株価最高値更新とルカ19章「ミナ」のたとえ

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2024年イースター号より

 私たちの教会が立川で礼拝を始めたのは、1989年10月、バブル経済の絶頂期でした。僕は10年間の証券会社勤務と3年間の神学校での学びを終えた後で、「自分が牧師になったら、すぐにでも教会が成長する……」という、愚かな自負心をもって働きを始めました。しかし、日経平均株価が1989年12月末に最高値をつけた直後、1990年には恐ろしいほどの暴落を始め、そのうち日本経済も長い低迷期に入りました。しかも、その後を辿るように、日本の多くのキリスト教会も低迷期に入ります。最近まで、2030年には日本最大の日本基督教団での75歳以上の信徒数が三分の二を占めるようになり、現在の教会の半分以上が維持できなくなるという危機感がささやかれていました。 “株価最高値更新とルカ19章「ミナ」のたとえ” の続きを読む

剣を取る者はみな剣で滅びます〜マタイ26:52

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2023年クリスマス号より

 パレスチナ・ガザ地区を支配するイスラム原理組織ハマスによる2023年10月7日の奇襲攻撃に関して、多くのイスラエルの指導者は、「ナチスによるホロコーストを思い起こさせる卑劣な攻撃であった」と言っています。それはあまりに常軌を逸した蛮行で、映像としては伝えられない残虐なテロでした。これはまさに米国にとっての2001年9月11日の世界貿易センター崩壊に相当する、恐ろしい蛮行と言えます。ただその結果、米国はテロ組織壊滅を目指してアフガニスタン、イラクへの攻撃を始めて多くの一般市民を巻き添えにし、それらの地域に政治的な混乱を引き起こしてきました。そして今、イスラエルも圧倒的な軍事力で、ハマスの殲滅を目指し、ガザ地区の一般市民を巻き添えにしています。今、世界的な世論は、イスラエルに対して驚くほど批判的になっています。 “剣を取る者はみな剣で滅びます〜マタイ26:52” の続きを読む

最悪の苦しみと嘲りの中に現された主の栄光

2023年4月7日(聖金曜日)
受苦日音楽礼拝でのショートメッセージ

今回の受苦日礼拝では、ヨハネ受難曲で用いられている合唱曲を何曲か歌っています。ヨハネ受難曲の最初の合唱曲の歌詞は、ヨハネが描いたイエスの十字架の意味を簡潔に描いています “最悪の苦しみと嘲りの中に現された主の栄光” の続きを読む

多くの者を義に導いた者は、 世々限りなく、星のようになる

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2023年イースター号より

二十歳近くも若い者が辻岡健象先生の思い出を語るのは恐れ多いことですが、先生の生き方を一言でまとめれば、「私心のない人」と言えましょう。いつもご自分の都合は後回しにして、目の前の人の必要に柔軟に対応し、寄り添う生き方を貫いて来られました。 “多くの者を義に導いた者は、 世々限りなく、星のようになる” の続きを読む

「私の主の母が私のところに来られるとは…」(ルカ1:43)

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2022年クリスマス号より

マリアは御使いガブリエルからの受胎告知を受けますが、その後のことが、「マリアはその日々の中で立ち上がって、山地に急いで向かった、ユダの町に」(ルカ1:39私訳) と記されています。それは自分の妊娠を知らされた直後の行動です。ガリラヤのナザレから遠く離れたユダの山地にある町に向かう当時の一般的なルートは、ナザレから東に向かい、ヨルダン川の向こうに下り、川の東沿いを南に歩き、エリコの近くで川を渡り、そこからユダの山地に向かって、まるで登山をするように標高差1200メートルを一気に登るというものでした。これは通常、四日間から一週間の道のりであったと言われます。 “「私の主の母が私のところに来られるとは…」(ルカ1:43)” の続きを読む

主の救いを身近なところに発見する

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2022年イースター号より

去る2月24日にロシアが大軍をウクライナに送り込み、世界の歴史が大きく動き出しました。ロシアの論理は、かつて日本が朝鮮半島から満州を支配し、中国に進軍したことに似ています。そこでは、米国や英国の支配からアジアを守るという大義が掲げられていました。そして日本の軍部は特に、米国の軍事的な圧力をひしひしと感じていました。ですから、日本軍による真珠湾攻撃は米国が用意した「罠」であるというのが今や歴史の通説になりつつあります。 “主の救いを身近なところに発見する” の続きを読む

神の神殿として建てられる

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2021年クリスマス号より

昨年来の新型コロナ感染症蔓延によって私たちの交わりの持ち方が変えられています。たとえば、水曜日の朝の祈祷会は Zoom で開かれていますが、70代から90代のご高齢の方が毎週参加してくださり、互いの安否を気遣いながら、互いのためにお祈りしています。そこでいつも感心するのは、そのご高齢の方お一人おひとりが、様々な不自由さを抱えながら、身近な方々に寄り沿い、仕える働きをしておられるということです。 “神の神殿として建てられる” の続きを読む

死の恐怖から、恵みの支配の中に生かされる幸い

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2021年イースター号より

新型コロナ感染爆発(パンデミック)から一年あまりが経過しましたが、なお終息の目処は立たず、多くの人々が「恐怖」に囚われています。それは聖書では「死の恐怖」と呼ばれます (ヘブル2:15)。仏教的な価値観では、すべての生き物が避けることができない「死」を受け入れ、生命への執着から解放されるための解脱の道を教えます。しかし、聖書では、「死」は人間にとっての「最後の敵」として、キリストによって滅ぼされるべきものと見られています (Ⅰコリント15:26)。 “死の恐怖から、恵みの支配の中に生かされる幸い” の続きを読む

見よ、わたしは新しいことをする

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2020年クリスマス号より

見よ。わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。

あなたがたはそれを知らないのか。

必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける (イザヤ43:19)

新型コロナ・ウィルスの脅威がますます激しくなっているように思える昨今ですが、これは社会が大きく変化する契機でもあります。14世紀には黒死病(ペスト)が、東アジアから西ヨーロッパに10年間のうちに瞬く間に広がり、1349年には西ヨーロッパ全体に広がり、人口の三分の一が死亡したと言われます。特にイタリアのフィレンツェでは人口が半分にまで激減します。一方、そのころローマカトリック教会は、政治的な対立から、教皇庁を1309年に南フランスのアヴィニヨンに移さざるを得なくなり、1378年から1417年にはローマとアヴィニヨンに二人の教皇が並立するような異常事態にありました。 “見よ、わたしは新しいことをする” の続きを読む