黙示録の要約「大バビロンの誘惑に耐える」

2010年2月14日

黙示録は聖書の中で最も誤解されやすい書物のひとつです。しかし、これは信仰者にとって不可欠な励ましの書です。22章10節に、「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである」と記されていますが、これは、たとえばダニエル書で、終わりの日の幻に関して、「あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ」(12:4、9) と記されているのと対照的です。またこの書は、英語では、Revelation(啓示)と呼ばれるように、これは隠されたことばではなく、信仰者すべてに特別に明らかにされた希望のことばです。 “黙示録の要約「大バビロンの誘惑に耐える」” の続きを読む

エゼキエル47章13節〜48章35節「主はここにおられる」

2010年2月7日

無教会の指導者、矢内原忠雄氏は1920年から37年まで東京大学で、国際連盟に転出した新渡戸稲造の後継者として植民政策の講座を担当、多くの研究業績をあげますが、その平和主義思想のゆえに大学を追われました。 “エゼキエル47章13節〜48章35節「主はここにおられる」” の続きを読む

ルカ22章63節〜23章12節「自分の都合によってイエスをさばく人々」

2010年1月31日

17世紀最高の科学者パスカルは、「あることが私の気に入ったり、気にさわったりする」というのは、何かの理由があるという以前に、「気にさわるからこそ、その理由が見つかるのだ」と言いました(パンセ276)。 “ルカ22章63節〜23章12節「自分の都合によってイエスをさばく人々」” の続きを読む

エゼキエル40章〜47章12節「生ける水の川が流れ出る」

2010年1月24日

エゼキエル40章以降をどう解釈するかは、今後の世界の歴史を見る上での鍵となります。ここには、世界中からイスラエルの民が集められ、エルサレムに理想的な神殿と礼拝が実現することが記されています。 “エゼキエル40章〜47章12節「生ける水の川が流れ出る」” の続きを読む

エゼキエル36章16節〜39章「神のみわざに心を開く幸い」

2010年1月17日

旧約聖書を初めて通読した頃、私はいつも自分の不信仰に悩んでいました。しかし、エゼキエル36章26節の、「わたしは、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける」というみことばに深く感動しました。 “エゼキエル36章16節〜39章「神のみわざに心を開く幸い」” の続きを読む

箴言16章〜17章「あなたのしようとすることを主(ヤハウェ)にゆだねよ」

2010年1月3日

あなたにとって「ゆだねる」とは何を意味するでしょうか。ある人にとっては、それは「あきらめる」こと、つまり、自分で努力するのをやめること、またある人にとっては、いろんなことを事前に考えるのを止めて、大胆な計画にでも身を任せるせることかもしれません。しかし、そのどちらにも問題があるのは明白ではないでしょうか。 “箴言16章〜17章「あなたのしようとすることを主(ヤハウェ)にゆだねよ」” の続きを読む

エゼキエル33章1節〜36章15節「目に見える救いの約束」

2009年12月27日

2006年のトリノ・オリンピックでも歌われたジョン・レノンの不朽の名曲、「イマジン」の初めでは、「想像してごらん。天国なんてないって・・・やってみたら簡単なことだよ。私たちの下に地獄もない。上には、空があるだけさ。想像してごらん。みんなが今日を生きているんだ」と歌われます。この歌詞は、天国を皮肉り、死後のさばきを否定するという反聖書的なものに見えます。しかし、ジョンがこのように歌ったのは、当時のキリスト教道徳が、天国への「夢」を説いてこの世への不満を沈黙させ、地獄への「脅し」で人々の自由を抑圧しているように思えたからです。 “エゼキエル33章1節〜36章15節「目に見える救いの約束」” の続きを読む

ローマ8章1〜17節「罪深い肉と同じような形で」

2009年12月20日

今年は有名女優の薬物依存が大きな話題となりました。依存症は「否認の病」と呼ばれます。依存症の人は、自分が自分を制御できないということを認めることができないからこそ、何度も同じ過ちを繰り返し、その度に自己嫌悪をつのらせ、「今度こそ」という泥沼にはまって行きます。 “ローマ8章1〜17節「罪深い肉と同じような形で」” の続きを読む

ローマ7章7〜25節「私は本当に惨めな人間です?」

2009年12月13日

約25年ほど前、ドイツが東と西に分かれていた頃、私は車で西ドイツの国境を抜け東ドイツに入りました。国境を越えてすぐの東ドイツの道路は広くまっすぐでした。でもすぐに警察に止められ、速度違反で罰金を払わされました。スピードを出しても安全な道路に、ほとんど見えないほどの速度制限の標識をつけながら、彼らは外貨を稼いでいました。それと同時に、自由に慣れた西側の人間を萎縮させ、従順にさせようとしたのでしょう。 “ローマ7章7〜25節「私は本当に惨めな人間です?」” の続きを読む

創世記3章13〜24節「世界のうめきを聞き、救いを待ち望む」

2009年12月6日

救い主は二千年前にこの地に降りてこられました。しかし、この地は、今も救いを待ち望んでいます。アダムが、神が禁じた「善悪の知識の木」から「その実を取って食べ」てしまってから (創世記2:17、3:6)、その結果として起きた世界の矛盾は今も基本的に変わらずに残っています。そこに被造物全体の「うめき」があります。ただ、キリストの降誕以来、それは希望に満ちた「産みの苦しみ」に変えられています。私たちは、世界のうめきと希望の両方を見る必要があります。 “創世記3章13〜24節「世界のうめきを聞き、救いを待ち望む」” の続きを読む