芥川賞受賞作「ハンチバック」──「生きよ」〜エゼキエル16章、38、39章

最新の芥川賞受賞作 市川沙央氏の「ハンチバック」を読みました。一回目読んだときは、正直、「何か、気持ちが悪くなる……」という感じばかりが残ってしまいました。ただ、小説の最後に、何の説明もない形で、聖書エゼキエル38、39章の抜粋がありましたので、どうも捨て置けないという気持ちになって再度読みました。

彼女は筋疾患先天性ミオパチーという難病を抱え、人工呼吸器使用の不自由な生活の中で小説を書き、見事、芥川賞受賞の栄誉にあずかりました。

ハンチバックとはご自身の「右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲したS字の背骨」のことを指すようですが、彼女は小説の最後で、「わたしはせむし(ハンチバック)の怪物だから」と、太宰治の「人間、失格」を彷彿とさせる表現がでてきます。彼女は自分の痛みを次のように描いています。

生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく、死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証しとして破壊されてゆく。

彼女はその中で、自分の願望を次のように記しています。

普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です。

彼女はそれが、「子を殺す」という殺人であることを自覚しながら、なお、それを望む……という気持ちを書いています。

たぶん、彼女は、多くの人々の同情を受けながら、「一人の人間として見て欲しい」と心の中で叫び続けていたのかなと思います。日本の障がい者保護政策は、「人格を尊重する」というよりは、「かわいそうな人を助ける……」という、上から目線の保護政策、そこには弱者に対する「軽蔑」に似た思いがあるような気がします。

彼女が小説の最後に抜粋引用したエゼキエルの口語訳は次のようになっています。

ゴグよ、終わりの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。

その日、すなわちゴグがイスラエルの地に攻め入る日に、わが怒りは現れる。わたしは、わがねたみと、燃え立つ怒りをもって言う。

わたしはみなぎる雨と、ひょうと、火と、硫黄とを、彼とその軍隊および彼と共におる多くの民の上に降らせる。

わたしはゴグと、海沿いの国々に安らかに住む者に対して火を送り、彼らにわたしが主であることを悟らせる。わたしはわが聖なる名を、わが民イスラエルのうちに知らせ、重ねてわが聖なる名を汚させない。諸国民はわたしが主、イスラエルの聖者であることを悟る。

主なる神は言われる、見よ、これは来る、必ず成就する。これはわたしが言った日である。

なお、このゴグに対するさばきは、エゼキエル37章で、イスラエルが干からびた骨の状態にあることに絶望する人に対し、主ご自身が干からびた骨にいのちの息を与え、復活させるという、旧約の復活預言の後に登場する記事です。それは弱いイスラエルを守るために、自分の力を誇るゴグにさばきを下すというストーリーです。

ひょっとすると、作者の市川さんは、ゴグのように神の怒りの対象とされるほどに、自分のいのちを大きな存在として認めて欲しいという願望の現れとしてこのエゼキエル書を引用したのかもしれません。

彼女の小説の帯に、「爽快極まる露悪趣味。しびれました」と記されていました。この露悪趣味を敢えて描くことで、「生きにくさを抱えた人を、同情するのではなく、その存在を、その人格を認めて欲しい」と訴えているような気がしました。

しかし、エゼキエル書のテーマは、まさに、そのような「生きる」ことにもがいている人に対する語りかけです。その16章には次のように記されています。

あなたの生まれた日に、あなたは嫌われ、野に捨てられた。
わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、わたしは血に染まったあなたに『生きよ』と言い、血に染まったあなたに繰り返して『生きよ』と言った。
わたしはあなたを野原の新芽のように育て上げた
エゼキエル16:5–7

ところが、神に生かされたイスラエルは別の神々に浮気をして、神のさばきを受け、再び滅亡に向かいます。そのような自業自得で滅亡に向かう民を、再び立たせるためにご自身の聖霊を与えて彼らを生かすというのがエゼキエルのストーリーです。ただ、この世の人々は、目に見える「力」に憧れます。それが「ゴグ」という名で登場します。しかし、神は自分の力を誇って弱者を虐げる者にさばきをもたらし、再び、イスラエルを生かしてくださるというストーリーがエゼキエル書に記されています。

市川さんが、そのような意味でこのエゼキエル書を引用したのなら感謝なのですが、普通の読者には、そのようには決して読めないだろうと思うので、敢えて記させていただきました。

様々な生きにくさを抱えた方々の人格を尊重してともに生かしあう社会を目指したいと思います。その中に、胎児の人権も含めて考えたいと思わされました。