「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」という近代史の本が以前、ベストセラーになりました。昔は、一部の軍閥が勝手に戦争を引き起こしたという見方が大勢を占めましたが、最近はもっと大局的な視点が重視されるようになってきました。たとえば、日米開戦時の工業生産高では米国は日本の10倍にも達していました。しかし、そのような無謀な戦争に勝利を期待したのは、その36年前の日露戦争では日本が8倍の国家予算を持つロシアに勝利を収めたことが最も大きな理由になっていました。 “ヨシュア7章〜9章「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」” の続きを読む
マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」
主の祈り ギリシャ語原文対訳 “マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」” の続きを読む
ヨシュア4章〜6章「新しい創造を、記念する」
私たちはみな、どこかで神のすばらしいみわざを体験しているからこそ、イエスにつながっているのではないでしょうか。
しかし、ときに、「あの頃は、神の臨在を身近に感じていたのに、今は、私の心は渇いたままだ・・・どうしたら、信仰の喜びを回復できるだろうか?」と悩むことがあるかもしれません。その際、その「体験の記憶」を繰り返し思い起こし、「新しい創造」として「記念」することこそ神の命令です。 “ヨシュア4章〜6章「新しい創造を、記念する」” の続きを読む
ヨシュア1章〜3章「恐れるな。わたしがあなたとともにあるから」
「ヨシュア」とは、「主(ヤハウェ)は救い」という意味で、そのギリシャ語名が「イエス」です。神が約束の地を占領させるためにヨシュアを立てたように、神はイエスを立てて私たちを世界に遣わされます。 “ヨシュア1章〜3章「恐れるな。わたしがあなたとともにあるから」” の続きを読む
申命記31章〜34章「自業自得の苦しみにあった後にある希望」
2017年1月22日
現代は、聖書が記された三千数百年前には想像もつかなかったような驚くべき豊かさと便利さの中にあります。しかし、何と多くの人々が孤独と失望と恐怖の中に生きていることでしょう。物質的に満ち足りることは幸福の保証にはなりません。 “申命記31章〜34章「自業自得の苦しみにあった後にある希望」” の続きを読む
ヨハネ16章25節〜17章8節「わたしはすでに世に勝ったのです」
最近日本でもブームになっている「サピエンス全史」という本があります。進化論的説明を絶対化することには賛成できませんが、ホモ・サピエンスと呼ばれる人類が、驚くほどひ弱であるにも関わらずこの地の支配者となれたのは、ときにフィクションとも呼ばれる「想像上の現実」を大集団で共有して協力し合うことができたからであるという解説には感心しました。 “ヨハネ16章25節〜17章8節「わたしはすでに世に勝ったのです」” の続きを読む
イザヤ40章「主を待ち望む者は新しく力を得る」
2016年紅白歌合戦のテーマは「夢を歌おう」でした。その中でひと際、歪んだ夢が歌われていました。高橋真梨子さんの「ごめんね」です。そこでは、「好きだったのに、それなのに貴方を傷つけた。ごめんねのことば涙で言えないけど……世界中きっと、いちばん大切な恋を無くしたのね……連れて行って、別離(わかれ)のない国へ」と歌われています。自業自得で苦しみながら、永遠への夢が歌われています。 “イザヤ40章「主を待ち望む者は新しく力を得る」” の続きを読む
マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」
最近、お金や経済に関する話で他教会に招かれます。次のような文章をどのように思われるでしょう。
「経済が国家の決定的な支配者の地位にのぼるのにきっちり応じて、貨幣は神となり、あらゆるものはこれに奉仕し、だれもがこの前に屈服しなければならなかった。天上の神々はますます時代遅れで、すたれたものとなり、隅の方へしまわれてしまい、代わりにマモン(富)の偶像に香がたかれた。まことに困った堕落が始まった・・・崩壊の究極的原因は、もっと外の領域に・・あるに違いない・・旧帝国の破滅のもっとも深い究極的原因は、人種問題および、それが民族の歴史的発展に対して持つ意味を、認識しなかったことにある」・・・ “マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」” の続きを読む
イザヤ11章1〜10節「神の平和 (シャローム) をもたらす救い主」
聖書ではイエスの誕生という重大なことが、驚くほど簡潔に記されています。
「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。
それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
救い主の誕生の様子は、たったこれだけしか描かれていません。たとえば、しばしば聖誕劇では、ヨセフとマリヤがベツレヘムに着いてすぐに宿屋を捜したけれどもどこも満室でどうにか馬小屋に入れてもらったかのように描かれますが、そのようなことは何も記されていません。 “イザヤ11章1〜10節「神の平和 (シャローム) をもたらす救い主」” の続きを読む
マタイ1章「ダビデの子としての救い主の誕生」
先日の子供クリスマス会で「靴屋のマルティン」の人形劇を上演しました。マルティンはロシアの田舎の評判の良い働き者の靴屋さんでした。若くして結婚しましたが、奥さんとお子さんたちを早くに亡くしてしまい、ひとり残った息子を育てながら後継ぎにすべく訓練していました。しかし、その子も病気でアッという間に死んでしまいます。彼は絶望の底に落とされます。 “マタイ1章「ダビデの子としての救い主の誕生」” の続きを読む