Ⅰサムエル22章〜24章「恐れを祈りに変えたダビデ」

2017年10月29日

プロテスタント教会にとって、10月31日はハロウィンの日ではなく、宗教改革記念日です。マルティン・ルターは五百年前のこの日に、ウィッテンベルグの城教会の門に、免罪符に抗議する95箇条の提題を張り出したと言われます。

ハロウインの起源は、「諸聖人の日」の前の晩、Hallow Eveに由来するとも言われますが、ルターは敢えて、異教的な習慣が入り込んだこの日を選んで抗議したとも言えます。彼は聖書が民衆に母国語で読まれるようにすると同時に、みことばを歌にして伝えようとしました。

あなたは「ダビデ」に何を連想するでしょう。家来の妻を奪って死に至らしめたとか、息子の葛藤に向き合えずに王位を奪われたということかもしれません。しかし、何よりも不思議なのは、それらの失敗が赤裸々に記録され、弁明の余地もない罪として描かれていることです。それを彼が望んだからで、彼ほど正直な人間はいないとも言えます。

そしてダビデの最高の遺産は、詩篇の祈りとそれを歌にしたことです。そこには人間が様々な場面で味わう多様な感情が驚くほど赤裸々に表現されています。その美しい祈りが生まれたのはサウル王に命を狙われ、逃げ惑っていた時でした。

第二次大戦の迫害を潜り抜けたある牧師は、「困難は祈りの母、試練は信仰の父」と口癖のように言われたとのことですが、私たちが切羽詰った状況に置かれた時こそ、私たちのうちに聖霊のみわざが顕著に現されます。

順風満帆な人生を望むのは人情ですが、創造主を身近に感じるためには、適度の困難と試練は不可欠です。そこに覚悟が決まると、災いを恐れながら生きる代わりに、失敗を恐れずに冒険する勇気が湧いて来ます。

1.ダビデのもとに人々が次々と集まる一方、味方をも敵にしてしまうサウル

ダビデは、ペリシテの町ガテで気が狂ったふりをし、命からがらベツレヘムへの道の中間点、「アドラムの洞穴に避難し」ました(22:1)。すると、「彼の兄弟たちや父の家の者はみな、これを聞いてダビデのところに下って来た」というのです。彼がイスラエルの王から追われる身となったからです。

彼はエッサイの八番目の息子、末っ子ですから(16:11)、「彼の兄弟たち」とはみな兄たちです。それは彼の将軍としての働きを兄たちも認めるようになっていたからでしょう。

そればかりか、「困窮して(迫害されて)いる者、負債のある者、不満(魂の痛み)のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった」と描かれます(22:2)。そこに集まった「四百人」とは男だけの数を指します。年功序列的な感覚を越えた集団で、彼の人格が信頼されていた証しとも言えます。

かつてサウルは、「民が私から離れ去って行こう」としているのを見て恐れ(13:11)、主のみこころに反する行動を取りましたが、ひとりで逃亡したダビデのもとには次々と人が集ってきたというのは何とも不思議です。彼らは、損得を超越したダビデの生き方に共鳴した人々で、いのちがけで彼に仕えた三勇士もこのときに加わりました(Ⅱサムエル23:13)。

14世紀の中国に生まれた「水滸伝」という創作物語に、108人の豪傑が梁山泊に集まって社会の不正と戦ったという話があります。

しかしこの「アドラムの洞穴」の記事はそれよりも2500年も古い歴史的事実の物語です。ただ権力からはみ出た有能な人材が集まるという物語の原型がここに見られます。

なお、ダビデはこのとき、年老いた両親を死海の対岸に住むモアブ王のもとに預けました。モアブ人はイスラエルと争うことが多かった民ですから、これは不思議です。しかしダビデの父エッサイはモアブの娘ルツの孫でした(ルツ4:17)。ダビデの家は、初めから当時の民族的常識の枠を超えた交わりを築いていたのです。

4節ではダビデが「要害にいる間」と記されますが、そこはモアブとの行き来が容易な死海の西の要害マサダを指しているとの見方があります。興味深いのはここに突然、「預言者ガド」(29:5)という名が登場することです。彼は後にダビデが幕屋礼拝を復興した時の中心人物でⅡ歴代誌29:25では「王の先見者ガド」と紹介されています。たぶんサムエルのもとで訓練を受けた人なのでしょう。

ガドの進言によってユダの荒野に戻ったと記されていることに、ダビデの謙遜な性格が示唆されています。

一方、サウルは、「聞け、ベニヤミン人。エッサイの子が、おまえたち全員に畑やぶどう畑をくれたり……するだろうか」と言います(22:7)。それは自分が同族を優遇してきたにも関わらず、息子ヨナタンがダビデと「契約を結んでも、だれも私の耳に入れない……だれも私のことを思って心を痛めることをせず」(22:8)と、自己憐憫に浸るような泣きごとです。

そんな彼に擦り寄って来たのは、エドム人ドエグという神を恐れない者でした。彼は祭司アヒメレクがダビデにパンと剣を与えたことばかりを強調します。それを聞いたサウルは、祭司アヒメレクとその一族、また彼の町の「ノブにいる祭司たちを呼び寄せます(22:11)。

サウルは一方的に、「おまえとエッサイの子は、なぜ私に謀反を企てるのか」と迫り(22:13)、アヒメレクの弁明に耳を傾けようともせず、近衛兵たちに「近寄って、(ヤハウェ)の祭司たちを殺せ」と命じます(22:17)。そこで、「しかし王の家来たちは、主(ヤハウェ)の祭司たちに手を下して打ちかかろうとはしなかった」とあるのは、彼らが王よりも、主(ヤハウェ)を恐れたからでしょう。

そこでサウルはエドム人ドエグに「おまえが行って祭司たちに打ちかかれ」と命じます(22:18)。それで彼は「亜麻布のエポデを着ていた人を八十五人殺した」ばかりか、「祭司の町ノブを、男も女も、幼子も乳飲み子も、剣の刃で討った」というのです(22:18,19)。

既に預言者サムエルを敵にしたサウルにとって、祭司アヒメレクの一族こそ頼りになるはずでした。しかし、この非道な振る舞いで、民衆の心はますます離れてゆきます。彼は「おくびょうの霊」(Ⅱテモテ1:7)に支配され、自分の王位を失うことを恐れるあまり、神と人とを敵に回しました。

彼は「不安の種」を消すことばかりに夢中になり、神から与えられた使命を忘れてしまいました。しかし、彼が向き合うべき相手は、ダビデではなく、彼を最初に王として立て、その後、彼を退けると言われた神ご自身であったのです。

この直後、アヒメレクの息子エブヤタルが一人逃れてダビデにこの悲劇を知らせました。ダビデは、「私が、あなたの父の家の者全員の死を引き起こしたのだ」(22:22)と、まるで自分に責任があるかのように言います。確かに人間的にはそのようにも言えましょうが、神の前で責任を問われるのはサウルとエドム人ドエグに他なりません。

ダビデは何よりも、エブヤタルの気持ちに寄り添っているのです。そして彼に、「私と一緒にいなさい」と言ったばかりか、そうすれば「あなたは安全だ」とまで言い切ります(22:23)。それはダビデが主の守りを信頼しているからですが、同時に自分とエブヤタルを一体化しています。

そこに実際の首謀者ドエグへの怒りが生まれます。ダビデはサウルを主に油注がれた王と見ていましたから、サウルに一方的に偏った情報を伝え、祭司を殺すことに躊躇もしなかったドエグこそが、主のさばきを受けるべきと思いました。

ダビデはその「怒り」の気持ちを、詩篇52篇において、神への「祈り」として表現します。ダビデはそこで、「神を力とせず……破滅のわざを勝ち誇る」者への神のさばきを歌いながら、自分を「神の家に生い茂るオリーブの木」と描き、「私は、世々限りなく、神の恵みにより頼む」と歌います(7,8節)。

ダビデは不安と怒りに圧倒される状況の中で、その気持ちを主に訴えることができました。栄光から地獄へと転がり落ちるサウルと、どん底から栄光へと導かれるダビデ、その両方の心が私たちにもあるのではないでしょうか。その違いは、不安の中で神と向き合っているのかという一点でした。

2.善意が実を結ばず、味方からも裏切られる中で

ダビデは、アドラムの洞穴のすぐ南のユダの町、ケイラがペリシテ人の攻撃を受けていると知らせを受けます(23:1)。人間的にはダビデの側に助ける余裕はありませんし、その救援は王であるサウルの責任でもあります。しかし、ダビデは人間的な判断を下す前に、「主(ヤハウェ)に伺って」、「行って、このペリシテ人達を打つべきでしょうか」と尋ねます(23:2)。それに対し主は明確に、「行け、ペリシテ人を討ち、ケイラを救え」と言われます。

しかし、ダビデの部下は、「私たちは、ここユダにいてさえ恐れているのに……」と、その無謀さを訴えます。それで再びダビデが主に尋ねると、主から「わたしがペリシテ人をあなたの手にわたす」という保証を得ます。そしてダビデは出陣し、「ケイラの住民を救った」というのです(23:5)。

ところが、それを聞いたサウルは、何とダビデをケイラの町ともども滅ぼそうと迫って来ました。それを知ったダビデは、神に今後の予測を尋ねます。主は彼の動機の真実さを見て、サウルが攻撃してくること、またケイラの者たちがダビデたちをサウルに「引き渡す」という明確な答えを示されました(23:12)。

ダビデは自分が助けたこの町を力ずくで従える権利がありました。しかし、そうすればサウルの軍隊を迎え打ちながら、ケイラの住民に多大な犠牲を強いることが分かっていました。

それで「ダビデとその部下およそ六百人はすぐにケイラから出て行き、そここことさまよった」(23:13)というのです。それでサウルもケイラの町への攻撃をやめます。こうしてダビデは、何の報酬もなしに二度に渡ってケイラを救いました。

しかし、ダビデはこれによって居場所を失い、「サウルは、毎日ダビデを追い続けた」という事態になりました(23:14)。しかし、同時にそこには「神はダビデをサウルの手に渡されなかった」という主の守りがありました。

そのような中で彼は、詩篇63篇を作ったのではないでしょうか。その標題には、「ダビデがユダの荒野にいたときに」と描かれているからです。そこで彼は、「あなたの力と栄光を見るために こうして聖所であなたを仰ぎ見ています。あなたの恵み(ヘセド)は いのちにもまさる……まことに あなたは私の助けでした。御翼の陰で 私は喜び歌います」と記しています(2,3,7節)。

ダビデは神の御声を聞いてケイラを救い、また離れました。彼は荒野の中で、聖所にいるように神の御声を聞いていたのです。そこで彼は、また神の「恵み」(ヘセド)、つまり「契約に基づく真実の愛を」体験していたのです。

さらに「ダビデは、サウルが自分のいのちを狙って、出てきたのを見た」(23:15)と描かれます。ダビデの心は「恐れ」に囚われたことでしょう。しかしそこで、「サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた」というのです(23:16)。それは、ヨナタンとの契約の真実によって、神の真実を思い起す契機になったことでしょう。

そこでヨナタンは、「あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となることでしょう」(23:17)と言いますが、人間的には彼のナイーブさが現れているとも言えます。二つの王家が並立することはありえないからです。

ただ、彼は「父サウルも、そうなることを確かに知っている」と言いつつ、父の葛藤にも思いを馳せます。サウルはダビデが王になることを恐れているから彼を追い詰め、ヨナタンはそれを知っているから彼を力づけています。同じ現実認識が、父と子をまったく異なった方向に動かすというのは何とも不思議です。そこに信仰が働くのです。

なお、ダビデはユダ族の中心地ヘブロンの南東に広がるジフの荒野に隠れていましたが、同族のジフ人が隠れ家をサウルに知らせます(23:19,20)。

サウルもこれに乗じ、「さあ行って、さらに確かめてくれ……私はあなたがたといっしょに行く。彼がこの地にいるなら、ユダのすべての分団のうちから彼を捜し出す」(23:23)と、ダビデをユダ族から分離させようとします。軍事力の圧倒的な差を見た人々はこぞってサウルの側に馳せ参じます。

詩篇54篇の標題にはこの状況を描いており、そこでダビデは、「あなたの力強いみわざによって 私を弁護してください……横暴な者たちが 私のいのちを求めています。彼らは神を前にしていないのです……あなたの真実によって 彼らを滅ぼしてください」(1,3,5節)と祈っています。

私たちの人生にも、敵側に属するはずの人が味方になり、自分の味方だと思った人々が敵になるということがあるかもしれません。だからこそ人の顔色を見て悩む代わりに、神により頼むことが大切です。

ダビデがすぐその南のマオンの荒野を逃げていたとき、「サウルが山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山のもう一方の側を進んだ」(23:26)という状況にまで追い詰められました。

しかしそのときペリシテ人がイスラエルに突入してきたとの知らせが届き、サウルは転じてペリシテ人を迎え撃ちに出てゆきます。この危機一髪だった地が、「仕切りの岩山」(23:28)と呼ばれます。

これは偶然ではなく、主が生きて働いておられることのしるしです。そのような中で、ダビデは神の「真実」を、身を持って体験しました。

3.恐れと怒りにとらわれたサウルの心を和らげることができたダビデの言動

ダビデはその後、死海のほとりの要塞マサダの約10㎞余り北にある「エン・ゲディの要害に住んだ」(23:29)と描かれます。サウルはペリシテ追撃作戦を一段落して、ダビデの居場所を聞くと、「イスラエル全体から三千人の精鋭を選り抜いて……ダビデとその部下を捜しにでかけ」ます(24:2)。

そしてサウルはある洞穴を見て、「用を足すため(直訳『足をおおうため』)にその中に入った」のですが、そのとき何と「ダビデと部下は、その洞穴の奥の方に座ってい」ました(24:3)。

家来はダビデに、「今日こそ、主(ヤハウェ)があなた様に、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す……』と言われた、その日です」と、サウルを殺すことを進言します(24:4)。彼は無防備な姿勢で屈み、その「上着」(王のマント)を広げていたからです。

しかし、ダビデは、その「裾を、こっそり切り取った」ことにとどめ、それに対してさえ「心を痛めた」ほどでした(24:4,5)。そして部下に向い、自分の命を狙うサウルのことを、「主(ヤハウェ)に油注がれた方、私の主君」と呼び、彼に手を下すことは、彼を立てた主(ヤハウェ)に敵対することになるという趣旨のことを言って、「部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった」というのです(24:6)。

これはサウルを殺す絶好の機会だったのは明らかで、主の導きとも解釈できましたが、ダビデは思いとどまりました。

その上で彼は、サウルの後から洞穴を出て地にひれ伏し、王は根拠のない噂に振り回されていると切々と訴えます。それはサウルを直接に責める代わりに、彼の良心に訴える姿勢です。

ダビデは「主(ヤハウェ)が……私の手にあなたをお渡しになったのに」(24:10)と、自分の側に彼を殺す機会があったという事実を見せます。そして、サウルを「わが父よ」と呼び、「私の手にある……上着の裾をよくご覧ください……それによって、私の手に悪もそむきもないことを、お分かりください」(24:11)と訴えます。そして「私はあなたに手をかけることはしません」(24:12)と断言し、イスラエルの王である者が、「死んだ犬……一匹の蚤」のような自分を恐れる必要はないと訴えます(24:14)。

そして、「どうか主(ヤハウェ)が、さばき人となって私とあなたの間をさばき……正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように」(24:15)と締めくくります。

これに対して、サウルも「わが子ダビデよ」と呼びつつ「声をあげて泣いた」というのです(24:16)。まさにダビデのことばには、サウルを悪い霊から解放した「立琴」(16:23)と同じ効果がありました。人間的に見ると、このときダビデこそが大軍に取り囲まれ、サウルのひと言で命がなくなる状況でした。

しかし、サウルの心は驚くほど穏やかになり、「おまえは私より正しい。私に良くしてくれたのに、私はおまえに悪い仕打ちをした」(24:17)と反省しています。彼はさらに、「今日」のことに関しても、「主(ヤハウェ)が私をおまえの手に渡されたのに、私を殺さなかった……」とダビデに同意します。

そればかりか、万軍の主ご自身が、サウルではなくダビデ側に立っているという霊的な事実を認め、「主(ヤハウェ)がおまえに幸いを与えられ……おまえの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った」(24:19,20)とまで言います。そして、自分の家を根絶やしにしないことを、王であるサウルが何の立場もないダビデに懇願したというのです。それは、サウルが、現実を主の視点から見ることができるようになった結果と言えましょう。

サウルがダビデの命を狙うようになったのは、王位を奪われるという「恐れ」の故でした。しかし彼はそれを正直に認める代わりに、自分の力で競争者を排除しようとしました。

一方ダビデは、自分の恐れを正直に認め、主に訴えた結果、今、丸腰でサウルの前に身をさらしています。「恐れ」を「祈り」に変えることによって、驚くほどの勇気が生まれたばかりか、恐れにとらわれたサウルの心をも和らげたのです。

ダビデはこのときのことを詩篇57篇で歌っています。彼はまず自分が「洞穴」の中に身を隠している切羽詰った状況を、「滅びが過ぎ去るまで 御翼の陰に身を避けます」(1節)と、何とも美しく表現しました。

そして、神がサウルを自分の目の前に送って来たことを、「神は 天から助けを送って 私を救い」と表現し、サウルが三千人の精鋭を引き連れて自分に迫って来ていながら、ダビデの前に無防備な姿を顕にしたことを、「彼らは私の足を狙って網を仕掛け……私の前に穴を掘り 自分でその中に落ちました」(6節)と描いたことでしょう。強大な軍事力を誇っているときにこそ、油断してしまうからです。

8節でダビデは「私のたましいよ 目を覚ませ 琴よ 竪琴よ 目を覚ませ」と繰り返し、三度目は同じ動詞を用い、「私は暁を呼び覚まそう」と自分の願望を歌います。彼はこのとき、竪琴を奏でるように言葉を選んでサウルの心を和らげ、神がダビデ王国を建てようとしていることに目を向けさせたからです。

現代の私たちにとって、キリストの十字架と復活によって、「暁」はすでに「呼び覚ま」されています。パウロは、「割礼」のような目に見える信仰のしるしにこだわっている人に対し、たったひとこと「大事なのは新しい創造です」(ガラテヤ6:12)と断言しました。

創造主なる聖霊が私をとらえ、混沌とした私と世界のうちにすでに「新しい創造」を始めてくださいました。その「しるし」に目を留め、神を賛美しましょう。

ダビデは、神への祈りを竪琴で奏で、歌いました。ルターは、「音楽は神のことばに次いで称賛に値するものである。音楽は、人間の心の動きの主人であり、支配者である」と記しています。

ルター自身も、サタンの攻撃を受け極度のうつ状態になった時、「神はわれらが堅き砦」という歌を作詞作曲することによって慰めを受けました。しばしばバッハは「音楽の父」と呼ばれますが、彼はルターこそがその名にふさわしいと言うことでしょう。なぜなら、一般会衆が歌う讃美歌は、ルターから始まり、多くの教会音楽はその讃美歌をアレンジすることから生まれているからです。

ダビデは、恐れの気持ちを、神への祈りとして表現し、しかもそれを神への賛美の歌としました。それこそ人の心を神へと導く聖霊のみわざでした。