2018年3月25日
生きるって、大変なことですよね。時々、めげそうになります。ときどき、「もう、やっていけない・・」と思うことがあるかもしれません。そして、ふと、「できたら、もっと気楽に生きてゆきたいな・・・」と思うことがあります。そんな中で、こんなことばが響いてきました。
2018年3月25日
生きるって、大変なことですよね。時々、めげそうになります。ときどき、「もう、やっていけない・・」と思うことがあるかもしれません。そして、ふと、「できたら、もっと気楽に生きてゆきたいな・・・」と思うことがあります。そんな中で、こんなことばが響いてきました。
2018年3月11日
以前、ある関係者の誘いで、第二次大戦の激戦地、硫黄島で開かれた日米合同記念会に参加する機会を得ました。この戦いでは22,800人の日本兵が11万人の米国兵を迎え撃って、米国兵に死傷者28,686人という太平洋戦争最大の被害をもたらしました。
2018年3月4日
サムエル記第二13-15章初めを読むと、「ダビデは何と愚かな父親なのだろう・・・」と唖然とするかもしれません。危機の中での「アダムの沈黙」はダビデの問題であり、多くの男たちの課題です。
2018年2月25日
初代教会の成長は、食事を共にする交わりの広がりとして描かれています。使徒ペテロは主の導きでローマの百人隊長コルネリウスの家で一緒に食事をしましたが、それが最初は仲間から非難されました(使徒11:2,3)。コリントの教会では貧しい信徒が豊かな人と同じ食事に預かるべきということから聖餐式の教えが記されます(Ⅰコリント11章)。ローマ人の手紙では、「野菜しか食べない人」を受け入れるようにと敢えて命じられていました(14:2,3)。
2018年2月18日
あなたの父親、またあなたの夫が、肝心のときに黙り込んでしまって、責任を果たそうとしないということがないでしょうか。そんなとき人は、「男らしくない!」と非難しますが、実は、それは、「ああ、彼は男なんだな。アダムの子孫なんだな・・」と言うことができるかもしれません。
2018年2月11日
15年ほど前のことですが、二十台の若さで天に召されたある女性の葬儀を司式させていただいたとき、私は、「彼女の死になんの解釈を加えずに、ただこの現実をそのまま悲しみ、彼女の思い出を宝物にしましょう……」という趣旨のことを話させていただきました。 “伝道者7章1〜24節「正しすぎてはならない—Let it be」” の続きを読む
2018年2月4日
悪いと分かっていることに手を出してしまうことを、「つい、魔が差してしまって・・」と言われます。これを英語にすると、tempted by an evil spirit(悪霊に誘惑されて)と訳されるようですが、日本語の微妙なニュアンスを現わしているとは言えません。「どうして、あの真面目な人が・・・」と言われるほど理由がわからないときに用いられる表現です。
2018年1月28日
聖書の物語をひとことで述べると「神の真実(ヘセド)」の歴史と呼ぶことができます。
聖書には、神の燃える怒りが何度も描かれますが、同時に神はご自分を裏切り続けるイスラエルの民に、「怒りがあふれて、少しの間、わたしは、顔をあなたから隠したが、永遠の真実の愛(ヘセド)をもって、あなたをあわれむ」(イザヤ54:8)と語っておられます。これこそが、神の怒りと真実の関係を現わす最高のみことばとも言えます。
2018年1月21日
多くの人の心の奥底に「変身願望」があると言われます。子供も「・・レンジャーに変身!」という物語に興味を惹かれます。それこそ、人が「信仰」に期待するものかもしれません。
2018年1月7日
「ふたつのものがある。それに思いを巡らし心を集中させればさせるほど、この心をいつも新たな驚異と畏敬の念に満たしてやまない。それは私の上の星空と、私のうちにある道徳律である」と、ドイツの哲学者インマヌエル・カントは実践理性批判の結びにおいて記しています(私訳)。