2010年10月31日
多くの人は、「死ぬ」ことを、意識が麻痺できることと捉え、それほど恐れてはいません。それどころか、激しい不安と恐れを抱いている人は、自分の意識を無くするために、死ぬことを自分から願ったりさえします。 “ヘブル2章5〜18節「いつくしみ深き兄なるイエス」” の続きを読む
2010年10月31日
多くの人は、「死ぬ」ことを、意識が麻痺できることと捉え、それほど恐れてはいません。それどころか、激しい不安と恐れを抱いている人は、自分の意識を無くするために、死ぬことを自分から願ったりさえします。 “ヘブル2章5〜18節「いつくしみ深き兄なるイエス」” の続きを読む
2010年10月17日
ニック・ブイジッチという28歳のオーストラリアの男性がいます。彼は生まれたときから両手両足がありません。あるのは、たったひとつの足の先だけです。しかし、彼はずっと普通の学校に通い続け、大学で会計学の学びを修了しています。彼は音楽の才能があり、たった一つの足先でドラムマシーンを操作します。しかも、ゴルフ、釣り、水泳が好きで最近はサーフィンをさえ楽しんでいます。しかし、それでも一番苦労するのは起き上がることです。 “イザヤ56章1節〜57章16節「神の安息への招き」” の続きを読む
2010年10月10日
日本は不思議な国です。自国通貨の価値をアメリカの視点で計り、「円高!」と表現します。ユーロもオーストラリアドルもスイスフランも韓国のウォンも、それぞれ円に対して一ヶ月あまりで一割から7%近くも上がったことなど見向きもせずに、ドルとの比較ばかりに注目して「円高だ、輸出産業の将来は……」と騒ぎ立てます。円高にプラス面があったとしても、楽観論はすぐに打ち消されます。どう考えても、「ドル安」と言う方が、客観的に余裕のある見方ができるはずなのに、被害者意識を煽る報道の方が好まれ、過剰な危機意識をあおる学者が人気を集めます。 “イザヤ54章1節〜55章13節「奴隷根性から自由な生き方」” の続きを読む
2010年9月5日
「泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)、たった四はいで夜も眠れず」という、宇治の高級茶と黒船をかけた狂歌が、江戸時代の末期の日本の現実をよく現しています。現代の日本も、目覚める必要があると言われています。しかし、なかなか方向が見えていないという現実があるのではないでしょうか。本日の箇所では、三重の「さめよ」という呼びかけがなされています。その第一は、不思議にも、まるで眠っているように見えた「主の御腕」に向かっての「さめよ」という語りかけです。多くの人が祈りの時間も惜しんで忙しく動き回っています。しかし、真剣に神に訴え続けることこそすべての始まりです。第二は、酒に酔って現実を見ていない人への「さめよ」という語りかけ、そして、第三は、絶望に打ちひしがれている人に希望を生み出すという意味での「さめよ」という呼びかけです。 “イザヤ51章1節〜52章2節「さめよ、さめよ」” の続きを読む
2010年8月22日
私たちは心の中に様々な「駆り立て」の言葉を聞き過ぎ、今、ここでの神の語りかけに耳を傾けることができなくなってしまいがちです。多くの人の心には、常に、「急ぎなさい」「もっと努力しなさい」「強くありなさい」「完全でありなさい」「人を喜ばせなさい」という五つの言葉のどれかが響いていると言われます。人によっては、これが「存在するな」という自己否定の言葉と結びついて、「人を喜ばせている限りは生きていて良い・・そうでなければ、生きている資格がない」というささやきを聞き続けるということになります。 “イザヤ49章14節〜50章11節「私の耳を開いてくださる方」” の続きを読む
2010年8月15日
英語で8月はAugust と呼ばれますが、それは皇帝アウグストがこの月にローマ帝国に平和をもたらしたことを記念したためです。それは、後に、さらに大きな平和をもたらしたキリスト降誕後の年の中で記念される月となりました。私たちもこの8月を過去の過ちを反省し、主にあって平和を祈念する月とすべきではないでしょうか。 “ローマ11章25〜36節「神の選びがもたらす和解」” の続きを読む
2010年8月1日
多くの人々は、天国の祝福よりも、地上の歩みにおける平安を求めています。そして、不思議にも、旧約聖書では、死後の希望に関してはほとんど記されていません。そこには、地上的な、苦しみと「平安」のことが書いてあります。そして、それは実は、新約にも一貫していることでもあります。聖書はこの世の人に向けての書なのです。 “イザヤ48章12節〜49章13節「あなたの平安は川のようになったであろうに」” の続きを読む
2010年7月25日
米国滞在中にシリコン・バレーの大手企業に働く当教会員の夫N兄のオフィスを見させていただきました。その企業は20年前に株式が上場されたばかりですが、現在は四万人の従業員を抱え、インターネットシステムのインフラ装置を供給する世界最大の会社です。興味深かったのは、30もの建物が、極めて簡素に、何の特徴もなく同じように建てられていることでした。それは、いつでもオフィスビルを手放し、売却できる備えのためであるというのです。彼らは20年後にも自分の会社が安泰であるなどという幻想は持っていません。そこにアメリカの活力を感じました。 “イザヤ47章1節〜48章11節「破滅への道と祝福への道」” の続きを読む
2010年6月27日
私たち福音派の教会では、イエスを救い主と告白したときから、神の子とされ、新しい人生が始まったという意味で、「救いの証し」を分かち合います。その中で、つい、昔の自分や、生まれ育った家庭環境を悪く描きすぎる傾向があるかもしれません。 “イザヤ45章15節〜46章13節「胎内にいるときから担われている私」” の続きを読む
2010年6月13日
アメリカ北部でのことですが、高速道路を走っているある家族の車に鹿が飛び込んできて、車が大破しました。その車に乗っていた7歳の男の子は、「どうして神様は守ってくれなかったの?」と言ったそうです。それに対して、13歳の次女は、「神様が守ってくれたから、誰も怪我をせず、大事故にならずに済んだんだよ!」と答えたとのことです。今日の箇所では、「まことに、あなたは、ご自身を隠す神」(45:15)というイザヤの告白があります。聖書にご自身を啓示しておられる神は、同時に「ご自身を隠す神」でもあります。その結果、同じ出来事が、7歳の男の子には、神がご自身を隠しているように見え、13歳の少女には、ご自身を啓示しておられるしるしと見えました。 “イザヤ44章23節〜45章15節「神の不思議な救いのご計画」” の続きを読む