ペテロ第二の手紙3章の新共同訳や新改訳を読むと、この目に見える世界が神によって「滅ぼされる日」というイメージに圧倒されます。これを一年の初めの日に読むのは気が滅入ってしまうかもしれませんが、ここには19世紀から20世紀にかけての神学的な偏りが反映されているように思われます。 “Ⅱペテロ3章1〜18節「正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます」” の続きを読む
ヨハネ5章19〜47節「すでに始まっている救いの時」
クリスマスのたびごとに、「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(イザヤ9:6)と読まれながら、闇の中で救いを待ち望んでいた人々のために救い主が誕生してくださったことを喜びます。 “ヨハネ5章19〜47節「すでに始まっている救いの時」” の続きを読む
マタイ1章17〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」
「親の因果が子に報い・・」というのは、とっても嫌な表現ですが、私たちの生きにくさの一面を言い当てているのかもしれません。たとえば、親から虐待を受けて育った子供は、親になった時、「私は親のようには絶対にならない・・」と願っているのに、同じ過ちを繰り返してしまう・・・ということがあります。 “マタイ1章17〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」” の続きを読む
マタイ1章1〜17節「新約の創世記 – イエス・キリストの系図」
「約束」という漢字には、目印を付け、木を束ねて縛るという意味が込められています。つまり、「約束」には互いを束縛する取り決めを忘れないようにするという意味があります。そして、これはヘブル語の「契約」ということばでも同じです。 “マタイ1章1〜17節「新約の創世記 – イエス・キリストの系図」” の続きを読む
創世記42章〜50章「神はそれを良いことのための計らいとなさいました」
「あのことのせいで・・」という「恨み」「後悔」「怒り」などに囚われている時、ふと、より大きな神の物語の中に「自分の居場所」を見出せるなら、「赦し」と「和解」がずっと楽になるのではないでしょうか?人の悪を良いことのための計らいとされる神のみわざを覚えてみましょう。 “創世記42章〜50章「神はそれを良いことのための計らいとなさいました」” の続きを読む
創世記35章16節〜42章9節「夢を見させ実現してくださる神」
1990年以降のバブル経済崩壊、1995年のオウム真理教事件は、多くの日本人から信仰的な面での「夢」を奪い取りましたが、今もその後遺症に支配されている人が多いのかもしれません。 “創世記35章16節〜42章9節「夢を見させ実現してくださる神」” の続きを読む
イザヤ65章16〜25節「新しい天と新しい地を待ち望みつつ生きる」
聖書全体には、創造主の圧倒的な愛の物語が描かれていますが、そこには同時に、神の愛を無視する者への永遠のさばきが描かれています。「のろい」と「祝福」をセットに提示するというのは、申命記以来の聖書の記され方ですが、しばしば、聖書全体の文脈を離れて、地獄の恐怖ばかりが独り歩きすることがありました。 “イザヤ65章16〜25節「新しい天と新しい地を待ち望みつつ生きる」” の続きを読む
創世記31章〜35章「押しのける人から祈りの人へ」
人は、失うことを恐れながら生きているのかも知れません。確かにそこに大きな痛みが伴います。しかし、自分の弱さを覚えさせられる中でこそ、神の御手にある安心を体験できるのではないでしょうか? “創世記31章〜35章「押しのける人から祈りの人へ」” の続きを読む
ヨハネ5章1〜29節「死からいのちに移っている」
多くの人は信仰生活を、何かの教えを守ることだと誤解しています。しかし、それでは、「クリスチャンになったせいで、かえって生きにくくなった」と思うことになりかねません。 “ヨハネ5章1〜29節「死からいのちに移っている」” の続きを読む
詩篇96篇「主 (ヤハウェ) は王である」
長い歴史を振り返ると、現代の日本は人類史上未踏の繁栄に中にあると言えます。宇宙船から見下ろす日本はまさに「光の国」に見えるとのことです。そして、その繁栄のシンボルは東京ですが、その中でひとりひとりの心はどんどんやせ細り、漠然とした不安や不満が広がっていると言われます。生活はどんどん便利になる一方で、心はどんどん余裕がなくなっています。 “詩篇96篇「主 (ヤハウェ) は王である」” の続きを読む