マルコ2章13〜22節「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」

2011年4月3日

1923年9月に14万人の命を奪った関東大震災が起きました。それは第一次大戦に伴う好景気の反動から激しい不況に突入し財政赤字が膨れ上がっていた当時の日本経済をますます混乱に陥れ、四年後には金融恐慌、また、その四年後には満州事変と、日本の破局へのきっかけとなりました。それは、新しい状況に対応した財政運営ができなかったからです。

しかし、一方で、岩手県出身の医者で東京市長の任期を終えたばかりの後藤新平氏は、内務大臣として関東大震災からの帝都復興計画を大臣として主導し、当時としてはだれも思いつかないような幅の広い道路と緑地帯、中央から放射線状に延びる幹線道路と同心円的に重ねた環状道路によって東京都心部の骨格を作り上げました。

惜しいことに、予算不足のため道路の幅も緑地帯も大幅に縮小されましたが、今もその先見の明により多くの東京都民から尊敬されています。

残念ながら、人間は、大きな苦しみを体験しない限り、生き方を変えるという決断ができません。今回の東日本大震災を、日本の変化のきっかけとできるかどうか、それが今、問われています。その際、私たちは守るべき伝統と、「新しい皮袋」の区別をしてゆくことが大切でしょう。

1.取税人に向かって「わたしについて来なさい」ということの革命的な意味

「イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって・・」(2:13、14)とありますが、アルパヨの子レビとは福音記者マタイのことです。彼は取税人で、集めていたのは通関税だと思われます。

舞台はガリラヤ湖畔西北部の町でイエスの宿舎があったカペナウムです。その町はエジプト、シリア、イスラエル、ギリシャを結ぶ交通の要衝の地で、多くの税金取立人が商品の運搬にかける通関税を集めていました。

当時の税金集めは請負制で、日ごろローマ政府に代わって税金を集め、年に何回かに分けてローマ総督府に税金を納めていました。取税人の収入は、現在の税務署の役員のように固定給があるわけではなく、集めた額と納めた額の差額から生まれました。そのため、彼らはローマ帝国の権威を傘に着て、かなり乱暴に税を取り立てていました。

そんなわけで、この仕事は、通常の感覚の人間にはできないことでした。たぶん、「人の愛など、信頼することはできない。どんなきれいごとを言ったって、お金こそが幸せの鍵なんだ・・」など自分に言い聞かせながら、心を鬼にして働いていたことでしょう。

そればかりか、多くのユダヤ人はローマ帝国からの独立を望んでいましたから、取税人はユダヤ人から特別に嫌われ、宗教指導者が彼らと口をきくことは決してありませんでした。また、彼らはユダヤ人の会堂でみんなといっしょに礼拝をすることもできませんでした取税人とは罪人の代名詞的存在で、売春婦や強盗と同じレベルで見られ、彼らに娘を嫁がせることは野獣に娘を与えることだと言われました。

ところが、イエスは取税所で働いている最中のマタイをご覧になって、何と、「わたしについて来なさい」と言われました。これはイエスが、ペテロやヨハネを漁の仕事の真っ最中に呼びかけたのとまったく同じパターンです。それにしても、取税人を弟子として招くなどということは、当時の人々には奇想天外なことでした。

このイエスの招きに対して、「すると彼は立ち上がって従った」と記されていますが、マタイの信仰は記されていません。ペテロやヨハネを招いた際も、彼らの信仰以前に、イエスのことばの権威が彼らを従えたと言いましたが、ここでも同じです。イエスのことばには王としての権威がありますから、彼は従わざるを得なかったのです。

2.「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」

「それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた」(2:15)とありますが、イエスはマタイを弟子にしたばかりか、すぐに彼の家に行って食卓に着きました。

当時の感覚からしたら、マタイのような取税人がイエスのように人々からあがめられている人を自分の家に招くなどということはとんでもない失礼ないことです。ですから、これはイエスご自身がそれを望まない限り決して実現できないことでした。

イエスがマタイの客になってくださったことは、彼にとっては天にも昇る気持ちだったことでしょう。なお、マタイはユダヤ人から人間とは見られていませんから、彼が家に招くことができるのは同じような取税人を初めとする社会の落ちこぼれ、またははみ出し者ばかりだったことでしょう。

しかも、興味深いのは、そこになお、「こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである」と記されています。つまり、マタイが自分の仲間を集めたというばかりでなく、イエスに付き従ってきた人々自体が、マタイやその友人の取税人と変わりはしない社会のはみ出し者であったというのです。

「聖さ」の中には、汚れとの断絶という意味もありますから、イエスの行為は当時の「聖さ」の観念を揺るがす一大事であったのです。

パリサイ人はそれに驚き、イエスの弟子たちに向かって、「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか・・・」と質問しましたが、これは当時としては当然の疑問です。イエスはある意味で、律法の教師として神のみこころを教えていたのですから、これは明確なルール違反と思われました。これは、警察官とやくざがいっしょに食事をすることなど比較にならないほどにありえないことでした。

彼らの見方からしたら、取税人はまず、自分の財産すべてを貧しい人に分け与え、悔い改めの明確な実を結んではじめて仲間に入れることができるはずなのです。

まだ取税人をなりわいとしている人と食事をするなどということは、彼らの職業を是認したことになり、社会の道徳秩序を根底から揺るがす一大事と思われたのでしょうが、それは極めて自然な感覚でした。

ところが、そのとき、「イエスはこれを聞いて、彼らに」、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」と言われます(2:17)。これは現代も多くの人々をイエスのもとに招く感動的なみことばです。

ただし、これはイエスが当時の宗教指導者を「丈夫な者」とか「正しい人」と見ていたというわけではなく、彼ら自身が自分たちを「丈夫な者」「正しい人」と自負していたことへの皮肉です。

彼らは自分が健康で正しいと思うから自分たちのためには救い主を必要としていませんでした。それに対して、取税人や罪人たちは、自分たちが病んでおり、汚れているということを自覚していました。彼らはイエスの救いを切実に求めていました。イエスは誰もよりも、そのような渇きを持っている人をご自身のみもとに集めたのです。

日本ではしばしば、「敬虔なクリスチャン」とは、この世の基準よりもはるかに高い道徳基準を守る人であるかのように見られますが、クリスチャンであるとは、立派な行いができるということ以前に自分が病んでおり、罪びとの頭であることを自覚している人に他ならないのです。

人々に信頼していただけることはすばらしいことですが、決して、人の期待に沿った生き方ができることが信仰者であるなどと誤解しないでください

人から、「あなたは、なぜ教会に行くのですか・・・」と聞かれたら、「私の心はとっても貧しく、病んでいるので、イエス様なしには生きてゆけないのです。私は自分の心の醜さや弱さを知っているからこそ、イエスの十字架にすがっているのです・・・」と言うのが、聖書的な答えです。

決して、「教会に行ったら、私のように元気に、堂々と、すべてがうまく行く人生を歩むことができます・・・」などと自慢しないでください。それはあなたを息苦しくするだけです。キリストがあなたのうちにおられることのすばらしさは、おのずと明らかになることであって、決して、ことばで宣伝すべきことではありません。

3.「あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか」

「ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた」(2:18)とありますが、当時の宗教的に熱心な人々は、週に二度、昼の間、何も食べませんでした。そして、バプテスマのヨハネの弟子たちも、ヨハネに習って極めて質素に、この世の富から無縁な生活をしていました。

ヨハネはイエスを救い主として認めていましたから、彼の弟子たちもイエスのもとに来ましたが、イエスの生活のスタイルやイエスに従う者たちの質の悪さに唖然として、イエスが救い主であることを信じられなくなったのかもしれません

それで、その疑問をイエスに向かって、率直にぶつけながら、「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか」と尋ねたのだと思われます。

なお、ルカによる福音書での並行箇所では、当時の宗教指導者たちは、イエスご自身を指して、「あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み」と非難していたと記されています(ルカ7:34)。

それに対してイエスは、「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します」(2:19、20)と言われました。

「花婿」とはイエスご自身のことで、「付き添う友だち」とは弟子たちのことです。ヨハネの弟子たちは、救い主の到来を待ち望むという意味で断食していました。それなにに、救い主が来てもなお断食するなどというのは、何を待ち望んでいたのかが分からなくなります

詩篇118:24には、「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」と記されていますが、このときのイエスの弟子たちは、預言された神の国の到来を喜ぶべきだったのです。次から次と、病んでいる人が癒され、人々が悪霊の支配から解放されているのに、ヨハネの弟子たちを気遣って、また、当時の社会の雰囲気に合わせるように、すべてを自粛するというのは本末転倒です。

現在の日本には、被災地の方々の苦しみを思うあまり、みなそろって楽しい計画を自粛しようという動きがありますが、それは本末転倒です。東日本大震災が示していることの中心は、私たちの生活の土台がいかに脆いものかという現実です。今回、災害を免れた人も、明日はわが身です。

私たちの人生にも、断食して涙を流さざるを得ないときが、必ず来るのです。そのときは、楽しい思い出をより多く持っている人こそが、困難に向かう力を発揮することができます。日ごろから喜びを自粛し、主にあって喜ぶことができていない人は、困難の中で、主がともにいてくださるという安心感を持つこともできません。

4.「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」

イエスはその上で、「だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります」(2:21)と言われましたが、「真新しい布切れ」とは、厳密には、「まだ使ったことのない」と訳すことができる言葉で、決して、新しい布切れを無駄にしてはならないという意味の戒めではありません。

当時は、衣服にほころびができるたびに、それを修繕して使い続けました。そして、ときに愛着の衣服があることでしょうが、それを長持ちさせたいと思うあまり、使ったことのない布切れで継ぎ当てをすると、布の収縮度が違うので、かえって古いものを引き裂くことになってしまうというのです。「もったいない・・・」という気持ちが仇になることがあるという例です。

「また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです」(2:22)とありますが、ここでの「新しい(ネオス)」とは、「若い」と訳した方が良いことばです。

ルカ5章39節では、「だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い』というのです」と記されているように、古いぶどう酒の方が良いに決まっているのです。

したがって、「新しいぶどう酒」を、イエスの教えに当てはめると、イエスの教えはまだ未熟なものというまったく失礼な解釈になってしまうのではないでしょうか。

イスラエルの地は雨が少なく、飲み物は貴重でしたが、ぶどう果汁はすぐに酸化してしまいます。それで保存の効く飲み物としてワインが珍重されたのです。現在のようにぶどうジュースとして保管することは無理だったのです。それで、しぼりたてのぶどう果汁を、外気に直接に触れさせないように子やぎの皮に入れました。

ぶどう果汁はすぐに発酵を始め二酸化炭素を放出しますから伸縮力のある子やぎの皮でなければすぐに破けてしまいます。そのことが、「新しい(ネオス)ぶどう酒」は、「新しい(カイノス)皮袋」にと記されます。この際、ネオスは時間的な新しさ、カイノスは質的な新しさを示すまったく別のギリシャ語が用いられています。

このようにして、若いぶどう酒は、保存しながら発酵させました。皮袋を通して皮膚呼吸のようなことがなされるためです。したがって、中身が途中で入れ替えられることはなく、ぶどう酒は皮袋の古さに比例しておいしくなりました。贈り物をするときには、保存していた皮袋とともに贈りました。目に見えることとしては、古い皮袋は、中身の熟成度のシンボルになりましたが、決して、古い皮袋自体に価値があるわけではありません

しかし、古い皮袋自体にも愛着が沸くというのは人情で、古い皮袋を大切に用いたいという思いも湧き上がります。しかし、それに若い」ぶどう酒を入れると、発酵力が強いために、すでに老朽化した皮袋自体を破ってしまい、ぶどう酒も皮袋も駄目になってしまいます。

古い皮袋は、ワインを飲んだ後は、水を持ち運ぶために用いられました。用途が変えられる必要があったのです。

これは文脈からすると、明らかに、「新しいぶどう酒」とは、イエスの弟子たちを指します。そして、古い皮袋とは、律法から生まれた様々な生活規範です。たとえば、週に二回の断食という決まりは、聖書のどこにも規定されていませんが、それは当時の律法の解釈から、それが絶対であるかのように一人歩きしていました。

しかし、イエスに従った貧しい人々は、週に二回も断食したら、仕事に支障が生まれます。また、パリサイ人が守ってきたような様々な細かい生活規定を漁師や取税人に守らせること自体に無理があります

今も、たとえば、海外からの帰国者クリスチャンや十代後半で初めて教会にくるようになったような若者たちが、古い教会の賛美歌や礼拝式になじむことができずに葛藤を味わうということがあります。そのようなときに生きていくるのが、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」という教えです。

「新しい皮袋」とは、新しい教会文化というようなものです。私たちは絶対ゆずってはならない伝統と、時代とともに変わってゆくのが当然とも思える礼拝スタイルや生活規範を見分ける必要があります。

それにしても、「古い皮袋」も「古い着物」も、それに慣れ親しんでいる人は捨て難いもの、信仰生活の核心とさえ思えることでしょう。しかし、イエスの目には、断食規定を初めとする様々な生活規範は、聖書の教えの適用例に過ぎず、絶対化する必要のないものと見えていました。

しかし、伝統に固執する人は、「新しいぶどう酒」であるイエスの弟子たちを、古い皮袋の中に収めようとしていました。そうすることは、かえって、それらが新しい人の信仰の成長を阻むばかりか、それによって、新しい信仰者も古い伝統も両方とも損なってしまうというのです。

私たちの救いは、今まで積み上げてきた努力や功績に無関係に得られるものです。それは過去の労苦を誇るものにはかえって躓きになり、この世で成功を収めている人ほど転換が難しくなります。私などは大した成功も修めてはいませんでしたが、それでも、牧師になろうとするときに、それまでの学びや訓練を思いながら、「これまでやってきたことは何だったのか・・・」と葛藤を覚えました。しかし、自分の守り続けたものに固執すればするほど、イエスの恵みの新しさが見えなくなるのです。

イエスはあらゆる人間的な努力で手に入るものを超えたものを与えてくださいます。しかも、過去に自分が積み上げてきたものを、新しい恵みを受け止めるために一度まったく捨ててしまい、それへの未練がなくなった頃に、不思議に別の形で用いられるということがあります。それは、古い皮袋を水を持ち運ぶために用いるようなものです。

あなたにとっての古い皮袋とか古い着物とはなんでしょうか・・・。

多くの日本人は、毎週教会に通うような人を、「敬虔なクリスチャン」と呼んでくださいます。そこには道徳的な生き方をする人という尊敬が込められている面があります。それは先輩たちが残してくれたすばらしい遺産です。

しかし、その呼び名が、しばしば、時代の変化に適用できない、融通の利かない、活力のない人間というイメージと合わさってしまうことがあるとすると、それこそ残念です。

イエスの弟子たちは当時の枠からはみ出たような人たちでした。それは若いぶどう酒が勢いよく発酵を続け、新しい皮袋を膨らませることに似ています。そして、イエスの築いた教会は、そのような活力あふれるエネルギーを生かすことができた交わりでした。

今回の大震災を、新しい活力を復興させるための神からのチャレンジと受け止められるなら幸いです。それは新しい発電技術の革命の機会かもしれません。残念ながら、新しいいのち、新しい生き方は、悲劇を通らないと生まれてきません。

安泰な時代は、人々の目が、「古い皮袋」を守る方向に向けられます。そのような時代には、「新しいぶどう酒」が育ってゆくための「新しい皮袋」に目が向かいません。

すべての悲劇には、常に、二重の側面があります。これが、日本の教会が新しくされる契機とされることを神は望んでおられるのではないでしょうか。