マタイ28章16〜20節他「イエスに倣い神のかたちで生かされ、祝福を分かち合う」

2016年1月24日

私たちはみな小さい頃から、「この地で成功する」ようにと様々な訓練を受けています。そして、キリスト教会でも「弟子訓練」の大切さが説かれてきました。 “マタイ28章16〜20節他「イエスに倣い神のかたちで生かされ、祝福を分かち合う」” の続きを読む

マタイ18章15〜35節「イエスの御名による交わりの祝福」

2015年1月18日

しばしば、福音があまりに単純化され、「イエス様を信じたら死んでも天国に行ける…この世界はどうせ火で焼かれるのだから、地上の人間関係に心を煩わせる必要はない」などと誤解されることがあるかもしれません。しかし、イエスは今日の記事で、この地での兄弟に対する対応が、そのまま天に反映されると言われ、「この地で兄弟を赦さないなら、天の父もあなたを赦さない」という趣旨のことまで言っておられます。 “マタイ18章15〜35節「イエスの御名による交わりの祝福」” の続きを読む

マタイ1章17〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」

2014年12月21日

「親の因果が子に報い・・」というのは、とっても嫌な表現ですが、私たちの生きにくさの一面を言い当てているのかもしれません。たとえば、親から虐待を受けて育った子供は、親になった時、「私は親のようには絶対にならない・・」と願っているのに、同じ過ちを繰り返してしまう・・・ということがあります。 “マタイ1章17〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」” の続きを読む

マタイ1章1〜17節「新約の創世記 – イエス・キリストの系図」

2014年12月14日

「約束」という漢字には、目印を付け、木を束ねて縛るという意味が込められています。つまり、「約束」には互いを束縛する取り決めを忘れないようにするという意味があります。そして、これはヘブル語の「契約」ということばでも同じです。 “マタイ1章1〜17節「新約の創世記 – イエス・キリストの系図」” の続きを読む

マタイ1章18〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」

2012年12月24日

「親の因果が子に報い・・」というのは、とっても嫌な表現ですが、私たちの生きにくさの一面を言い当てているのかもしれません。たとえば、親から虐待を受けて育った子供は、親になった時、「私は親のようには絶対にならない・・」と願っているのに、同じ過ちを繰り返してしまう・・・ということがあります。依存症も、隔世遺伝すると言われることがあります。それに対して、聖書が語る「罪からの救い」とは、そのような「のろい」の連鎖から解放されることです。人はだれも、親を初めとして、自分の人生の基本的な部分を選ぶことはできませんが、神はそれらすべてを「祝福の基」とすることができる方です。 “マタイ1章18〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」” の続きを読む

マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」

2011年7月17日

「杖にすがるとも、人にすがるな」ということわざがあります。そして、「すがる」ということばをネットで調べたら、「誰かにすがるしかできない……」とタイトルで、「ひとりでいることが辛くて睡眠薬を大量に飲んでリストカットして気を失った……」などという女性の痛々しい記事がすぐに出てきました。「すがる」というのは依存症的な生き方の象徴なのかも知れません。 “マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」” の続きを読む

マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」 

2011年1月16日

祈りにはその人の性格が明確に現れます。たとえば、感情の激しい表出が自然な人もいれば、静かにポツリポツリと思いを語るほうが自然な人もいます。また、そのときの気持ちによっても祈りのかたちは変わることでしょう。イエスはここで、祈りに関してふたつのことを避けるように命じています。 “マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」 ” の続きを読む

マタイ2章1〜23節「手探りの歩みの中で宇宙大の救いを見る」

2010年12月26日

ローザンヌ世界宣教会議に出席した友人が、「宇宙大で考え、その地域で行動せよ」ということを示されたと言っていました。マタイ福音書におけるイエスの誕生をめぐる記事はまさに、宇宙大の出来事が記されています。それは旧約聖書の要約とも言えるダビデの子の系図から始まり、救い主の誕生を知らせる星の出現、東方の博士の訪問、エジプトへの逃避、バビロン捕囚の思い起こし、そして、ひなびた村のナザレに住むという展開です。 “マタイ2章1〜23節「手探りの歩みの中で宇宙大の救いを見る」” の続きを読む

マタイ1章1〜25節「神の約束の成就をこの地で見る」

2010年12月19日

「約束」という漢字には、目印を付け、木を束ねて縛るという意味が込められています。つまり、「約束」には互いを束縛する取り決めを忘れないようにするという意味があります。そして、これはヘブル語の「契約」ということばでも同じです。当時、契約を結ぶ儀式には、「のろい」の警告と「祝福」の約束が付随していました。 “マタイ1章1〜25節「神の約束の成就をこの地で見る」” の続きを読む