出エジプト34章11節〜40章38節「主の栄光を鏡に映すように見ながら」

2015年7月12日

カトリックの総本山サンピエトロ大聖堂の最高傑作と言えば丸天上のドームです。これは1506年の起工式の際に採用されていた基本設計ですが、実際に始めてみると、当時の技術では予算を大幅に上回る大工事になることが分かりました(現在の東京オリンピック競技場の顛末に似ている)。しかし、大富豪メディチ家の息子からローマ教皇になったレオ10世は、金に糸目をつけずに芸術家を雇い入れ、多額の借金を重ね建設を進めました。ただ、借金返済のために、ドイツでの免罪符の販売を許可し、マルティン・ルターの宗教改革を呼び起こしました。

プロテスタント教会はこのような背景から生まれましたので、礼拝施設にお金をかけることには極めて慎重です。主の栄光は、金ぴかの礼拝堂ではなく、聖徒の交わりの中に現されると強調します。

しかし、そこから別の行き過ぎも生まれました。人間は基本的に、自分が理解できる神を求め、神が私たちの想像をはるかに超えた超越者であることを忘れます。しかし、それは神を自分たちのレベルに引き下げることです。そのように神を人の基準で見る者は、「神のかたち」に創造された人をも安っぽく見るようになってしまいます。

神が建設を命じた幕屋は、驚くほど高価な材料が内部に用いられていました。しかも、それはみな、人々が主のあわれみに感動して、心からささげたものでした。そこに何の偽りもおどしもありませんでした。

そして、そのような感動を呼び起こした主の栄光の輝きは、まず、四十日四十夜、シナイ山の上で主とともに過ごしたモーセの顔に一部が現されました。

私たちは、自分に目を向けるのではなく、何かに力を注ぐことによって、真の人格となります。その契機となるのは、一人の人との出会いであったり、ある観念との出会いであるかもしれません。しかし、その様々な出会いの背後には、常に神との出会いがあるのではないでしょうか。

主への礼拝を自分の都合に合わせて引き下げてはなりません。あなたは、世界と自分の人生のゴールをイメージしているでしょうか?神の御霊にこころを開き、神の栄光の現れであるイエスの生涯を黙想することで、「栄光から栄光へと」、キリストに似た者へと変えられ、そこに神の平和(シャローム)が満ち溢れます。

1.「モーセの顔のはだが光を放つ・・彼らは恐れて、彼に近づけなかった」

神は、モーセのとりなしによって、金の子牛を造って拝んだイスラエルを赦し、再び民の真ん中に住むと約束され、ご自身の契約を新たにしてくださいました。その際、主は、約束の地に住む偶像礼拝の民を「あなたの前から追い払う」と約束しつつ、「その地の住民と契約を結ばないようにせよ」と言われるばかりか、「彼らの祭壇を取りこわす」ことさえ命じました(34:11-13)。ただそれは、その地を神の地として聖く保つために必要なことでした。

その際、「その名がねたみである主(ヤハウェ)は、ねたむ神である」(34:14)という不思議な表現があります。それは主が、親密な夫婦のような関係を、民と築くことを願っておられるからです。また、34章18-24節では、年に三度の祭り等の「時を聖別する」ことが特に強調されます。

その上で、「モーセはそこに、四十日四十夜、主(ヤハウェ)とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった」(34:28)と記されますが、それは時間を完全に聖別した姿勢です。

なお、この時、「彼は石の板に契約のことば、十のことばを書き記した」(34:28)とありますが、この「彼」とは、モーセではなく、主ご自身だと思われます。それは、申命記で、「主(ヤハウェ)は、その板に、あの集まりの日に山で火の中からあなたがたに告げた十のことばを、前と同じ文で書きしるされた。主(ヤハウェ)はそれを私に授けた」(10:4)とあることから明らかです。これこそ、主が民とともにおられることのしるしでした。

モーセはシナイ山に上る前に、「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」(33:18)と願い、聞き入れられました。その結果として、彼が石の板を持って山から下りた際、「顔のはだが光を放って」(34:29,30)いました。それは、民が「恐れて、彼に近づけない」ほどの輝きで、「語り終えたとき、顔におおいを掛ける」必要があるほどでした(34:33)。これは、彼らが顔を伏せながら、主のみことばに耳を傾け、その後で、モーセが自分の顔におおいをかけたということだと思われます。

この顔の輝きについてパウロは、「モーセの顔の、やがて消え去る栄光」(Ⅱコリント3:7)と述べ、御霊の栄光には比べようがないと記しますが、それにしても、「モーセの顔の栄光」と表現されること自体が驚くべきことです。

ただ、イスラエルの民は、このモーセの顔に現された神の間接的な栄光さえ見ることはできませんでした。それほどに、神の栄光は畏れ多いもものだったのです。そして、それは、彼らの心におおいがかかっていることを象徴的に現してもいます。それは、「今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいがかかっている」(Ⅱコリント3:15)と記されている通りです。

モーセは、主がともに歩んでくださらなければ一歩たりとも前には進めないと、自分の無力さを認め、主の御顔を慕い求めました。そして、その結果、自分で気づかないうちに自分の「顔のはだが光を放って」いました。

しかし、「悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない」(ヨハネ3:20)とあるように、イスラエルの民はモーセの顔の輝きさえ見ることができませんでした。そして私たちも、「神である主(ヤハウェ)の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」(創世記3:8)者の子孫です。

しかし、主は今、「わたしの顔を、慕い求めよ」(詩篇27:7)と招いておられます。私たちは、それでも、頭では、それを求め、心は自分の肉の欲望にとらえられたままということがあります。そして、へりくだって自分の弱さを認める前に、自分の行動を正当化しようとします。そのような自己義認こそが、心におおいがかかった状態です。そして、この心のおおいは、自分の心がけや努力によって取り去ることはできません。

2.「人が主に向くなら、そのおおいは取り除けられ・・栄光から栄光へと変えられる」(Ⅱコリント3:16,18)

ところで、モーセは、「主(ヤーウェ)の前にはいって行って主と話すときには、いつも、外に出るときまで、おおいをはずした」(34:34)と描かれています。私たちも、モーセのように「主に向く」(Ⅱコリント3:16)ことができます。そして、その「主」とは、「御霊です」(同3:17)と記されます。

石の板に記されたことばは、神の愛が満ち溢れていますが、同時に、私たちの罪を指摘します。しかし、「文字は殺し、御霊は生かす」(同3:6)とある通り、もし私たちが自分の心の戸を開きさえするなら、御霊は、私たちの顔のおおいを取り除け、良心の呵責や恥じらいの思いから自由にし、御父の御前に立たせてくださいます。

それにしても、ここでは、「イスラエル人はモーセの顔を見た。まことに、モーセの顔は光を放った。モーセは、主と話すため入って行くまで、自分の顔におおいを掛けていた」(34:35)とあるように、イスラエルの民は、モーセの顔に間接的に現された主の栄光を、恐れおののきつつ、直視できずにではありました、見る」ことができました

そして今、私たちは直接に御父を見るのではなく、私たちの罪のために十字架にかかってくださった御子を通して主の栄光を仰ぎ見るのです。それが、「主の栄光を鏡に映すように見ながら」(同3:18新改訳別訳)という状態です。イスラエルの民が「モーセの顔の栄光」として現された主の栄光を間接的に見たように、私たちは「キリストの御顔にある神の栄光」(Ⅱコリント4:6)を、「鏡に映すように」間接的に見るのです。

私たちは、被造物に過ぎない太陽でさえ、直接に見続けることはできませんが、山を輝かせる太陽の間接的な光なら、感動のうちに見続けることができます。そして、「神の栄光」は「キリストの御顔」のうちに「知られる(同4:6)とあるように、「主の栄光を見る」とは、福音書に記されたイエスの姿を黙想することです。

それは、また、「今、私たちは鏡にぼんやり(厳密には「象徴的に、間接的に」)見ていますが、その時(世の完成のとき)には、「顔と顔とを合わせて見ることになります」(Ⅰコリント13:12)と描かれるような見方であり、イエスとの直接的な出会いを恋い焦がれることです。

そのような中で、「栄光から栄光へと、主(キリスト)と同じかたちに姿を変えられて行きます」(Ⅱコリント3:18)と約束されています。それをパウロはガラテヤの教会に向かって、「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています」(4:19)と記しています。

これはイエスを救い主と告白したあとの成長のプロセスを指しています。これは、今から始まっているダイナミックな変化です。そこには、モーセの顔のはだが光を放ったようなことも含まれるかもしれませんが、彼自身は、「地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」(民数記12:3)ことを忘れてはなりません。この変化は、人間的な努力ではなく、「御霊なる主の働き」によるものであり、私たちが成長度合いを測れるようなものではありません

多くの人は自分で自分を変えようとし、変わらない自分に失望します。それこそ地獄への道です。大切なのは、モーセのように、主に向き続けることです。それは、混乱しているままの自分の心を、主の御前に差し出すことです。

3.「感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のために・・」

35-40章には、25-31章に記されていた幕屋の設計図の細かい寸法や材質までのほとんどすべてが繰り返されています。基本的な違いは、以前は、主(ヤハウェ)がモーセに語ったことであり、今回はそれがその通り、民によって実行に移されたということです。順番に違いが見られるのは、以前は礼拝を教えることが中心だったのに対し、ここでは具体的な建設のプロセスが述べられているからです。

なお、幕屋建設の目的は、「わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう・・・」(29:45,46)という点にありました。これは、イスラエルに、彼らの神を、勝手なイメージに作り上げないで、恐れを持って礼拝するようにさせながら、同時に、彼らの真ん中に住むための手続きでした。

なお、具体的な幕屋建設の働きに先立って、「七日目には、主(ヤハウェ)の聖なる全き休みの安息を守らなければならない」(35:2)と、34章21節に続いて記されていることは興味深いことです。安息日の教えこそ、「十のことば」の心臓部分であることが明らかになります。

その上で幕屋の建設と礼拝に必要なすべての材料は、「心から進んでささげる者に、主(ヤハウェ)への奉納物を持って来させなさい」(35:4)とあるように、すべて民の自発的なささげものによって集められるようにと命じられました。これは現代の教会にもそのまま通じる原則です。献金で大切なのは、自由な心です。

そればかりか作業に携わるべき技術者のことが「心に知恵のある者」(35:10)と描かれます。これも、技術力以前に、その人の心の動機が問われている表現と言えましょう。主の民の働きは、強制的な徴収や強制労働によってなされることはありません。そのことが35章21節では、「感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のために、また、そのすべての作業のため、また聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た」と記されます。

なお、イスラエルの民の感動は、時間的には、「モーセの顔のはだは光を放った」という神の栄光の間接的な現れの後に起こったことです。イスラエルの民は、まさに、鏡に映すように主の栄光を見ることによって、感動に満たされて、主へのささげものを次から次と持って来たとも言えるのです。

また同時に、「主(ヤハウェ)は・・ベツァルエルを名ざして召し出し、彼に、知恵と英知とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた」と、作業の指導者を、主ご自身が召されたことが強調されます。また、同時に、主は追加でオリアブという人も召し、「主は彼らをすぐれた知恵で満たされた」(35:35)と記され、すべてが主の主導権によるものであることが強調されます。

そして続いて36章2節では、「モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主(ヤハウェ)が知恵を授けられた、心に知恵ある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた」とまとめるように描かれます。

しかも、彼ら作業に召された者たちは、民がモーセのもとに「なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を・・・持って来た」(36:3)ので、「民は幾たびも持って来ています。主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です」(35:5)と言うほどになり、モーセは民に奉納物をこれ以上持って来ないようにと命じる必要があったほどでした。

そしてその結論が、「手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった」(36:7)と描かれています。

礼拝の場は、神の栄光が現され、また神への私たちの愛を表す場ですが、それが義務や強制でなされるなら本末転倒です。幕屋の設計図は神が造ったものですが、そこでは驚くほど多くの必要があります。

しかし、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせて下さるのです」(ピリピ2:13)とあるように、神ご自身が、人の心に「感動」の思いを起こさせ、「心から進んで」するように導いてくださいます

そのためには、犯した罪さえ益に変えられます。イエスは「少ししか赦されない者は、少ししか愛しません」(ルカ7:47)と言いましたが、彼らは、多くの罪が赦されたことを感動したからこそ、「あり余るほど」(36:7)に献げることができたのです。神は、罪や失敗をも益としてくださいました。

4.「主の栄光が幕屋に満ちた」

36章8~38節までは幕屋自体の作成の様子が描かれています。それは、26章にもあったように、長さは30キュビト(1.5キュビト×20枚の板):13.2m、また、幅12キュビト(1.5×8枚):5.3m、高さ10キュビット:4.4mで、中の至聖所は10キュビト(約4.4m)の立法形でした。

当教会の礼拝堂のスペースは、長さが10.9m(廊下のガラスブロックまでが約13.5m、階段の踊り場を含めた最長部分は14.29m、幅が7.65m、高さが4.65mで、似ています

37章1-9節では、契約の板を入れる箱と「贖いのふた」およびそれを覆うケルビムの作成が描かれます。契約の箱の大きさは、長さ2.5キュビト:約1.1m、幅と高さ1.5キュビト:66cmで、すべて純金がかぶせられました。なお、「贖いのふた」の上から、主がモーセに語ると記されていました(25:22)。

37章10-16節はパンを置く机の作成、17-24節は純金の七つのともしび皿を持つ燭台、25-29節には香をたく台の作成のことが描かれています。

また、38章1-7節には、幕屋の庭に置かれ、いけにえを焼くための祭壇の作成のことが記されます。その大きさは、長さ、幅とも5キュビト(約2.2m)、高さ3キュビト(約1.3m)でした。

8節に洗盤の作成が記され、9-20節には幕屋と祭壇を囲む庭の掛け幕の作成の様子が描かれます。それは長さ44m、幅が22mでした。

38章21-31節には幕屋の製作資材の記録が残されています。24節にはそこで使われた金の量が記されますが、一タラントは3000シェケルですので、その総量は87,730シェケル、約1トンの金が用いられたことになります。

現在の金価格は1g=5000円程度で計算すると、約50億円相当の金が用いられたことになります(当教会建設費の50倍)。ただ、これも次期東京オリンピックの競技場の建設費2520億円からみたら、まだまだかわいい金額ではあります。

ですから、39章1-31節には大祭司の式服の作成が描かれます。祭司は民に対して神の「栄光と美を現わす」(28:2)必要がありましたから、金色、青色、紫いろ、緋色の最高の撚糸でエポデが作られました。これは、祭司の両肩から祭司の前の部分全体を覆う特別な装束でした。

また胸には、イスラエルの十二部族の代表者であるしるしの宝石をはめ込んだ「胸当て」が付けられました(28:15-30、39:9-14)。これは大祭司が十二部族全体を代表するという意味と同時に、イスラエルのそれぞれの部族が、神の目に高価で尊いかけがえのない存在であることのしるしでした。

また、かぶりものには「主(ヤハウェ)の聖なるもの(Holy to the Lord)」と彫られた純金のふだがつけられました(28:36、39:30)。それは聖所での、すべての神へのささげものの奉仕が、民全体を代表するという使命を明確にするしるしでした。

39章32-43節では、幕屋を構成する各部分の働きの完成の様子が描かれます。そして40章1-8節では幕屋を実際に組み立てることが命じられます。そして9-16節では、幕屋と祭司の聖別のプロセスが命じられます。そして40章17節では、イスラエルがエジプトを出たちょうど二年目に幕屋が組み立てられたことが記されます。

そして40章18-27節では、すべての部分ができた後、「幕屋」が組み立てられ、「さとし」の「石の板」が契約の「箱」の中に納められ、「贖いのふた」が箱の上に置かれ、それが至聖所に入れられ、机、燭台、香の壇が置かれ、かおりの高い香がたかれた様子が描かれます。その後、全焼のいけにえがささげられました(40:28,29)。

なお、「主がモーセに命じられたとおり」という表現が、39章には祭司の装束を作ることのために七回繰り返され(1,5,7,21,26,29,31節)、40章では幕屋の組み立てに関し七回(19,21,23,25,27,29,32)繰り返されます。それは幕屋が、具体的には人間によって作られたようでありながら、人間の作品ではなく、神ご自身の設計による神の作品であることを示しています。

この礼拝は、心だけで献げるものではなく、毎日、朝と夕に雄羊一頭を全焼のいけにえとして実際に献げ、平行して聖所の中では香りの高い香が献げるように命じられていました。私たちの心は、外の世界に反応するように造られています。ですから、私たちも、具体的に、神の栄光を現す礼拝の場、聖なる沈黙、心からの賛美などについて、神の導きを求める必要があります。

なお、この時、イスラエルの民は、山に上ったままのモーセを四十日間おとなしく待ち続けました(34:28,29)。そして、彼が「十のことば」が記された「石の板」を持って降りて来て、神ご自身が彼らの真ん中に住んでくださるということが分かった時、彼らの心は感動で満たされ、幕屋の材料がささげられ、幕屋が完成したのです。

そして、これらすべてのプロセスは、イスラエルの民が、鏡に映すように、主の栄光を見るということにつながっています。

こうして幕屋が完成し、聖別された時、「主(ヤハウェ)の栄光が幕屋に満ちた」(40:34)と描かれます。それはモーセすら入ることができないほどでした。これは、神がイスラエルの真ん中に住まれた圧倒的なしるしでした。

その後、主の雲が幕屋の上にとどまり、イスラエルの全家は、昼は雲の柱、夜は火の柱によって、神に導かれてシナイ山を離れ荒野に入ります(40:36-38)。これこそ、幕屋が建てられたことの目的でした。

今は、「あなたがたが神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っている」(Ⅱコリント3:16)と言われます。神は、この教会堂というより、クリスチャンの交わりの真ん中に臨在されるのです。私たちが真心をもって礼拝に集まっている場が、今、目に見えない栄光の雲に包まれているのです。

やがて実現する聖なる「都には、神殿を見なかった」(黙示21:22)と言われますが、それは、「万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だから」です。しかも、そこで神を目に見える形で現すのは、神のかたちに創造され、栄光の復活にあずかった私たち自身です。

人は神のかたちに創造されましたが、神にそむいて神のかたちとして生きることをやめてしまいました。そのとき、神の御子ご自身がこの地にくだってきて、「神のかたち」としての生き方を示してくださいました。私たちはそのイエスの生き方を、鏡に映すように見ること、つまり、黙想することで、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます」。

そして、新しいエルサレムに入れられるとき、私たちは、顔と顔とを合わせて、「神の御顔を仰ぎ見る」(黙示22:4)のです。これこそ救いの完成のときです。それは創造主ご自身が実現してくださる世界です。

そして、私たちは、今、ここで、その希望に胸を膨らませながら、様々な不条理と矛盾に満ちた地上で、今、「主の栄光を鏡に映すように見ながら」、この世界に神の平和(シャローム)を少しでも目に見える形で広げようと、日々を過ごすのです。

なお、主を礼拝する場を美しく保つために労し、黙想の生活をすることと、イエスの謙遜に習い、この世の貧しい人、虐げられている人々に仕えることは、一見、矛盾するように見られることがありますが、自分にとって大切な時間とお金を主に聖別するという点では全く同じことです。

礼拝と相互奉仕とはキリストの教会にとって車の両輪のようなものであり、両者ともに自分ではなく神の栄光を現わすためになされることです。それを通して、私たちもキリストに似せられてゆくのです。