先日のメッセージでは、「携挙」と呼ばれる神学概念に絡んでテサロニケ人への手紙4章から話しました。最初に口走ってしまいましたが、フーテンの寅さんにも分かる話し方に心がけましたが、どうであったか、感想をお聞きできれば幸いです。 “信仰と政治——Ⅰテサロニケ4章からのメッセージ” の続きを読む
テサロニケ人への手紙第一4章9節~5章11節「今も再臨後も、主とともに生きる」
聖書の教えの基本は、十分な教育を受けられなかった人にも分かるものでなければなりません。その点で私は深い反省を迫られております。今回の箇所を選んだのは「携挙」に関しての質問があったからですが、礼拝説教が神学議論の場になってはいけないとも言えます。 “テサロニケ人への手紙第一4章9節~5章11節「今も再臨後も、主とともに生きる」” の続きを読む
Ⅰテサロニケ5章1〜28節「神があなたがたに望んでおられること」
私たちはこのままでイエスと同じ立場の神の子どもとされています。それは王子や王女であるよりもはるかにすごいことです。ところが私たちの心からは古い奴隷根性が抜けません。奴隷は脅しの力で動かされます。 “Ⅰテサロニケ5章1〜28節「神があなたがたに望んでおられること」” の続きを読む
Ⅰテサロニケ4章「主イエスが命じた歩み方」
クリスチャン生活の核心とは、いつでもどこでも、三位一体の神との交わりの中に生きることです。ただ、もっと具体的に、日々の歩み方において、神を知らない人々とどのような違いが生まれるべきかに関して、本日の箇所は三つの観点からわかりやすく解き明かされます。それは、性道徳、お金、死生観です。 “Ⅰテサロニケ4章「主イエスが命じた歩み方」” の続きを読む
Ⅰテサロニケ2章13節〜3章13節「信仰の成長とは?」
クリスチャンとして生きることを決めたからには、自分の信仰の成長を願うのは当然のことです。しかし、私の場合はどうも、「信仰の成長」などと言われると、信仰の世界にそれを測る何らかの人間的な尺度が持ち込まれるようで、抵抗感を覚えてきました。 “Ⅰテサロニケ2章13節〜3章13節「信仰の成長とは?」” の続きを読む
Iテサロニケ1章1節〜2章12節「生き方を通して伝わる福音」
私たちの教会では、聖書を誤りのない神のことばであると信じ、告白しています。神のみことばには私たちの生き方を変える力があります。ただし、みことばは、決して、この世の成功者の座右の銘のようなものではありませんし、格言のような情報でもありません。 “Iテサロニケ1章1節〜2章12節「生き方を通して伝わる福音」” の続きを読む