ヨエル2章18節〜3章28節「主に呼ばれて主を呼ぶ者の集まり」

2013年2月24日

今も昔も、信仰者たちは、「おまえの神はどこにいるのか」(詩篇42:3,10)という嘲りを受けることがあります。私たちはそこで、「主は私たちの交わりの真ん中にいてくださいます」と答えるべきなのですが、ふと、「主が真ん中におられるなら、なぜ、どこの教会にもこうも面倒なことが起こるのでしょう……」と言いたくなることもあります。 “ヨエル2章18節〜3章28節「主に呼ばれて主を呼ぶ者の集まり」” の続きを読む

ヨエル1章1節〜2章17節「主に向かって叫ぶ者の幸い」

2013年2月17日

私たちはときに、「取り返しのつかない失敗を犯してしまった」という後悔に苛まれることがあります。しかも、その失敗から生まれたわざわいの背後に神のさばきを見るときに、絶望感が深まることがあります。 “ヨエル1章1節〜2章17節「主に向かって叫ぶ者の幸い」” の続きを読む

詩篇1篇〜2篇「問題に追われているとき」

2013年2月10日

何年か前ですが、健康診断を受けた時、いつもは低い血圧が上がっていることがわかり、驚きました。医者からは、「あなたには、血圧が上がりやすい傾向があるということを知っておいたほうがよいですよ……」と言われ、ショックを受けました。私は何が起きても動じない平静な心 (Serenity) にあこがれていました。牧師として二十四年がたち、すでに還暦を迎えるというのに、ストレスに弱く、いろんなことに心が敏感に反応してしまいます。 “詩篇1篇〜2篇「問題に追われているとき」” の続きを読む

ホセア13章〜14章「いのちの喜びの復活」

2013年2月3日

ポール・トゥルニエというスイスのクリスチャンの精神科医は、あるカトリック教会の司祭が、「私たちの教会に、意気消沈していて一人前の大人になり切っていない人が、これほどたくさんいるのは、いったいどこに原因があるのでしょう」と尋ねに来たとき、自分たちの教会も「過半数は生気がなく、もの悲しげで疲れた心の持ち主によって占められています」と答えざるを得ませんでした。 “ホセア13章〜14章「いのちの喜びの復活」” の続きを読む

マルコ14章26〜42節「強がりから自由になった祈り」

2013年1月27日

証券営業の仕事をしていた時、「上司からの余計な叱責を受けないための知恵」を教わりました。それは、営業目標の達成に関して少々不安があっても、「大丈夫です!お任せ下さい」と言い張ることでした。なぜなら、当時の営業店は、ノルマを果たせないと人間扱いされない世界でしたから、弱音を吐くと、上司を心配させ、自分の個性を殺すような介入を招いてしまうからです。要するに、人の干渉を避けるためには、強がっているのが一番なのです。しかし、そのような態度が身についてしまうと、神の前でも同じような態度を持ってしまうことになります。神は人間とは違い、私たちの個性を全面的に生かすことがおできになる方です。神に対しても強がる者は、真の意味での神の力を体験することができなくなります。
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ホセア11章〜12章「哀れみに胸を熱くする神」

2013年1月20日

どの宗教においても、この世で犯した罪に応じて地獄のさばきを受けるという教えがあります。日本でも、嘘をついたら舌を抜かれる、人を殺したら何度も生き返りながら鬼に食われる、人を貶めたら崖から落とされて針の山で突き刺される、放火をしたら何度も火あぶりの刑で殺される、血も涙もない冷酷な人は血の池地獄に落とされる、などという地獄絵図が描かれて、人々に善行を促しました。 “ホセア11章〜12章「哀れみに胸を熱くする神」” の続きを読む

マルコ14章12〜26節「キリストのからだと契約の血を受ける幸い」

2013年1月6日

イスラエルの民が繰り返し思い越すように命じられたのは出エジプトの出来事、神が彼らをエジプトの国、奴隷の家から連れ出してくださったことで、それこそ旧約聖書の中心テーマです。過越の祭りはそのためにありました。クリスチャンが思い起こすことはキリストの十字架の贖いです。それこそ新約聖書の中心テーマです。聖餐式はそのためにあります。
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ピリピ2章1〜18節「志を立てさせ、事を行なわせてくださる神」

2013年1月1日

私たちはそれぞれ、他の人から見たら不思議に思えるほどの、偏りやこだわりを持ちながら生きているのではないでしょうか。イエスは、人間的な観点から言うと、なぜ十字架にかけられたのでしょう。それは当時の感覚から言ったら、あまりにもバランスを欠いた「過度」のゆえではないでしょうか?世の人々から尊敬を集めている宗教指導者の偽善をあばいて徹底的に批判し、一方で、やくざのような人と仲良く食事をしたのです。 “ピリピ2章1〜18節「志を立てさせ、事を行なわせてくださる神」” の続きを読む

ホセア9章〜10章「正義の種を蒔き、耕地を開拓せよ」

2012年12月30日

この世界では、「下手に出ると付け上がり、強気に出ると相手が折れてくれる」などということがあります。また、話を通すために権力者の力を借りるなどということも有効です。経済で政府の監督権などが強くなると、補助金を引き出す能力が重宝されるようなことが起きます。 “ホセア9章〜10章「正義の種を蒔き、耕地を開拓せよ」” の続きを読む

マタイ1章18〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」

2012年12月24日

「親の因果が子に報い・・」というのは、とっても嫌な表現ですが、私たちの生きにくさの一面を言い当てているのかもしれません。たとえば、親から虐待を受けて育った子供は、親になった時、「私は親のようには絶対にならない・・」と願っているのに、同じ過ちを繰り返してしまう・・・ということがあります。依存症も、隔世遺伝すると言われることがあります。それに対して、聖書が語る「罪からの救い」とは、そのような「のろい」の連鎖から解放されることです。人はだれも、親を初めとして、自分の人生の基本的な部分を選ぶことはできませんが、神はそれらすべてを「祝福の基」とすることができる方です。 “マタイ1章18〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」” の続きを読む