エゼキエル36章16節〜37章「神のみわざに心を開く幸い」

2015年4月5日 イースター

“Um Gottes Willen, mach die Tür auf!“「頼むから、ドアを開けてくれ!」というコックピットから締め出された機長の言葉が、ネットで広がっています。Um Gottes Willenとは、スラングで、「お願いだから」「とんでもない」など、様々な意味に用いられます。でも、これは文字通りには、「神のご意志のために」という意味です。そして、今回ほど、この文字通りの意味が、心に響いたことはありません。 “エゼキエル36章16節〜37章「神のみわざに心を開く幸い」” の続きを読む

エゼキエル47章13節〜48章35節「主はここにおられる」

2010年2月7日

無教会の指導者、矢内原忠雄氏は1920年から37年まで東京大学で、国際連盟に転出した新渡戸稲造の後継者として植民政策の講座を担当、多くの研究業績をあげますが、その平和主義思想のゆえに大学を追われました。 “エゼキエル47章13節〜48章35節「主はここにおられる」” の続きを読む

エゼキエル40章〜47章12節「生ける水の川が流れ出る」

2010年1月24日

エゼキエル40章以降をどう解釈するかは、今後の世界の歴史を見る上での鍵となります。ここには、世界中からイスラエルの民が集められ、エルサレムに理想的な神殿と礼拝が実現することが記されています。 “エゼキエル40章〜47章12節「生ける水の川が流れ出る」” の続きを読む

エゼキエル36章16節〜39章「神のみわざに心を開く幸い」

2010年1月17日

旧約聖書を初めて通読した頃、私はいつも自分の不信仰に悩んでいました。しかし、エゼキエル36章26節の、「わたしは、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける」というみことばに深く感動しました。 “エゼキエル36章16節〜39章「神のみわざに心を開く幸い」” の続きを読む

エゼキエル33章1節〜36章15節「目に見える救いの約束」

2009年12月27日

2006年のトリノ・オリンピックでも歌われたジョン・レノンの不朽の名曲、「イマジン」の初めでは、「想像してごらん。天国なんてないって・・・やってみたら簡単なことだよ。私たちの下に地獄もない。上には、空があるだけさ。想像してごらん。みんなが今日を生きているんだ」と歌われます。この歌詞は、天国を皮肉り、死後のさばきを否定するという反聖書的なものに見えます。しかし、ジョンがこのように歌ったのは、当時のキリスト教道徳が、天国への「夢」を説いてこの世への不満を沈黙させ、地獄への「脅し」で人々の自由を抑圧しているように思えたからです。 “エゼキエル33章1節〜36章15節「目に見える救いの約束」” の続きを読む

エゼキエル29章〜32章「伝統的権威の罠」

2009年11月29日

古代エジプトと日本には共通点があります。それは、すべての異国の文化を飲み込み、自国化するということです。古代エジプト文明は約三千年続いたと言われますが、最後の三百年間はアレキサンダー大王の後継者によるギリシャ人が支配する王国でした。 “エゼキエル29章〜32章「伝統的権威の罠」” の続きを読む

エゼキエル24章〜28章「国際貿易都市ツロの繁栄と没落」

2009年11月8日

今から40年前、「大きいことはいいことだ・・」などという森永チョコレートのCMソングがはやりました。しかし、大きな国は意外に短命な一方で、小さな都市国家が千年も続くということがあります。 “エゼキエル24章〜28章「国際貿易都市ツロの繁栄と没落」” の続きを読む

エゼキエル20章〜23章「わたしは、ねたむ(やきもちをやく)神」

2009年10月25日

聖書の神の特質は、何よりも、「ねたみ」にあると言われます。事実、「十のことば」の中で、主は、「わたしはヤハウェ、あなたの神、ねたむ神である」(出エジ20:5私訳)と言われます。しかし、これは現代の日本人にはなかなか理解しにくいことばです。 “エゼキエル20章〜23章「わたしは、ねたむ(やきもちをやく)神」” の続きを読む

エゼキエル12章〜15章「平安がないのに『平安』と言う者へのさばき」

2009年9月27日

フィリピンを初めて訪問して、正直なところ、その騒音と汚さと治安の悪さに閉口しました。私は決して、あの国には住めない人間だと思い、妙に、ドイツの生活をなつかしく感じました。 “エゼキエル12章〜15章「平安がないのに『平安』と言う者へのさばき」” の続きを読む