Ⅰ歴代誌22〜26章「主の宮での礼拝形式を整えたダビデ」

2019年12月8日

イエスは「ダビデの子」として生まれたと福音書では強調されます。しかし、サムエル記で描かれるダビデは、忠実な家来の妻を奪い取ったあげく彼を騙し討ちにし、息子たちの殺し合いに何も言えず、息子の反乱でエルサレムから追い出される父親失格の人間です。それを見ると、救い主を「ダビデの子」と呼ぶのに躊躇を感じる人もいることでしょう。

しかし、歴代誌に描かれるダビデの姿は、何よりもエルサレム神殿とそこでの礼拝のための徹底的な備えをした、最高の宗教指導者の姿です。彼はしかも現代まで続く礼拝音楽や礼拝のかたちの基本を整えた人物です。最高の政治家、軍事指導者でありながら、最高の音楽家、詩篇作者、礼拝形成者です。どうしてこれだけの偉大な働きができたのかと不思議に思えるほどです。歴代誌を読むなら、イエスを「ダビデの子」と呼ぶことの意味は本当に良く分かるとも言えましょう。

1.「彼がわたしの名のために家を建てる」

ダビデが傲慢になってイスラエルの人口調査をしたところ、 (ヤハウェ) の怒りがイスラエルの民に下り七万人が疫病で倒れました。ダビデは必死に悔い改めますが、そこで (ヤハウェ) は「エブス人オルナンの打ち場に、主 (ヤハウェ) の祭壇を築く」ことを命じます。エブス人とはエルサレムに昔から住んでいたカナン人です。

ダビデのささげ物に、主は天からの火で答えられ、彼は「これこそ神である主 (ヤハウェ) の宮だ。これこそイスラエルの全焼のささげ物の祭壇だ」と言います (22:1)。つまり、このダビデの悔い改めと王としての責任の自覚の現われとしての祭壇が、エルサレム神殿の基礎となったのです。

しかも、それは異邦人の収穫作業の場でもありました。そこに、神の宮が異邦人にとっても救いの場となることが示唆されます。

22章2-5節には、ダビデがエルサレム神殿の建設のために石材や杉材を用意したことが描かれます。彼はまず「イスラエルの地にいる寄留者」の中から「石切り工を任命した」と記されます (2節)。

Ⅰ列王記9章20-22節では、「イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した……しかし……イスラエル人を奴隷にはしなかった。彼らは戦士であり、彼の家来であり……」と記されていました。ただ、ここではダビデが寄留者の才能を生かした面が強調されます。

また4節では地中海岸の有力な異邦人の都市国家である「シドン人とツロ人が、大量の杉材をダビデのもとに運んできた」と、彼らが積極的に応援してくれた面が強調されます。

歴代誌が記された時代はイスラエルの民が異邦人の国ペルシャ帝国の下でかろうじて生かされていましたが、ダビデの時代は異邦人が彼に進んで仕えていたという対比がここでは描かれているとも考えられます。エルサレム神殿は世界の中心と見られたからです。

そのようなことを5節でダビデは、「わが子ソロモンは、まだ若く力もない。主 (ヤハウェ) のために建てる宮は、壮大なもので、全地で名声と栄誉を高めるものでなければならない。それゆえ私が用意しておく」と言います。そしてその結論が、「ダビデは彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた」と記されます。

その上でダビデはソロモンを呼び、「イスラエルの神、主 (ヤハウェ) のために宮を建てるように命じ」ます (22:6)。その際、ダビデは自分こそが「宮を建てる志を持ち続けてきた」(22:7) と、神殿を建てたかったという思いを明確にし、それが許されなかった理由を、示された「 (ヤハウェ) のことば」から引用します。

第一は、ダビデが「多くの血を流し、大きな戦いをしてきた」ためです。しかしそれは「 (ヤハウェ) の戦い」でしたから (17:8)、理不尽な理由とも思えます。ただ、ここで主はさらに「わたしの前に多くの血を流してきたからである」とも言っておられます。

民数記31章では、ミディアン人に「 (ヤハウェ) の復讐」をして人を殺した者が、七日間、宿営の外に留まって「身の汚れを除かなければならない」(19節) と命じられていましたが、ダビデが「血を流した」ことは儀式的な汚れを呼び起こしたという意味だと思われます。

それ以上にここでは、「主の宮を建てる」のは、ダビデやソロモンである前に、主 (ヤハウェ) ご自身であると明確にされているとも言えます。戦いに勝利したダビデがその勢いで神殿まで建ててしまっては人間に栄光が帰されることになります。

9節ではそのことが、ダビデから生まれる子に、主ご自身が「安息を与えると約束し、「彼の名がソロモン (シェロモ) と呼ばれる」のは、主が「イスラエルに平和 (シャローム) と平穏を与える」からと説明されます。

そして10節では、Ⅱサムエル7章12-14節、Ⅰ歴代誌17章12、13節で記されていたダビデ契約が繰り返されます。これは、ソロモンが主 (ヤハウェ) の「名のために家を建てる」ということであるとともに、ダビデの子のイエスが真の神の宮を建てるという預言になります。

また主がソロモンの「王座を……堅く立てる」という約束は、「ダビデの子」でるイエスの王座が「とこしえに堅く立て」られるという預言として解釈できます。

その上でダビデは、ソロモンが「 (ヤハウェ) の宮を立派に建て上げることができるように」と祝福します (11節)。その上で、「どうか主 (ヤハウェ) 」ソロモンに「思慮と悟りを与え」、「 (ヤハウェ) の律法を守らせてくださるように」と祈ります (12節)。

同時に「 (ヤハウェ) がイスラエルのためにモーセに命じられた掟と定めを……守り行うなら、あなたは栄える。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない」と励まします (13節)。

ここには、主のみわざと、彼の果たすべき責任の両方が記されています。これは主がモーセの後継者ヨシュアに言われたことの要約です (ヨシュア1:7-9)。それこそがすべての成功の秘訣です。

その上でダビデは、「見なさい。私は困難な中で (ヤハウェ) の宮のために、金十万タラント、銀百万タラントを用意した」と語っています (22:14)。

これについては単純な比較はできないにしても、ここでの金銀の量を現代の価格で算定すると19兆円になり、日本の一年間の税収の三分の一に相当する膨大な金額です。これはダビデが自分の生涯をエルサレム神殿の建設のために献げていたことを意味します。

そして15-19節ではダビデはさらに、主の宮の建設のために必要な「熟練した者」たちや数えきれないほどの仕事をする者たちを備え、また「イスラエルのすべての長たちに……ソロモンを助けるように命じた」と記されます。ダビデは彼らに、主ご自身が「周囲の者からあなたがたを守って安息を与えられた」という勝利を思い起こさせ、「心とたましいを傾けて、あなたがたの神、(ヤハウェ) を求めよ」と命じます (18、19節)。

ここでダビデがソロモンに、また民の指導者たちに命じたことは、そのまま私たちに適用できます。ここにおける中心テーマは神殿建設ですが、その原則は私たちのすべての働きにそのまま当てはまります。

2.「四千人は私が……作った楽器を手にして、主 (ヤハウェ) を賛美する者となりなさい」

23章には30歳以上のレビ人の数が三万八千人と記されていますが、民数記4章48節では出エジプトの時点での30歳以上50歳までの登録された者の数は8,580人であったと記されています。

歴代誌における千の単位は象徴的な意味があるとも言われますが、それが四つのグループに分けられ「 (ヤハウェ) の宮の務めを指揮する者は二万四千人、つかさとさばき人は六千人、四千人は門衛……四千人は……主 (ヤハウェ) を賛美する者」に分けられました。

さらにダビデは彼らが「私が賛美するために作った楽器を手にして」いたと記します (5節)。これは「ダビデの竪琴(リラ)」を指すようにも思われますが、ここでの楽器は複数形で、数々の楽器の組み合わせと理解することもできます。これらは「 (ヤハウェ) の楽器」として「ダビデ王が作ったもの」として大切にされていました (Ⅱ歴代7:6)。

モーセの時代は「銀のラッパ」(民数:10:1、10) ぐらいしか描かれませんが、ダビデの時代には楽器の種類が大幅に増えます。詩篇150篇では角笛、琴と竪琴、タンバリン、弦、笛、シンバルなどを用いて主をほめたたえることが命じられていました。

それらの楽器をダビデが発明したというよりも、ダビデが当時あった楽器を主への礼拝のために聖別し、その用い方などを定めたことが、ここで「ダビデが楽器を作った」と記されている意味であるとも理解できます。

23章6-23節には22人の氏族の長の名が記され、24節では「登録された一族のかしらたち」と呼ばれます。そして25節ではレビ人の奉仕を大切にされる理由が、「イスラエルの神、主 (ヤハウェ) は、御民に安息を与え、とこしえまでもエルサレムに住まわれる」と記されます。イスラエルの安定が、エルサレムに主 (ヤハウェ) が住んでくださることに基づいているので、主への礼拝を整えることが何よりの国の安定の基礎となるのです。

歴代誌がレビ族の系図とその働きに驚くほどを多くの記述を繰り返すのは、ダビデ以降のイスラエルの歴史が、主を礼拝することを軽んじることから転落し始めたことを深く反省しているからです。

しかもダビデは、二十歳以上のレビ人の者たちが神殿での様々な奉仕に着けるようにさせました。民数記4章3節ではレビ人の奉仕が30歳以上50歳までと記されながら、その8章24節では25歳から会見の天幕の奉仕に着くと記され、ここではさらにその年齢が20歳まで引き下げられています。

しかもそれは「ダビデの最後のことばにしたがって」なされた変更であるということが示唆されています (23:27)。たぶん、20歳以上30歳までは見習い的な働きが中心であったと思われますが、それは何よりも巨大な神殿を建設することを前提とすると、奉仕者の数が不足することが目に見えてきたからと思いえましょう。

なお、26節でダビデは、礼拝の施設が移動式の幕屋から固定的な神殿へと移行することに伴って、レビ人の幕屋や器具を運ぶという奉仕の必要がなくなったと説明しながら、その役目を、「 (ヤハウェ) の宮で仕えるアロンの子ら」、つまり祭司たちの働きを「助けることと再定義しました。そこではささげもの「各種の量や大きさを計ること」(23:29) などのような下働きの奉仕がありました。

さらにここでは賛美の奉仕に関しては、「朝ごとに、立って主 (ヤハウェ) をほめたたえ、賛美し、夕べにも同様にすること」(30節) と強調されます。そして彼らは「安息日、新月の祭り、および例祭ごとに、主 (ヤハウェ) に献げられるすべての全焼のささげ物が、主 (ヤハウェ) の前に絶えず、定められた数で献げられることについても責任を負う」と記され、祭司の働きを助ける責任が敢えて強調されます。

ささげ物を献げる最終責任は祭司たちにありましたが、ダビデはそれが律法にしたがって正しく献げられるように、それを支える働きの方に注目したと言えましょう。

32節で「彼らは、主 (ヤハウェ) の宮の奉仕に関して……同族アロンの子らの任務に当たった」と記されますが、共同訳では「アロンの子らへの務めを果たした」と訳され、その務めが祭司の働きを支えることにあったと説明します。

これは現代的には、牧師の務め以上に、礼拝奉仕者の働き全体に気が配られていたという意味です。しかも今は、主に向かっての動物や穀物の献げ物はないのですから、「 (ヤハウェ) をほめたたたえ(主に感謝し)主を賛美するための奉仕者を整えることに私たちも心を注いで行くべきでしょう。

3.「アサフとヘマンとエドトン……竪琴と琴とシンバルに合わせて預言する者」

24章では、祭司たちが24のグループに分けられ、またレビ人たちも同じようにグループに分けられることが描かれます。ダビデは、主の宮が建てられるはるか以前から、そこでの奉仕の体制を思い描き、毎日の礼拝奉仕の順番を組んでいました。

目に見える荘厳な神殿が建てられることも大切ですが、そこでの礼拝奉仕をどのように分担させるかに最初から目が向けられました。私たちの場合は、一週間に一度の礼拝に過ぎませんが、そこに向けてどれだけの準備が積まれて来たかがいつも問われています。

25章では、主を賛美するレビ人の奉仕体制が描かれますが、1節では「ダビデと軍の長たちは」という記述から始まり、賛美チームの区分けが国家の一大事として取り扱われていることが分かります。

そしてレビの三氏族の指導者の名がアサフとヘマンとエドトンと記され、「竪琴と琴とシンバルに合わせて預言する者とした」と描かれます。詩篇には彼らの作品が記されていますから、彼ら自身が、主から示されて主のみこころを歌ったということが分かります。

明確に作者が記されているものでは詩篇50篇、73-83篇の標題には「アサフの賛歌」と記されています。詩篇39、62、77篇の標題にはエドトンが指揮者または作曲者として登場します。詩篇88篇には「ヘマンのマスキール」と記されますが、意味は不明です。

2節ではアサフの子が4人と描かれ、3節ではエドトンの子が6人、5節ではヘマンの息子が14人と記されますから、これらの合計24人が24の賛美グループに分けられたと考えられます。

興味深いのは2節では、「王の指揮にしたがって預言するアサフの指揮下」、6節では賛美を指導するアサフ、エドトン、ヘマンの三人のリーダーが「王の指揮下にあった」と記されていることです。つまり、ダビデこそが最終的な賛美指導者であったというのです。

また3節では賛美指導者の働きが「竪琴に合わせて主をほめたたえ、賛美しながら預言する」、6節では、「シンバル、琴、竪琴を手に、主 (ヤハウェ) の宮で歌を歌い……神の宮で奉仕に当たる者たち」と描かれています。

そして7節では「 (ヤハウェ) にささげる歌の訓練を受け、みな達人であった彼らの同族の数は288人であった」と記されますが、これは24のグループが9節-31節にあるように12人ずつで構成されていたからです。ただこれは23章5節の四千人と大きく違うので、先に述べたように歴代誌における「」が実数というよりも象徴的な意味を持っていると理解されます。

26章では「門衛の組み分け」が描かれます。それはメシュレムヤ (1-3、9節)、オベデ・エドム (4-8節)、メラリ族のホサ (10、11節) の3氏族に分けられます。

オベデ・エドムとは、ダビデが神の箱をエルサレムに運び入れる際、一度目は荷車に載せてウザを死に至らしめた後に、その箱を「ガテ人オベデ・エドムの家に回した……主 (ヤハウェ) はオベデ・エドムの家と、彼に属するすべてのものを祝福された」という記事を思い起こさせます。

ガテ人とはペリシテ人の一部ですから、彼らがレビ人の一部と見なされるようになったことは驚くべきことです。それは血による異邦人を受け入れたダビデ王家の幅の広さの象徴とも言えましょう。

門衛はそれぞれ「くじ」で七つの門に分担されます (17、18節)。その働きは、「 (ヤハウェ) の宮」を聖く保つことです。イスラエルは後に、エルサレム神殿の中に偶像を運び入れてしまいますが、それは門衛の責任とも言えます。神の聖なる領域をこの世の汚れから分離することが彼らの働きだったからです。

これは現代の礼拝での、アッシャーや受付の働きです。彼らは礼拝者や新来会者を迎え、案内するという責任とともに、主を礼拝する領域を聖別するという責任があります。とにかく門衛の働きは、レビ人に課せられた貴い働きでした。一人ひとりの名が記されていることで、彼らの働きへの期待の大きさが現わされます。

26章20-28節には「神の宮の宝物倉および聖なるささげ物の宝物倉の管理」を担当するレビ人の名が記されます。彼らはイスラエルの民の指導者たちが献げたもの、また戦いで得た分捕り物を管理しました。彼らはダビデが神殿建設のために用意した莫大な財産を管理したことでしょう。

彼らは23章5節の四千人の門衛の一部であったとも考えられます。宝物倉こそ門衛が大切であるからです。公同の主への礼拝を守るためには多くのお金がかかります。それは現代の教会では財務の担当責任者と言えましょう。

29-32節では神殿の外で、イスラエルの民に対する「つかさやさばき人」として奉仕することが命じられていました。これは23章4節で「つかさとさばき人は六千人」と記されていた働きですが、彼らの働きが「 (ヤハウェ) に対する務めと王に対する奉仕のすべてを担った」(30節) と記されています。

これは神殿と王制に関わる税金を集める責任かと思われます。彼らが「勇者」(30、32節) と描かれるのは、税金を集めるには軍事的な強制力が必要だったからでしょう。

不思議なのは、ヨルダン川東のより大きな部族を管理する人数が1,700人であるのに対し、より小さな部族を管理する西側の人数が2,700人と格段に多くなっていることです。これはヨルダン川東部の支配地がダビデに反抗する可能性が高かったからとも言えましょう。

どちらにしてもレビ人の中で政治的な支配に関わるのが彼らの働きでした。それにしても、このダビデの政治的な支配権の基礎となる働きが、最後に少ししか記されていなこと自体が不思議と言えましょう。

歴代誌ではエルサレム神殿建設を導いたのはソロモンである前にダビデであるということが強調されます。また、不思議にもダビデは、最初、エルサレムに (ヤハウェ) の契約の箱を運び入れる際、レビ人の働きをほとんど理解していなかったかのようです。

しかし、その失敗を通して、彼はレビ人の尊い働きに目覚めます。ダビデはそれまで無視されてきたようなレビ人の働きを、徹底的に重んじて組織化します。

特に、主への賛美の奉仕と門衛の働きを整えるためにダビデが驚くほど精力を費やしたということが歴代誌では強調されています。それは私たちの礼拝に直接的につながる働きです。歴代誌を学ぶことによって、私たちは主を礼拝するための奉仕者を整えることの大切さに目覚めます。

また主を賛美することに、ダビデがどれほどの力を注いでいたかを見て驚きます。彼こそは礼拝音楽の創始者です。詩篇を歌うことは、三千年来の伝統なのです。私たちの礼拝を、より豊かにするために共に祈る必要があります。

ダビデの子として現れたイエスはご自身の十字架と復活で天にまことの神殿を建て、新しい礼拝のかたちを始めて、「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:23、24) と言われました。

イエスご自身が真理ですから、これはイエスのとりなしと聖霊の導きで、イエスの父なる神を礼拝するという意味です。