を取り合って祈り合うことができない状況下にあります。 “コロナの中で主の臨在とともに歩む〜出エジプト33章4、15、16節” の続きを読む
出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」
カトリックの総本山サンピエトロ大聖堂の最高傑作と言えば丸天上のドームです。これは1506年の起工式の際に採用されていた基本設計ですが、実際に始めてみると、当時の技術では予算を大幅に上回る大工事になることが分かりました(現在の東京オリンピック競技場の顛末に似ている)。しかし、大富豪メディチ家の息子からローマ教皇になったレオ10世は、金に糸目をつけずに芸術家を雇い入れ、多額の借金を重ね建設を進めました。ただ、借金返済のために、ドイツでの免罪符の販売を許可し、マルティン・ルターの宗教改革を呼び起こしました。 “出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」” の続きを読む
出エジプト31章18節〜34章10節「神との対話」
目の前の小さな報酬か、待った後の大きな報酬を選ぶかという心理実験があります。たとえば子供に向かって、「今なら1000円のお小遣いしか上げられないけど、一カ月待ったら1500円あげられるよ」と言って、一か月待つことできる子は、衝動性に打ち勝つとともに、信頼感覚を養ってくることができた子でしょう。 “出エジプト31章18節〜34章10節「神との対話」” の続きを読む
出エジプト24章12節〜31章17節「主が求めておられる礼拝とは?」
多くの人が言い知れない倦怠感、空虚感や孤独感を味わっています。それは、「自分の都合」を最優先できる世の中になった結果かもしれません。真に畏敬されるべき方を知ることなしに、命を賭けるに価する喜びも、生きる意味も目的も見出すことはできるのでしょうか。 “出エジプト24章12節〜31章17節「主が求めておられる礼拝とは?」” の続きを読む
出エジプト20章18節〜24章11節「神の民とされるための契約」
ある人が、「マザー・テレサ、あなたはものを無償で与えて、貧しい人を甘やかしています」と批判したところ、彼女は「お金持ちを甘やかしている修道会はたくさんあります。貧しい人々を甘やかす修道会がひとつぐらいあっても良いでしょう」と答えました。確かに、この世の道徳は、貧しい者に厳しく、富む者に甘くなりがちです。 “出エジプト20章18節〜24章11節「神の民とされるための契約」” の続きを読む
出エジプト19章1節〜20章21節「十のことば」
「十戒」として親しまれている神の御教えは、聖書では「戒め」というより「十のことば」(34:28、申命記4:13,10:4)と描かれます。私は昔、「十戒」が罪を指摘し、キリストの十字架が罪の赦しを与えるという構図で理解していました。 “出エジプト19章1節〜20章21節「十のことば」” の続きを読む
出エジプト15章22節〜18章「歓喜の後のつぶやき」
本日は教会歴では「しゅろの主日」と呼ばれる受難週の始まりの日です。イエスは十字架に架けられるたった五日前に、「ダビデの子にホサナ」というエルサレムの人々の歓呼の中を、エルサレムに入城しました。彼らはイエスがローマ帝国からの独立運動を勝利に導く救い主として期待していました。 “出エジプト15章22節〜18章「歓喜の後のつぶやき」” の続きを読む
出エジプト12章43節〜15章21節「主があなたのために戦われる」
自分の身近なところで、犠牲者の血が流されている現実に直面するとき、また、それを思い起こすようなとき、人は、不条理に対する怒りを超えて、自分の人生を厳粛に受け止めるという思いになるということがないでしょうか。神は、イスラエルの救いのために流されたエジプト人の犠牲を、忘れさせないようにしておられます。 “出エジプト12章43節〜15章21節「主があなたのために戦われる」” の続きを読む
出エジプト8章1節〜12章42節「心が強くされることの悲劇」
しばしば、人は、信仰の成長を、「心が動じなくなること」と誤解してはいないでしょうか。今日の箇所では、パロの心が動じないことによって、エジプト人がどれだけ苦しんだかが描かれます。そして、現代の世界では、心が動じないテロリストと政治家との狭間で、どれだけ多くの悲惨な犠牲者が出ていることでしょう。 “出エジプト8章1節〜12章42節「心が強くされることの悲劇」” の続きを読む