エゼキエル40章~47章12節「神殿から生ける水の川が流れ出る」

2023年8月27日 

旧約の預言が二千年前のイエスの登場によってどれだけ実現し、何が将来に残されているかという見分けが、聖書解釈に大きな違いをもたらします。

かつての米国福音自由教会の多数派であった古典的な「千年王国」論を信じる方々は、その時期をエゼキエル40章以降に預言された神殿預言の成就の時と理解しました。一方、ルター派やカルバン派などのプロテスタント主流派は、エゼキエルの神殿預言の核心は、イエスの十字架と復活によって成就したと考え、将来的な神殿の復興の必要を認めてはいません。

エゼキエルの神殿を丁寧に見直したいと思いますが、ソロモン神殿と比較するとその特徴は、神殿の壁の厚さや門の大きさにあり、そのテーマは聖と俗との分離にあるということが明らかです。

なお、イエスの時代のエルサレム神殿は、ヘロデ大王が46年もかけて増築した壮麗なものでしたが、外面的には、その設計に最も大きな影響を与えているのがこの預言でした。

イエスはそれを前に、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」と言われましたが、そこには、「イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった」という解説が記されています (ヨハネ2:19–21)。

しかもイエスは、ご自身を信じる人の心の奥底からは、「生ける水の川が流れ出るようになります」と言われました (ヨハネ7:38)。それは、私たち一人ひとりが、聖霊の宮とされるからです。

私たちは、ここに記されたことの外面的な設計図を注意深く見ながらも、これを記させ、またイエスを遣わされた神のみこころの真意に迫る必要がありましょう。

1.「門の長さは50キュビト (26m)……聖なるものと俗なるものとを分けていた」

40章初めには、「私たちが捕囚となって25年目の年の初め……町が占領されてから14年目のちょうどその日に、主 (ヤハウェ) の御手が……私をそこへ連れて行った」と記されます。

それはエルサレム陥落から14年が経過した日に、主は新しいエルサレムの姿を見せてくださったという意味です。これはその19年前の8章~11章においては、神殿の中で偶像礼拝が行われ、主の栄光が立ち去ったこととの比較で考えられるべきことです。

そして今、エゼキエルは、「神々しい幻のうちに……イスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた」(40:2) と記されます。エルサレムが「非常に高い山」と描かれるのは、これが終末的な町であることのしるしだと思われます。

そして「南のほうに、町のようなものが造られていた」と言われながら、彼を新しいエルサレム神殿の中に招き入れ、御使いが彼を案内し、そのサイズを中心に示してゆきます。

そこで主は彼に、「あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ」(40:4) と言われます。

その際、御使いが測るサイズは、「普通の一キュビトに一手幅を足した長さ」でしたが、それは約52㎝で、測り竿の長さは6キュビトで約3.11mに相当します。その神殿には「外側を巡って取り囲んでいる壁があった」のですが、「その外壁の厚さを測ると、一竿であり、その高さも一竿であった」と記されます (40:5)。これは中国の万里の長城に匹敵するような分厚い壁です。

さらに東向きの門の構造が詳しく記されますが、両側に各三つもの控え室を持つ壮大なもので、「入口の門の前から内側の門の玄関の間の前までは50キュビト」もありました (40:15)。つまり、この一つの門を通り抜けるのに約26mもの距離があったのです。

門を過ぎるとそこには「外庭」が広がり、その内側には「内庭」が仕切られ、同じ大きさと構造の門がありました。外庭の幅は約52mで、その内側に約26mもの幅の門と部屋の仕切りが置かれ、それに囲まれた内庭がありました。そしてその真ん中に、いけにえを献げる「祭壇」が置かれていました。

興味深いのは、外庭に入るための門が、東、北、南に同じように描かれ、また内庭に入るための門が、南、東、北それぞれに「門の長さは50キュビト (26m)、幅は25キュビト (13m) であった」と六回も繰り返されていることです。

さらに外側の門の前には七段の階段が、また内側の門の前には、それぞれ八段の階段がありました。

40章38–43節には内側の門に隣接する動物の「ささげ物を屠る」施設が描かれ、44–46節には内庭にある祭司たちのための部屋が二つ描かれます。

そしてようやく、「彼が(内)庭を測ると、長さ百キュビト (52m)、幅百キュビトの正方形であった。神殿の前には祭壇があった」という神殿の中心部分が描かれます。

40章48節から神殿内部へと入りますが、その前に玄関の間があります。その入り口の門の幅は14キュビト (約7m)、その部屋の奥行は12キュビト (約6m) もありました。

また「そこへ上るのに階段があり」ますが、それは10段の階段であったようです (七十訳)。つまり外庭に入るのに7段、内庭に入るのに8段、聖所に入るのに10段の階段があり、それぞれに途方もなく大きな門、また玄関の間があったというのです。

そして、「彼は私を本殿へ連れて行った……入り口の幅は10キュビト (約5m)……本殿の長さは40キュビト (約20m)、幅は20キュビト (10m) であった」(41:1、2) と記され、その奥の至聖所」の入り口は6キュビト (約3m)、その内部は長さ幅とも20キュビト (約10m) の正方形でした (41:4)。

ただ不思議に、そこに何があるかは記されません。ただこれに至る入り口の幅が、14キュビト、10キュビト、6キュビトと徐々に狭くなる様子が描かれているのが特徴的です。

そして、神殿の壁の厚さは6キュビド (約3m) で、それをその外側を覆う厚さ4キュビド (約2m) の脇間で支える構造となっていました。しかも脇間は三階建てで、その螺旋階段(回廊)は上に行くほど広くなるという不思議な構造でした (41:6、7)。この神殿本体の大きさも構造も、ソロモンが建てた神殿とほとんど同じです (Ⅰ列王6:5、6参照)。

ただ、ソロモンの神殿ではその内部の調度品の豪華さが強調されていましたが、ここでは「神殿の内側にも外側……これを囲むどの壁の内側にも外側にも綿密に考案された図柄があり、ケルビムとなつめ椰子の木が彫刻してあった」と記されているに過ぎません (41:17、18)。

さらに最後に、「本殿と至聖所にそれぞれ二つの扉があり、 それらの扉にはそれぞれ二つの戸が折りたたむようになっていた」(41:23、24) と記され、神殿内のそれぞれの入り口の「扉」の様子ばかりが詳しく描かれます。

42章1–9節には巨大な祭司用の部屋が描かれます。それは「長さは100キュビト (約52m)……幅は50キュビト (約26m)」というもので、「外庭の石畳に面して、三階になったバルコニー」でした (42:1–3)。さらに北側と南側に同じ建物があり、「外庭から入れるように、東側に出入口があった」(42:9、12) と記されます。

この部屋の用途が「聖なる部屋であって、主 (ヤハウェ) に近づく祭司たちが最も聖なるささげ物を食する所である」(42:13) と記されます。

それと同時に「祭司たちは……聖所からそのまま外庭に出てはならない。彼らが奉仕に用いる服は聖であるから、そこに置き、ほかの服に着替えてから」(42:14) と記され、神聖な衣服と普通の衣服の着替えまでが指示されます。それは祭司が主に聖別された働きにつくことを明確にするためです。

42章15–20節には神殿の敷地全体の広さが描かれますが「500竿」(約1500m) というサイズは、上の記述と矛盾しますので、多くの翻訳はこれを500キュビトと記します。

それにしても神殿の敷地は約260m四方あまりの広大なもので、最後に聖なるものと俗なるものとを分けていた(42:20) と記されます。これこそ、この神殿描写の目的と言えましょう。そのためにこそ厚い壁、長い門、祭司の部屋などの描写があったと言えます。

興味深いのは、神殿本体はソロモンの神殿と基本的に同じですが、以前は外庭と中庭の区別がなく、動物の「ささげ物」を献げる庭の広さについての記述もありませんでした。モーセ時代の幕屋は長さが約44m、幅が22mでしたから、それよりも広かったことでしょうが、ソロモンの神殿のその後の悲劇は、神殿と政治の区別がなく、王が祭司としての働きをしてみたり、神殿の敷地内に偶像礼拝の設備が混入されたりしたことにありました。

それに対しエゼキエルに示された神殿では、聖なるものと俗なるものを明確に区別して、神殿礼拝の中に世の論理が入り込まないように注意深い配慮がなされていたということでしょう。

なおイエスの時代のエルサレム神殿は、ヘロデ大王が大拡張工事を行ったもので、その敷地面積は、南北が450m、東西が300mというエゼキエルの神殿の二倍の広さを持ち、その中も異邦人の庭、婦人の庭、イスラエルの庭と三重に仕切られていました。

ヘロデは自分を予言されたイスラエルの救世主に位置づけようと壮大なものを造ろうとしたのだと思われます。しかし、彼の心は汚れたもので、神殿の敷地として区切られた庭も、商売の場所とされていました。

後にイエスが、「宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒され……『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている」(マタイ21:12、13) と言われたのは、このようなエゼキエル預言を意識してのことだったと思われます。

なおそこで引用されたのはイザヤ56章で、そこでは終わりに日の礼拝に、主を恐れる宦官や外国人までもが招き入れられると、招かれる者たちの幅の広さが強調されていました。

ただここでは主に属するものをこの世のものから聖別するということが強調されています。この二つの見方に矛盾はありません。ただヘロデだけは、イザヤの心もエゼキエルの心も飛び越えて、エゼキエル預言に記された神殿の外形のみを大きくしたに過ぎなかったのです。

2.「主 (ヤハウェ) の栄光が東向きの門を通って神殿に入って来た」

エルサレムが陥落する五年前 (8:1)、エゼキエルは、 (ヤハウェ) の栄光が神殿の敷居から出て行って……都の東にある山の上にとどまった」のを見ました (10:18、11:23)。神殿が破壊されたのは、主の栄光が立ち去ったことの結果でした。

それに対し43章2–4節ではその逆に、「イスラエルの神の栄光が東の方から現れた。その音は大水のとどろきのようで、地はその栄光で輝いた……私はひれ伏した。 (ヤハウェ) の栄光が東向きの門を通って神殿に入って来た」と描かれます。

そして彼は「なんと、主 (ヤハウェ) の栄光が神殿に満ちていた」(43:5) という圧倒的な (ヤハウェ) の臨在に感動を覚えます。彼が見た神殿内部の簡素さは、主の栄光が戻ってくるときに、何の人間的な装飾も意味をなさないことのしるしだったのではないでしょうか。

43章7節で主はエゼキエルに、「ここはわたしの玉座のある場所……永遠にイスラエルの子らの中で住む場所である。イスラエルの家は……もう二度と……わたしの聖なる名を汚さない」(43:7) と言われます。

そして主は、彼らの昔の罪を指摘した上で、「もし彼らが、自分たちの行ったあらゆることによって恥じるなら……彼らに神殿の構造とその模型、その出口と入り口……神殿のすべての掟……すべてのおしえとともに示し……目の前で……書きしるせ」(43:11) と言われます。

つまり彼に示された神殿は、世の終わりに天から降りてくるものである前に、イスラエルの民が捕囚の地からから戻ってきたときに建てるべき神殿の設計図であったのです。

しかし、彼らはその前に自分たちの罪を徹底的に悔い改め、自分たちの間から汚れを取り除く必要がありました (43:8、9)。しかしイエスが現れた時、彼らの偽善を徹底的に追求することになりました。

43章19節で、主はさらに、「わたしに近づく、ツァドクの子孫のレビ人の祭司たちに……罪のきよめのための……若い雄牛一頭を与えよ……あなたはその血を取り……祭壇から罪を除き、そのための宥めを行う」といわれます。これはレビ記8章などにある規定のとおりです。

ただし25、26節での、「七日間……罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹をささげ……祭壇のための宥めを行い……聖別する」という期間の設定は、ソロモンが「七日間、祭壇の奉献を行い」(Ⅱ歴代7:9) に準じたものと思われます。

そして「この期間が終わり、八日目とその後は、祭司たちが祭壇の上で……献げる。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる」(43:27) とあるのは、祭壇がきよめられて初めて、人々のささげ物が受け入れられることを意味します。

ヘブル書9章22、23節では、「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。ですから、天にあるものの写しは、これらのものによってきよめられる必要がありますが、天上にある本体そのものは、それ以上にすぐれたいけにえによって、きよめられる必要があります」と記されます。

ですから、エゼキエルの規定は、「天にあるものの写し」である地上の神殿のきよめ、キリスト以前に適用されるものであることが明らかです。

私たちはもう、エゼキエルの神殿がエルサレムに建てられることを待ち望む必要はありません。それは、「キリストは、ただ一度だけ、世々の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました」(同9:26) とある通りです。

私たちは、エゼキエルのいけにえ規定を見ることで、イエス・キリストによる救いが、そこに示されたビジョンを超えたすばらしいものであったことを知ることがでるのです。

44章には、「聖所の東向きの外の門」が「閉じられたままに」されるべきことが命じられています (1、2節)。今も、エルサレム旧市街の東の城壁は、黄金の門と呼ばれ、閉じられたままです。それは主の再臨を待ち望むという意味があるようです。

しかし4節では再び、「私が見ると、なんと、主 (ヤハウェ) の栄光が主 (ヤハウェ) の宮に満ちていた」と描かれます。イエスが当時のエルサレム神殿に入ってきたことは、まさに「 (ヤハウェ) の栄光」が神殿に入ったこと、また「主 (ヤハウェ) の栄光」を現わしてくださったことを意味します。ですから、ここに示された礼拝規定は、イエス・キリストによって更新されたと理解すべきでしょう。

それにしてもこのとき主は、「心に割礼を受けず、肉体にも割礼を受けていない異国の民は、だれもわたしの聖所に入ってはならない」(44:9) と言われながら、同時にレビ人でもわたしから離れ去ったので、彼らは自分たちの咎を負わなければならない……彼らは……わたしに近づいてはならない」(44:10、13) と言われました。

これは、主を恐れない外国人と肉における形だけのレビ人は、主の前に出ることはできないという意味です。「しかし……わたしの聖所の任務を果たした、ツァドクの子孫のレビ人の祭司たちは……わたしの聖所に入ることができる」(44:15、16) とも言われます。

パウロも「御霊による心の割礼こそ割礼です」(ローマ2:29) と記しています。

44章28節からは土地の分配のことが描かれます。そこではまず祭司たちが、主への奉仕によって、その必要が満たされるべきことが強調されます。ただ、45章1–6節では主に聖別されるべき土地やイスラエル全家の共有地のことが描かれます。

45章7節には興味深いことに「君主の土地」のことが記されますが、それはモーセ律法の時代には王がいなかったからです。彼らが王政を求めた結果として、律法による土地配分の根幹が崩れてしまいました。それでここでは、王がいるのを前提とした土地配分のことが改めて示されたのです。

その上で主は、「わたしの民を重税で追い立てることをやめよ」(45:9) と言われながら、王の課税権に制限を設けました。なお、イスラエルの王は全民衆の代表として、主 (ヤハウェ) に各種の「ささげ物」を献げることが求められましたが (45:17)、王はあくまでも礼拝者の代表として位置づけられています。

46章には、この神殿における礼拝の仕方が記されますが、2節では「君主は……門の戸口の柱のそばに立つ。祭司たちは彼の全焼のささげ物を……献げ」と記され、王ですら神殿の中庭には足を踏み入れることは許されませんでした。

ソロモンを含めイスラエルの王はしばしば、祭司の務めを自分でしたり、また祭司たちを自分の手下として動かしたりしましたが、王には神殿を支配する権利はないと言われているのです。

なお、その際、「民衆も……その門の入口で、主 (ヤハウェ) の前に礼拝をする」(46:3) とあるように、王は内庭の門の敷居までは入りますが、一般の人々は、約25mもある長い門の外側から、内庭で行われている礼拝の様子をほとんど見ることができないまま、なお、その外庭に立ち続ける必要がありました。

3.「その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります」

47章では、新しい神殿での礼拝の結論として、世の終わりに起こる驚くべきことが描かれます。

「彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた……その水は祭壇の南……から流れていた」(47:1) とは、エルサレム神殿がエデンの園のようになるということです。

神が世界を創造したとき、ユーフラテス川の源流はエデンの園にありました。今、エゼキエルは肉体的にはユーフラテス下流のバビロンの支配地に捕囚とされています。そこから見たら、エルサレムは水が不足した貧しい乾いた地であるばかりか、文化的にも劣った地と見られていました。

しかし、終わりの時代には、エルサレムこそが世界の中心となり、エルサレム神殿こそが、世界の祝福の源となるというのです。

詩篇46篇でも、「川が、いと高き神の聖所から沸き出で、その流れは神の都を喜ばせる」(4節私訳) と記されています。

御使いはエゼキエルを外庭の東の門の外に連れ出し、そこから流れ出る川の深さを測らせますが、一千キュビト (約500m) ごとに流れは深くなり、四千キュビト (約2km) 下ったところで、「水かさは増し……渡ることのできない川となった」(47:5) と描かれます。これは神殿がユーフラテスのような大河の源になったことを意味します。

そして「川の両岸に非常に多くの木があった……この水は東の地域に流れて行き、アラバに下って海に入る。海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる」(47:7、8) と描かれます。これは、この川がヨルダン渓谷に流れ込み、死海の水を、魚が住めるような水に変えるということです。

なお、エルサレムの東側にはオリーブ山がありますが、ゼカリヤ14章では、「オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる……その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に……向かい」(4、8節) と描かれます。まさに山が移ってエルサレムからの水の流れる道が作られるのです。

しかも、「この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる(47:9) と記され、その上で死海がどの海より豊かな魚の宝庫になると言われます。

そして 「川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる」(47:12) というエデンの園の祝福が描かれます。

黙示録はそれを前提に、新しいエルサレムの姿を、「水晶のように輝く、いのちの水の川……は神と小羊との御座から出て、都の大通り……流れ……十二種の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした」(22:1、2) と記されています。

しかも私たちはこのような祝福を、今から味わうことができます。イエスは、仮庵の祭りの終わりの大いなる日に、神殿の外庭の中に立って、大声で、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります」(ヨハネ7:37、38) と驚くべきことを言われました。

この祭りのときには、祭司たちはイザヤ12章3節の「あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から」を繰り返しながら、七日間にわたって南の端のシロアムの池から水を汲み、1kmぐらい上って神殿の祭壇に水を注ぎました。これは神殿から水が流れ出ることを期待しての儀式でした。

イエスはその一連の儀式の翌日に、ご自身に信頼する者は、心の奥底から、生ける水の川が流れ出るという途方もないことを言われたのです。これはイエスを信じるすべての者に聖霊が与えられ、その身体が神の宮とされ、周りの人々を祝福する泉とされるということを意味します。

つまり、新しいエルサレム神殿から生ける水の川が流れ出るという約束は、聖霊によって、まず私たち一人ひとりのうちに霊的に実現することなのです。私たちの中で、イエスが真に救い主、癒し主、贖い主として認められるとき、イエスが私たちを通して働かれ、私たちの周りに生ける水の川を流れさせてくださるのです。

エゼキエルが預言した神殿には心臓部である契約の箱の記述もなく、当時の概念を超えています。その核心は「主 (ヤハウェ) の栄光」の臨在で、黙示録21章22節以降に描かれた、全能の主と子羊が神殿となる「新しいエルサレム」の描写とつながります。

つまり、この神殿は文字通りに実現すべきものというより、天の本物の神殿と主ご自身が神殿となるという希望を指し示したものと言えましょう。今もイスラエルの民は、エゼキエルの預言が成就し、エルサレムに壮大な神殿が建てられることを期待しています。そして千年王国が実現した時、その預言が成就するという解釈もあります。

しかし、文字通りの神殿建設のビジョンは、現在のエルサレムでは武力紛争の種になり得ます。一方イエスは当時の人々の心の偽善を厳しく指摘された上で、彼らの罪を負って十字架にかかり、永遠の贖いを成し遂げてくださいました。

そしてヘブル人への手紙は、もう地上の神殿は必要ないことをユダヤ人に教えるために記されたとも言えます。

私たちはイエスが約束された「心の奥底から生ける水の川が流れ出る」という約束にこそ目を留めるべきでしょう。