詩篇46篇、エレミヤ29章10〜14節「わたしはあなたがたの繁栄を回復する」

2021年7月11日 @ 東京センターチャーチ 

「困難(試練)の中で教えられること—3.11から10年、コロナ禍の中で」というテーマで考えさせられていることがあります。

多くの信仰者は、このようなわざわいの中に神からのメッセージを汲み取ろうとします。それは人間の傲慢さに対する創造主からの最後の審判の前触れとしての罰であるとか、人間が神のあわれみなしには一瞬たりとも生きていられないことを教えるための神の招きであるとか、今、人々が不安を味わっているときこそ福音宣教のチャンスであるとか、これらすべては間違っていないと思います。 “詩篇46篇、エレミヤ29章10〜14節「わたしはあなたがたの繁栄を回復する」” の続きを読む

エレミヤ29章〜31章「人の思いを超えた主の救いのご計画」

2015年12月13日

ユダヤ人は歴史上、何度も想像を絶する苦難に会ってきました。神がご自身を知らせるために選ばれた民が、なぜ・・・とも思います。しかし、苦難はすべて神の御手の中で起こったことで、それを通して新しい世界が開けてきたという現実も確かにあります。 “エレミヤ29章〜31章「人の思いを超えた主の救いのご計画」” の続きを読む

エレミヤ50章〜52章「エルサレムを心に思い浮かべよ」

2009年7月5日

私は証券会社にいたせいか、「市場経済」を軽蔑するような最近の世論に反発を感じます。つい、この前までは、家庭の主婦までが株や外国為替でお金儲けができると喜んでいたのですから、人の心の変わりやすさを思うばかりです。私たちは、切れ味のよい包丁は、同時に、恐ろしい武器にもなるということを忘れてはなりません。 “エレミヤ50章〜52章「エルサレムを心に思い浮かべよ」” の続きを読む

エレミヤ44章〜49章「わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにする」

2009年6月14日

「あの頃は、本当に楽しかったな・・・」となつかしく思いながら、ふと、「もう、あの喜びはもう過去のことなのだろうか・・」と寂しくなるようなことがないでしょうか。 “エレミヤ44章〜49章「わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにする」” の続きを読む

エレミヤ35章〜38章「主のことばを軽蔑する悲劇」

2009年5月24日

韓流ドラマなどでは良い人と意地悪な人の対比が驚くほど強調される傾向がありますが、現実の世の中のほとんどはどちらとも言えない人でしょう。今回の箇所には、「忠実な人」、「極悪人」、「気の弱い善人そうな悪人」の三種類が出てきます。 “エレミヤ35章〜38章「主のことばを軽蔑する悲劇」” の続きを読む

エレミヤ32章〜34章「私たちは真実でなくても、主は常に真実である」

2009年4月28日

私は昔、証券会社にいたとき、経済見通しが週ごとのように変わることに対し、何とも言えない空しさを感じていました。そのような中で、決して変わることのない聖書のことばに、心がますます惹かれるようになりました。 “エレミヤ32章〜34章「私たちは真実でなくても、主は常に真実である」” の続きを読む

エレミヤ21章〜24章「主のみことばを聴く群れとして」

2009年1月11日

アルコール依存症で明らかに人生が破綻している人のほとんどが、「まだ、自分は大丈夫だ・・」と思っているとのことです。その家族は疲労困憊しながら助けを求めているのに、当人は自分が病気であることを認めようとはしません。なぜなら、その病いの根本は、自分の弱さを正直に認められないことだからです。 “エレミヤ21章〜24章「主のみことばを聴く群れとして」” の続きを読む

エレミヤ17章19節〜20章18節「陶器師の御手の中で」

2009年1月4日

人間の苦悩の源泉は、「災害と退屈」であると言われます(ショーペンハウアー「孤独と人生」P43)。「災害」は創造主なる神が支配しておられますが、「退屈」は私たち自身が向き合うべき問題です。イスラエルの民は約束の地に入って生活が安定したとたん、カナンの刺激的な宗教に走りました。そして、最終的に神の怒りを買って、国が滅びます。それがエレミヤ書のテーマです。それは現代の私たちの課題でもあります。退屈(倦怠感)から逃げ出そうとして、やってはならない刺激的な誘惑に手を出し、自分で苦しみを招いてしまうということがないでしょうか。 “エレミヤ17章19節〜20章18節「陶器師の御手の中で」” の続きを読む