岸田首相の所信表明演説〜エレミヤ29章4節、ローマ13:1–7

岸田文雄新総理大臣の所信表明演説原稿を拝見して

私たち福音自由教会においてはそれぞれの「良心の自由」を何よりも尊重することにしています。特にこの世の政治に関しては、それぞれの人の生まれ育った環境や受けた教育、育った時代背景が決定的な影響力を持っています。ですから、革新的な見解を持つ人は、どれほど議論しても同じ立場を貫きますし、保守的な政治見解を持つ人は、その理念を貫きます。そして、不思議に、どれほど聖書を読んでも、自分の政治理念を強化する読み方ができてしまうものです。ですから、教会で政治について語ることには本当に細心の注意が必要です。ただ、そのように言っていながら、政治議論を話題にせざるを得なくなるのが小生の性格ですので、それを割り引いてお読みいただければ感謝です。

岸田総理に「核兵器のない世界」に向けて、一歩でも二歩でも前進させて欲しいとともに祈るべきというのは、先日書きました通りで、それも所信表明演説で明確に述べられていました。一方、経済対策に関しては、話を聞いてもピンと来ていませんでした。今更、総裁選で60年余り前の池田内閣時代の所得倍増計画に言及するなど、「この人、大丈夫?」という意識を持っていました。しかし、一方、20年目からの構造改革、規制緩和を官邸主導で強調した小泉改革の流れが、現実には、日本経済の国際競争力強化としては実を見ることはできていませんでした。実は、この数年、小生自身も、日本経済のイノベーションや経済成長は、やはり政治が主導しなければうまく行かない面があるようなことに気づかされてきました。そのことを2019年10月の「舟の右側」に野村総合研究所のリチャード・クー主席研究員のリチャード・クー氏の「追われる国の経済学」からご紹介しました。趣旨は基礎研究への支出やベンチャー企業の育成を助けるような呼び水的な財政支出を活発にしなければ民間の研究開発や投資意欲も刺激されないということです。日本には、渋沢栄一のように、政治を動かして経済を活性化させる指導者が必要なのです。またコロナ不況の中で財政赤字を気にし過ぎることの愚かさを「現代貨幣理論 (MMT) の適用」から論じた記事を、「舟の右側」2021年2月号に書かせていただきました。それはコロナで困窮している人を助けるために効率的に財政支出を行うことの必要でした。本当に困窮している人々や産業を早急に助ける必要があります。それは政治が主導しなければ進みません。

今回の岸田総理の所信表明演説を拝見して、深く感心したのは、それらの成長戦略や社会的弱者保護の財政支出のことなど、「これが今の日本で求められている政策ではないか……」と感じていたことが、本当に網羅されているということでした。「人の話を聞くことが特技」ということが、従来の政治を主導してきた3A政治家の話しを聞くことばかりだと、揶揄されてきましたが、本当に、現在の日本に必要なことをよくわきまえておられると本当に感心しました。これをどのように実現できるか、実は、政策的には、野党の方々の主張と矛盾しないことが多々記されています。現在の短い国会において、それがきちんと議論されることを心より望んでいます。

エレミヤ29章10節には、バビロン帝国に捕囚とされたイスラエルの民に、偶像礼拝に満ちたバビロンの「その町の繁栄(平安:シャローム)を求め、その町のために、主 (ヤハウェ) に祈れ、その町の繁栄(平安:シャローム)によって、あなたがたは繁栄(平安:シャローム)を得ることになるのだから」と述べられています。お金を偶像としてしまっている多くの日本の町の繁栄を祈ることは、実は、私たち自身の生活の安定と、信仰の自由につながることです。

また使徒パウロは、「人はみな上に立つ権威に従うべきです……税金を納めるべき人には税金を納め……」(ローマ13:1–7) と、取税人の働きを応援するようなことを書いています。

もちろん、日本は民主主義国家ですから、主権は国民にあり、それぞれの国民が自分の理想を実現するために政治指導者を選ぶ自由が何よりも大切にされる必要があります。しかし、その際、日本経済の実態を冷静に見ることなく、問題の解決は簡単にできるような扇動的な政治指導者に踊らされてはなりません。貧富の格差の問題は、三千年前の聖書の時代からの課題なのですから、私たちは冷静に現実を見る必要があります。

政治経済のために、見解の相違を超えて、ともにお祈りできれば幸いです。