エペソ2章1〜16節「私たちは神の作品(ポエム)です」

2018年1月21日

 多くの人の心の奥底に「変身願望」があると言われます。子供も「・・レンジャーに変身!」という物語に興味を惹かれます。それこそ、人が「信仰」に期待するものかもしれません。

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詩篇19篇「天は語り、みことばは生かす」

2018年1月7日

ふたつのものがある。それに思いを巡らし心を集中させればさせるほど、この心をいつも新たな驚異と畏敬の念に満たしてやまない。それは私の上の星空と、私のうちにある道徳律である」と、ドイツの哲学者インマヌエル・カントは実践理性批判の結びにおいて記しています(私訳)。

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イザヤ11章1〜10節「平和の完成という希望に生きる」

2017年12月31日

50年前の日本と現在の違いは、「夢」にあるのかもしれません。当時の夢は愚かしいものだったかもしれませんが、アウシュビッツ収容所を生き延びたユダヤ人精神科医のフランクルは、「ひとつの未来を信じることができなかった人間は収容所で滅亡していった。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落した」と語っています。 “イザヤ11章1〜10節「平和の完成という希望に生きる」” の続きを読む

ルカ2章1〜19節「飼い葉桶こそ、救い主のしるし」

2017年12月24日
「あればあるほど、不足を感じる」ものこそ、お金と信用と力ではないでしょうか。事実、ある程度のお金を手に持つと次から次とやりたいことが生まれます。それは自己中心の罠である前に、社会の役に立ちたいと思う人にこそ起きる現実とも言えます。貧しい人にパンと住まいを提供したいと熱い情念を持ったら、いくらお金があっても足りませんし、信用と力を持っていないと人々の協力も得られません。 “ルカ2章1〜19節「飼い葉桶こそ、救い主のしるし」” の続きを読む

ルカ1章「アブラハム契約を成就する救い主」

2017年12月17日
世界銀行のデータによれば、日本の年間起業率はOECD諸国のなかで最下位とのことです。国際的起業家調査では、日本の18~64歳の人口のうち、起業活動を積極的に行っているのはたった1.9%という結果が出ているそうです。一方、現在アメリカでは8人に1人(11.9%)が起業活動に従事しているとのことです。 “ルカ1章「アブラハム契約を成就する救い主」” の続きを読む

Ⅱサムエル5章4節〜7章19節「ダビデからキリストへ」

2017年12月10日

私たちはクリスマスのたびに、「闇の中を歩んでいた民は 大きな光を見る」(イザヤ9:2)と読みながら、神の民が「救い主」の到来を待ち続けていたと語ります。ここには逆説が込められています。それは闇のただ中に置かれ続けながら、そこで希望の「光」を見続けるという意味です。 “Ⅱサムエル5章4節〜7章19節「ダビデからキリストへ」” の続きを読む

Ⅱサムエル1章〜5章5節「神の時が満ちるのを待つ」

2017年12月3日

あなたの前に、「目の上のたんこぶ」のような人がいないでしょうか。ダビデは、サムエルから王としての任職の油注ぎを受けたとき、「紅顔の美少年」でした。彼が強くなるにつれ、サウルからの迫害が激しくなり、彼はその状況に十数年間は耐えたと思われます。 “Ⅱサムエル1章〜5章5節「神の時が満ちるのを待つ」” の続きを読む

エペソ1章15節〜2章7節「私たちに与えられた救いとは」

2017年11月26日

会社勤めをしていた時、ついつい被害者意識で一杯になり、目の前の最低限の課題を果たすことしか見えなくなりがちでした。そんなとき上司から、「社長になったつもりで、もっと高い視点から自分の仕事を見なければならない」と言われました。実は、キリスト者として生きるとは、「イエス様だったら、どうされるでしょう(What would Jesus do?)」と問いかけながら生きることとも言えます。 “エペソ1章15節〜2章7節「私たちに与えられた救いとは」” の続きを読む

エペソ1章1〜14節「三位一体の神の愛に包まれたいのち」

2017年11月19日

私たちは父、御子、御霊の三位一体の神の愛に包まれて生きています。それを、「キリストのうちにある生活」と呼ぶことができます。

私たちは今、イエス・キリストの弟、妹として、その傍らに置いていただき、イエスの父なる神に向かって、「アバ、父」と呼びかけることが許されています。しかも、そのような祈りを起こしてくださるのは、私たちのうちに住んでくださっている「聖霊」ご自身です。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と告白することはできません」(Ⅰコリント12:3)と記されているからです。 “エペソ1章1〜14節「三位一体の神の愛に包まれたいのち」” の続きを読む