2012年11月18日
私は昔、浄土真宗に興味を持ったことがあります。その開祖親鸞は、自分の心の醜さや弱さに正面から向き合った結果、自分の修行の力によって悟りを開くことは無理であるということに気づき、ただ御仏のあわれみにすがるしかないという結論に達しました。その際、どんな罪人をも救ってくださる方が、阿弥陀仏として紹介されます。しかし、その方は歴史上の人物としては記録されてはいませんし、どのような方であるかもほとんど分かりません。浄土真宗では阿弥陀仏の実在性よりも、私たちのうちに救いを求める心が芽生えていること自体が大切なのだと説かれます。 “ホセア4章1節〜6章3節「主を知ることを切に追い求めよう」” の続きを読む