アモス7章〜8章「きょう、もし御声を聞くならば……」

2013年7月14日

宗教改革者マルティン・ルターは、繰り返し、「救いはただ、一方的な主の恵みによる」ということを宣べました。しかし、彼に始まったドイツのルター派教会は、主の恵みを当然の権利と思うようになって、世俗化して行きました。

そのような中で、ヒットラーと戦ったボンヘッファーは、「安価な恵みは、われわれの教会にとっての許すべからざる宿敵である・・安価な恵みとは、見切り品としての恵みのことであり、投げ売りされた赦し、慰め、聖礼典のことである・・・安価な恵みは、悔い改め抜きの赦しの宣教であり・・罪の告白抜きの聖餐であり…服従のない恵みであり、十字架のない恵みであり、生きた人となりたもうたイエス・キリスト不在の恵みである」と言いました。

ルターは全世界を敵に回してでも、神のみことばに服従しようとしました。そして、そのただ中で神の赦しを体験し続けたのです。

赦しが当たり前になってしまうと、福音のことばは死ぬのです。そこに宣教の難しさがあります。

神は、北王国イスラエルの偶像礼拝の罪にみこころを痛めながら、さばきを先延ばしにしておられました。しかし、そのような中で彼らは、預言者の警告を聞きながら、主の赦しを既得権益かのように理解し、主を恐れることを忘れ、周辺の国々が礼拝している神々を恐れるようになりました。

これは、私たちが主への礼拝よりも、この世的な都合を優先することと同じです。主のみことばに心が反応しなくなってしまうことは、恐ろしい堕落の始まりです。

1.「主(ヤハウェ)はこのことについて思い直し」

7章1、4、7節、8章1節の四回にわたって、「主は、私にこのように示された」ということばとともに主からのさばきの幻がアモスに示されます。第一は、「見よ。王が刈り取ったあとの二番草が生え始めたころ、主はいなごを造っておられた」という幻です。

原文ではまず、「主はいなごを造っておられた」と記されます。これは主ご自身が「いなご」を大量発生させ、イスラエルの収穫を失わせるという意味です。

その時期は、「二番草が生えはじめたころ」、大麦の収穫が終わり、小麦の収穫が始まる春の終わりころです。また、「王が刈り取った後」とは、一番目の刈取りが基本的に王家のものとされ、この第二の収穫が民衆のものとされるからです。イスラエルはこの後、約6か月間は雨が降りません。この二番目の収穫がいなごに食われてしまったら、多くの民は餓死するしかありません。

それで、「そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき」(2節)、アモスは、「主、ヤハウェよ。どうぞお赦しください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです」と必死に訴えました。

それに対して、「主(ヤハウェ)はこのことについて思い直し」たと記されます。これは、「主が悔い改めた」とも訳すことができることばです。

出エジプト記32章には、イスラエルの民が、モーセがシナイ山に上っている間に、金の子牛を作って拝み、それに対して、主の怒りが燃え上がり、イスラエルの民を断ち滅ぼすと告げられた場面があります。そのとき、モーセが必死に主に嘆願しましたが、それに対する主の反応が、「すると、主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直された」(同14節)と描かれています。

そして、それは繰り返し聖書に出てくる主の対応でもあります。そして、預言書の中で最も古いアモス書にもこの記事が記されていることは興味深いことです。

多くの人々は、「主の永遠のご計画」と言うと、変更されることのない、ときに冷酷な運命のようなものを思い浮かべますが、主のみこころとは、そのようなものではありません。主は何よりも私たちとの対話を望んでおられるからです。

とにかく、主は、私たちが真剣に泣いて訴える時に、ご自身のご計画を変えてくださることがあるというのです。そして、このときも主(ヤハウェ)は、「そのことは起こらない」と言われました。主はみこころを変えられたのです。

4節では続けて第二の幻のことが記されます。そこで、「主、ヤハウェ」は、アモスに、「見よ。主ヤハウェは燃える火を呼んでおられた。火は大淵を焼き尽くし、割り当て地を焼き尽くそうとしていた」というのです。

「大淵」とは、創世記1章2節の「大水」と同じ言葉です。つまり、主からの火は、どんな火をも飲み込むはずの大水さえも一瞬のうちに蒸発させてしまう威力を持ち、それが主からのイスラエルの割り当て地を焼き尽くすというのです。

それに対してアモスは再び、「主、ヤハウェよ。どうか、おやめください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです」(5節)と、先とほとんど同じ言葉で訴えました。

それに対する反応が先と同じように、「主(ヤハウェ)はこのことについて思い直し」と記され、その上で、「『このことも起こらない』と主ヤハウェは仰せられた」、と描かれています。

二度に渡って、主はアモスの訴えを聞いて「思い直され」、わざわいを思いとどまられたというのです。

2.「わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。」

7節からは三番目の幻が記されますが、これまでとはまったく異なった展開になります。まず、「主は私にこのように示された。見よ。主は手に重りなわを持ち、重りなわで築かれた城壁の上に立っておられた」と描かれます。

「重りなわ」とは、新共同訳では「下げ振り」とも訳され、なわの先に重りをつけたもので、これを下に垂らすことによって、城壁が地に対して直角に立っているかどうかを測ることができます。傾いた城壁はやがて崩れます。

そしてこのときの幻は、アモスに理解しがたいものでしたから、泣いて主にすがるということはできませんでした。

その代わりに、ここでは主ご自身が、「アモス。何を見ているのか」と尋ねます。彼が、「重りなわです」と簡潔に答えると、主は、「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない」(8節)と言われました。

これは、主がイスラエルがどれだけ神のまっすぐな基準から離れてしまっているかを明らかにし、ご自身のさばきを以前のように「思い直すことはない」という意味です。

そして、「イサクの高き所は荒らされ」(9節)とは、北王国イスラエルの中で、ヤコブの父イサクを崇敬する不思議な礼拝が生み出されていたのだと思われます。5章5節では、「ベエル・シェバにおもむくな」、8章14節では「ベエル・シェバの道」という表現がありますが、そこはイサクの生誕地ですから、彼らが勝手に作り出した礼拝形式を非難したものと思われます。

また続く、「イスラエルの聖所」は複数形ですから、北王国が南王国ユダに対抗して勝手に作り出したすべての礼拝施設を、主ご自身が廃墟にするという警告です。

「ヤロブアムの家」とは、当時のイスラエル王家です。そこに主ご自身が「剣をもって・・・立ち向かう」と言われることがどれほど恐ろしいことかを、当時のイスラエルの民は理解できませんでした。主を敵に回すということは、私たちの滅びを意味します。

そのような中で、「ベテルの祭司アマツヤ」は、「イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして」、「イスラエルの家のただ中で、アモスはあなたに謀反を企てています。この国は彼のすべてのことばを受け入れることはできません」と伝えました(10節)。

「ベテル」は、北王国イスラエルの中心の礼拝の場所でした。初代ヤロブアム一世は、エルサレム神殿に対抗するために、金の子牛、二つを作って、その一つをベテルに据えて、イスラエルの民がエルサレムに上らなくても済むようにさせました。それは何よりも、主の怒りを引き起こしましたが、主は忍耐をもって、彼らの悔い改めを待ち続けていました

とにかくこのとき、そこの「祭司のアマツヤ」が、当時、イスラエルの領土をソロモン時代の広さにまで回復させたと言われる偉大な王ヤロブアムに向かってアモスを訴えたというのです。

そして、アマツヤは、アモスが、「ヤロブアムは剣で死に、イスラエルはその国から必ず捕らえられて行く」と預言したと告げました(11節)。アモスは確かに繰り返しイスラエルが滅ぼされ、捕囚とされるということは告げましたが、ヤロブアムは剣で死ぬと個人を指して告げたことはありません。実際、ヤロブアムは剣で死んではいません。

アマツヤは敢えてヤロブアムの怒りを引き起こすような表現を勝手に作り出して、王に訴えたと言えましょう。

そして、アマツヤはアモスに、「先見者よ。ユダの地へ逃げて行け。その地でパンを食べ、その地で預言せよ。ベテルでは二度と預言するな」と命じました。アモスは南王国ユダからわざわざ北王国に出てきて預言をしていましたから、アマツヤは彼に向かって、自分の生まれ故郷に帰って、そこで預言活動をしろと言ったのです。

そしてそれに続く、「ここは王の聖所、王宮のあるところだから」という言い方には、「ここは俺の縄張りだ」という思いが込められていたのではないでしょうか。

アマツヤには、神のみこころを知らせるのが預言者の使命であるという意識はありませんでした。彼にとっての祭司の働きとは、王国の宗教儀式を司るということに過ぎなかったのです。

それに対して、アモスはそれまでの人生を紹介するかのように、「私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた」(13節)と言います。

つまり、彼は自分の意志や職業的使命感で行動しているわけではないというのです。そればかりか、「ところが、主(ヤハウェ)は群れを追っていた私をとり、主(ヤハウェ)は私に仰せられた」と、あくまでも、自分の意志を超えた主の主導権を強調して、主ご自身が彼に、「行って、わたしの民イスラエルに預言せよ」と仰せられたという打ち消すことのできない事実を知らせます。

その上で、アモスは反対にアマツヤが主のみこころに逆らっているということを、「今、主(ヤハウェ)のことばを聞け」と言いつつ、「あなたは『イスラエルに向かって預言するな。イサクの家に向かって預言するな』と言っている」と、彼が主の働きを妨害して、イスラエルの民が主のみことばを聞く機会を奪おうとしているということを非難しました。

残念ながら今も昔も、偽宗教家は、主のみことばがそのまま告げられることの邪魔をします。しかし、主はそのような教師に最も厳しいさばきをなされます。

ですから使徒ヤコブも、「多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです」と言いました(ヤコブ3:1)。

そして、ここでも主は、アマツヤに向かって、「あなたの妻は町で遊女となり、あなたの息子、娘たちは剣に倒れ、あなたの土地は測りなわで分割される。あなたは汚れた地で死に、イスラエルはその国から必ず捕らえられて行く」と言われます。

そのさばきは息子や娘にまでおよび、彼の土地も奪われ、彼自身も捕囚として外国に引っ張って行かれその地で死ぬというのです。それと同時に、その同じことがイスラエルの民全体に及ぶということが警告されています。

3.「わたしの民イスラエルに、終わりが来た。」

8章1節からは四番目の幻がアモスに示されます。それが、「そこに一かごの夏のくだものがあった」と、一言で描かれます。

それに主は、「アモス。何を見ているのか」と尋ね、アモスは「一かごの夏のくだものです」と、また簡潔に答えます。

それに対して、主(ヤハウェ)はアモスに、「わたしの民イスラエルに、終わりが来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない」と、言われます。

「夏のくだもの」はヘブル語で「カイーツ」、「終わり」は「ケーツ」と呼びますから、ここに言葉遊びが見られます。どちらにしても、「夏のくだもの」は、一年の収穫の最後を飾るもので、まさに「終わり」を象徴します。

そして、ここでも7章8節と同じように、「二度と・・・見過ごさない」と言われます。

そして、主はさばきの日のことを、「その日には、神殿の歌声は泣きわめきとなる・・多くのしかばねが、至る所に投げ捨てられる」と恐ろしい光景が描かれます。

あまりにも多くの死体を前に、人は恐れを抱いて、「ハーシュ」としか言えません。このことばは、6章10節でも「口をつぐめ」と訳してきましたが、これは日本語で、「シーっ」と言うことばに似ています。たとえば、親が幼児に向かって、「静かにしなさい」と言うと、それは一つの会話ですから、「どうして?」などという、子供の会話の応答を引き出します。それに対し、親が子供に口をつぐむサインとともに「シーっ」と言うと、そこに沈黙が生まれます。

ことばにならないことばこそ、最も大きな意味を通じさせます。

そして、4節から主のさばきの宣告が、「聞け。貧しい者たちを踏みつけ、地の悩む者たちを絶やす者よ」という非難とともに、社会的弱者を虐げている人々に対して語られます。

彼らは、「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが」と言っているというのです。

「新月の祭り」「安息日」は、すべての仕事を休んで主を礼拝する日ですが、それは同時に奴隷たちや社会的弱者にも休息を与えるとともに、食物を分ち合う日でした。

ところが、イスラエルの貴族たちは、そのような日があることを疎ましく思い、もっと休みなく奴隷をこき使い、お金を稼ぎたいと願って、そんなことばを交わしていたのです。

また、彼らは心の中で、「エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう」と言います。「エパ」は穀物などをはかる約22リットル入りの器、「シェケル」は約11グラムの銀を測る量りですが、それを誤魔化して利益を得ようというのです。

しかし、はかりや分量においての不正こそ、神の聖さに真っ向から反することでした。

しかも彼らは「弱い者を金で(買い)、貧しい者を一足のくつで買い取り、くず麦を売るために」(6節、カッコ内は原文にない言葉)などと、不正な取引で儲けたお金で、貧しい者を一足のくつと同じ安い値段に買いたたきながら奴隷としました。そればかりか、彼らは売り物にならないはずの「くず麦」を欺いて売っていました。

それに対して主(ヤハウェ)は、「ヤコブの誇りにかけて誓われ」ながら、「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも、決して忘れない」と言われます。

神が彼らの悪い行いにそのように言っておられるのは恐怖です。

そして、主は、「このために地は震えないだろうか。地に住むすべての者は泣き悲しまないだろうか。地のすべてのものはナイル川のようにわき上がり、エジプト川のように、みなぎっては、また沈まないだろうか」と言われます(8節)。

主は7章4節で、イスラエルの地を焼き尽くす幻をアモスに見せながら、それを思い留まられ、「それは起こらない」と約束されました。しかし、それに代わる何らかのわざわいを起こさずには済ませられません。

そのことが、まず第一に地震の被害で、第二にはナイル川の氾濫で表現されます。すべての自然災害の背後に神の御手があります。

もちろん私たちは、「東日本大震災は神の罰だ」などと言ってはなりません。神のみわざに対して先走った解釈は慎まなければなりません。

しかし、同時に、ここではイスラエルの地震や洪水を通して、神がご自身の力を示しながら、彼らが神に立ち返って来るのを待っておられるということを決して忘れてはなりません。

そればかりか、主は、「その日には・・わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗くし、あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたのすべての歌を哀歌に変え、すべての腰に荒布をまとわせ、すべての人の頭をそらせる」(9、10節)と言われます。

「真昼に太陽を沈ませ」というのは詩的表現で、それが「日盛りに地を暗くする」こととして説明され、それは「祭りを喪に変える」のと同じ意味を指します。イエスの十字架の際に、全地が三時間にわたり暗くなったのは、この預言の成就で、被造物が喪に服したという意味だと思われます。

そして、「その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし」という表現の中に、神のひとり子イエスの受難が預言的に記されていると解釈することができます。

とにかく、ここは、神がご自身の怒りを被造物世界での天変地異を通して表現し、イスラエルの民も多くの人々の悲惨な死を前にして、「主の日」を「苦い日」と捉えざるを得なくなるというのです。

4.「主のみことばを聞くことのききん」

そして主は、11節で、「見よ。その日が来る」と言われながら、その主のさばきの日について、「その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主(ヤハウェ)のことばを聞くことのききんである」と言われます。

「主のみことばを聞くことへのききん」とは不思議ですが、これはイスラエルがアモスを通しての主のことばを聞くことを拒絶したことへの主からのさばきです。

イエスは、石をパンに変えてみろとの悪魔の誘惑に、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」とお答えになりました。

人は、しばしば、主のみことばよりもパンの方に魅力を感じます。しかし、世界が暗やみに満たされ、飢え渇きが日常的になり、目の前の人々が次々に死んでゆくような究極の悲惨の中では、自分は何のために、何を求めてなお生きている必要があるのかという人生の意味を求める渇きに満たされます。

皮肉にも無神論者ニーチェは、「生きる理由を持っている人は、ほとんどどんな事態にも耐えることができる」と言いました。そして、敬虔なユダヤ人の精神科医のビクトール・フランクルは、ナチスの強制収容所の中で、それが真理であることを実際の体験を通して証しました。

そして、人は、主のことばがなければこの問いに対する答えを見いだすことはできません。

ところが、ここでイスラエルの民は、主のみことばを繰り返し受けていながら、それを自分から拒絶した結果、本当に、主の語りかけを聞く必要が出てきたときに、それをどこにも見出せなくなったというのです。その結果が、「彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主(ヤハウェ)のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない」(12節)と記されます。

ヘブル書の著者は、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」と三度も繰り返して、それを拒絶する者は神の安息に入ることができないと言いながら、最後に、「神のことばは生きていて力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」と記しています(4:12)。

宗教改革者マルティン・ルターも「神はわれらが堅き砦」の三番目の歌詞の中で、「世界に悪魔が満ちて私たちを飲み込もうとしても・・たったひとつのみことば悪魔を滅ぼすことができる」と歌っています。主のみことばこそ悪魔と戦う最強の武器であることを忘れてはなりません。

もし、苦難の中でみことばがないなら、だれも苦難に耐えることはできないのです。

そして、アモスは最後の警告として、「その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる。サマリヤの罪過にかけて誓い、『ダンよ。あなたの神は生きている』と言い、『ベエル・シェバの道は生きている』と言う者は、倒れて、二度と起き上がれない」と記します。

「サマリヤの罪過」を、NRS訳は敢えて、「Ashimah of Samaria」と訳していますが、それは罪過を意味するヘブル語のアシマーが、彼らが拝んだ偶像の神のアシュラに発音が似ているからです。

また、ダンはベテルと並んで金の子牛が安置された礼拝の中心地、ベエル・シェバの道は先に述べたイサク崇拝の偶像礼拝の場でした。彼らはみな神のみことばに渇きながら滅んで行くというのです。

私たちは人生の中で、何度か、絶望的な状況の中で、主のみことばが響いてきたという体験を持っているものです。ただ、残念ながら、その体験を「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のように、自分の一時的な気迷いのように思ってしまっている人が数多くいます。

感動したはずのみことばの箇所すら忘れている人がいます。しかし、それこそ堕落の始まりです。神があなたに敢えて、悲惨な状況が起きるのを許されたのは、あなたがその中で、主に信頼することを学ぶことができるためだったのです。

私たちに求められているのは、そのように恵みの体験を繰り返し思い起こし、その体験を深めることです。

「きょう、御声を聞いていながら・・」、「この話はいつでも聞くことができる」と思うのは大間違いです。みことばが響くには、主が備えてくださった恵みの舞台が必要なのですから。