マタイ25章「タラントのたとえ」

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2016年夏号より

日本人の道徳律は、「人様に迷惑をかけてはいけません」かもしれません。そして、イエスの時代の律法学者も「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない」(旧約外典トビト4:15) と強調しました。しかし、イエスは、「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」(7:12) と言われました。これがゴールデンルールと呼ばれます。イエスの教えの特徴は「してはならない」という発想を「しなさい」という能動形に変えたことにあると言われます。減点主義は人を委縮させるからです。 “マタイ25章「タラントのたとえ」” の続きを読む

教会はキリストのからだ

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2016年春号より

私たちの教会は2013年5月に新会堂での礼拝を始めることができました。その後、今後の教会の成長の指針として新しい教会の標語の基本を決めました。ただし、私たちが教会に集まることの基本は永遠に変わることはありません。当教会ではその基本を以下の三つで表現しています。 “教会はキリストのからだ” の続きを読む

あなたはキリストの手紙です!

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2016年冬号より

使徒パウロは、問題ばかりを起こしているコリント教会の兄弟に向かって、「あなた方が……キリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれた」(Ⅱコリント3:3) と途方もないことを書きました。使徒パウロを非難したコリント教会の人々でさえ「キリストの手紙」であると呼ばれるなら、私たち自身も、「私はキリストの手紙です」と堂々と証しして良いと思えるのではないでしょうか。ただ、それは決して、「私はイエス様を信じて、このように成長できました」と宣伝することではなく、「創造主は、こんな私の祈りにさえ耳を傾けて、私の罪を何度でも赦し、このままの私の存在を喜び、私の歩みを導いていてくださいます」と証しすることです。 “あなたはキリストの手紙です!” の続きを読む

のろいから祝福へ

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2015年秋号より

幼児教室では子供たちが、「福音の汽車に乗っている、天国行きに。ポッポ!……切符はいらない。主の救いがある」と喜んで歌っています。ところが、ときに、未信者のお母様が、この歌を、「復員の汽車」と理解することがあるようです。それは、第二次大戦直後に、多くの方々が、地獄のような戦地から、家族の待つ故郷へと向かうために乗った、切符の要らない、無料の「復員列車」を思い起こさせるものです。 “のろいから祝福へ” の続きを読む

「戦後七十年を迎えるに当たって」 — 剣を鋤に、槍をかまに打ち直す社会を待ち望みつつ

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2015年夏号より

東日本大震災と福島原発事故の後、「これは第二の敗戦である」という論調が数多く見られました。人々は、「想定外」ということばの欺瞞に気づき、「安全神話」という「神話」が作られる日本的な「和」の精神を反省しました。ところがそれから4年も経たないうちに、その反省は風化しているような気がします。つい七十年前の大日本帝国の世界に住んでいた人々は、「神国日本は、最後には必ず勝つ!」という「神話」を守ろうとする「和」の中で、自分の正直な気持ちを押し殺して生きていました。ですから、米国が日本を占領し、その神話を崩してくれたときに、解放された気持ちを味わった人々が驚くほど多くいたように思います。日本のマスコミの論調は一夜にして百八十度変わりました。今、私たちは「体制派」「反体制派」という政治的な枠組みを超えて、日本社会が持つ独特の問題に目を向ける必要があります。決して、過度に卑下することなく、アダムの子孫としての限界に目を開くのです。 “「戦後七十年を迎えるに当たって」 — 剣を鋤に、槍をかまに打ち直す社会を待ち望みつつ” の続きを読む

私たちは「子にしてくださる御霊」 (the Spirit of Sonship) を受けたのです

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2015年春号より

私たちはしばしば、自分たちにすでに与えられている「神の子」としての立場をあまりにも過小評価してはいないでしょうか。キリスト者はすでに神の御子と同じ立場が与えられています。ただ、同時に、現実の私たちの姿は、王子や王女の立場にはふさわしくない気品の欠けた状態でもあります。私たちはまだまだ、キリストに似た「神の子」にまで変えられるという「途上」にあります。 “私たちは「子にしてくださる御霊」 (the Spirit of Sonship) を受けたのです” の続きを読む

主を喜ぶことはあなた方の力であるから

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2014年秋号より

ネヘミヤ記には、バビロン捕囚から解放され、エルサレムへの最初の帰還を果たしてから約90年余り後の城壁完成へのプロセスが描かれています。城壁完成後、「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はみな、いっせいに……集まって来た」(7:72、8:1) と描かれますが、これはエルサレム城壁の完成を祝うためです。過越しから第七番目の月の第一日は「ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合」の日で (レビ23:24)、後のイスラエルではそれが一年の始まりの日、元旦とされました。そして、その十日は民全体のための大贖罪の日、十五日から仮庵の祭りが始まり一週間続きます(今年のユダヤ暦では10月9日から16日に相当)。つまり第七の月はイスラエルにとって再出発を記念する月だったのです。 “主を喜ぶことはあなた方の力であるから” の続きを読む

王なる祭司

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2014年夏号より

「先の事を思い出すな。昔の事を思い巡らすな。見よ、わたしは新しい事をわたしは行う。今、もうそれが芽生えている。それをあなたがたは知らないのか。確かに、荒野に道を、荒地に川をわたしは設ける。野の獣がわたしをあがめる。ジャッカルや、だちょうさえも……。 “王なる祭司” の続きを読む

神の国の大使館としての教会

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2014年春号より

「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです」 (Ⅰペテロ2:9) “神の国の大使館としての教会” の続きを読む

創造主の恵みの御手に静まる

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2014年冬号より

詩篇19篇の最初は、「もろもろの天は神の栄光を語っている。大空は御手のわざを告げている」という表現から始まります。天は「語り」、大空は「告げている」というのです。また続けて、「昼は昼へと話を取り次ぎ、夜は夜へ知識を伝える」と記されていますが、聖書によると、昼と夜の繰り返しは、自然ではなく、神の命令が今日から明日へと語り継がれているしるしなのです。このことを預言者エレミヤは、「主(ヤハウェ)はこう仰せられる。もしあなたがたが、昼と結んだわたしの契約と、夜と結んだわたしの契約とを破ることができ、昼と夜とが定まった時に来ないようにすることができるなら、わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られる」(エレミヤ書33章20、21節) と書き記しました。 “創造主の恵みの御手に静まる” の続きを読む