2017年8月13日
昔、こんな話を聞きました。映画「ベンハー」の小説の原作者は、キリストの復活を否定する文書を書こうとして当時の状況を徹底的に調べた結果、反対に、キリストの復活を証拠立てる様々な事実に圧倒されて、キリストの物語を書くようになった……と。 “ヨハネ20章19〜31節「信じない者を信じる者に変えて遣わしてくださるイエス」” の続きを読む
2017年8月13日
昔、こんな話を聞きました。映画「ベンハー」の小説の原作者は、キリストの復活を否定する文書を書こうとして当時の状況を徹底的に調べた結果、反対に、キリストの復活を証拠立てる様々な事実に圧倒されて、キリストの物語を書くようになった……と。 “ヨハネ20章19〜31節「信じない者を信じる者に変えて遣わしてくださるイエス」” の続きを読む
2017年8月6日
多くの人は、自分の心の平安(シャローム)を求めて、信仰に入ると言われます。それは、自分の回りに何が起きても、動じないように自分の心を制することができる方法とも言えましょう。 “Ⅰサムエル1章〜3章「悩みから生まれた驚くべき救い」” の続きを読む
2017年7月23日
多くの人は、何かの「渇き」に駆り立てられているかのように生きています。すべての人の心の底にある「渇き」とは何でしょう。
それを箴言19章22節は、「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」と述べています。「変わらぬ愛」とは、ヘブル語のヘセドで、「誠実」とか「真実」とも訳すことができます。 “ルツ「のろわれた民の娘から祝福された王家の母へ」” の続きを読む
2017年7月16日
現代はポスト・モダンの時代と言われ、合理性重視の陰で人の心情が軽んじられてきたことへの反省が起きています。17世紀のパスカルは、「心情は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている」(パンセ277)との名言を吐きました。 “ヨハネ20章1〜18節「イエスのために泣き続けたマリヤへの祝福」” の続きを読む
2017年7月9日
私たちはみな人知れず傷つけられ、その傷跡から別の人を傷つける言動が生まれます。この世界を暗くしているのは、この罪の連鎖です。
しかし、イエスが十字架で、どのように血を流され、その傷跡から何が生まれたのか、を思い巡らすことを通して、そこに解決の鍵を見出すことができます。 “ヨハネ19章31〜42節「十字架から湧き出るいのちの泉」” の続きを読む
2017年7月2日
キリスト教会の歴史を見ると、「主(ヤハウェ)の御名」を持ち出した「戦争」や「ご利益主義」が福音を歪めてきた現実が見られます。その原点が今日の士師記に見られます。
神の救いの目的が、この世界を神の平和(シャローム)で満たすことにあるという中心点を忘れるところから、その逸脱が始まります。 “士師記17章〜21章「めいめいが自分の目に正しいことを行なう中での悲劇」” の続きを読む
2017年6月18日
人は今、小川のせせらぎや森の木々、青空ばかりか太陽の光さえなくても過ごせるような人工的な世界に住んでいます。「世界って、何て美しいんだろう!」という感動を最近味わったことがあるでしょうか? “詩篇139篇「神の最高傑作として生かされる」” の続きを読む
2017年6月4日
サムソンの身体は驚くほど強いのに、心はどうしてこうも弱いのかと思われます。しかし、それにまさって不思議なのは、彼がイスラエルの民から完全に浮いていたことです。神の御霊に動かされながら、これほど孤独だった人がいるでしょうか。彼がこれほど女性の誘惑に弱い原因は、孤独かもしれません。 “士師記13章〜16章「孤独なナジル人サムソン」” の続きを読む
2017年5月28日
「勝った負けたと♪騒ぐじゃないぜ♪あと態度が大事だよ♪」という演歌が流行ったことがあります。人生には勝ち負けよりもはるかに大切なことがあるというのですが、アモン人のとの戦いに勝ちながら、自分の一人娘を失ってしまったエフタの記事には、心が痛みます。 “士師記10章〜12章「主に用いられながら、主を知らなかった人」” の続きを読む
2017年5月21日
「主のみこころは?」と多くの信仰者が問いかけますが、多くの場合は、就職、結婚、自宅の建設、教会の選択などということに絡んで用いられます。
私も就職の際に、多くの内定をいただきながら、「みこころの就職先は?」と真剣に祈りました。しかし、入社三日目に、「みこころを読み間違えた……」と深く後悔しました。しかし、それは、新規開拓の飛び込み訪問外交が苦しかったからかもしれません。 “ヨハネ19章16〜30節 「イスラエルの使命を完了した王なる小羊」” の続きを読む