日本語の「教会」とはギリシャ語のエクレシアの訳で、それは「召し出された者たちの集まり」と訳すこともできることばです。その本質は「教えを受ける会」ではなく、「互いに愛し合う共同体」です。
そのように言われる割には、「この教会には愛がない」と言われる現実がどの教会にもあります。新興宗教の交わりの方がずっと愛があるように思えることがあっても不思議ではありません。しかしそれは私たちの信仰が、一人ひとりが、たったひとりで創造主と向き合うということが信仰の基礎にあることの逆の面でもあります。 “詩篇133篇、134篇「主にある交わりへの祝福」” の続きを読む