「困難(試練)の中で教えられること—3.11から10年、コロナ禍の中で」というテーマで考えさせられていることがあります。
多くの信仰者は、このようなわざわいの中に神からのメッセージを汲み取ろうとします。それは人間の傲慢さに対する創造主からの最後の審判の前触れとしての罰であるとか、人間が神のあわれみなしには一瞬たりとも生きていられないことを教えるための神の招きであるとか、今、人々が不安を味わっているときこそ福音宣教のチャンスであるとか、これらすべては間違っていないと思います。 “詩篇46篇、エレミヤ29章10〜14節「わたしはあなたがたの繁栄を回復する」” の続きを読む