Ⅰ歴代誌9章35節〜12章40節「主 (ヤハウェ) に召された者が問われる誠実さ」

2019年10月27日 

先日は日本国天皇の即位の礼が行われましたが、それはキリスト教国における戴冠式と根本的に異なります。天皇が即位を宣明する高御座(たかみくら)は、その構造が天照大御神の子孫としての座を現わす舞台装置になっています。そこには天孫(てんそん)降臨という古事記神話の伝統が随所に見られ、天皇は、即位を自分で宣明しています。

一方、戴冠式は、この王が神によって立てられたことを、神の代理としての祭司が明らかにします。当然、それも明らかな宗教儀式になります。

日本の天皇は神道の大祭司的な面を兼ね備えていますから、別の祭司を立てて即位を宣言することはできません。異教社会である日本の天皇の即位が今回のような形になる必然性も理解できないわけではありません。

それにしても、日本の文化には明らかに平安朝以前の神話の伝統が息づいています。ただし、どの国の文化にも宗教的な背景がありますので、政教分離の原則をどのように適用すべきかには異論が生まれ得ます。

聖書の世界では、王を立て、王として任職するのは創造主ご自身の権威です。そこでは王に立てられるための資格は、その人の血筋や能力以前に、神が与えるものです。そして私たち一人ひとりもキリストとともに世界を治めるとして立てられています。

その際、「この世の取るに足りない者……を神は選ばれ」(Ⅰコリント1:28)、「王である祭司」(Ⅰペテロ2:9) として、世に遣わしてくださいます。私たちは今、「神のかたち」として神の愛を世界に現わすために遣わされます。そこで問われているのは誠実さです。

1.「このように、サウルは不真実のゆえに死んだ」

歴代誌第一の9章まではアダムから始まるイスラエルの十二部族の系図が描かれ、特にダビデ家の系図はバビロン捕囚後に至るまで記されます (3:17-24)。

そして9章35-44節は8章29-38節のベニヤミン族サウル家の系図と基本的に同じです。ただ35節ではエルサレムの北北西10㎞にある町ギブオンを開いた人の名前がエイエルと初めて記され、36節ではその子の五番目にネルという名が記されます(8章30節ではバアルとナダブという兄弟の間に入るべきはずのネルという名は登場せず、8章33節で突然ネルはキシュを生みと紹介されていた)。ネルはキシュの父であり、キシュの弟としてサウルの将軍アブネルがいました。

Ⅰサムエル14:51ではネルの父はアビエル、同9章ではキシュの父がアビエルと記されますが、その名は8章の系図にも9章の系図にも登場しません。この系図には省かれている名が多くあります。

サウル以降の系図では、長男ヨナタン、その孫ミカの第四子アハズの系図だけが記されています(9:41の最後では省略)。それはダビデの親友ヨナタンの家が続いたことを示します。

ただ、8章39、40節にはエシェクの子、「ウラムの子たちは勇士であり……子や孫が多く、百五十人いた」という祝福の描写がありましたが、9章ではこれが省かれています。それはサウル家の悲劇を強調するためだと思われます。

10章初めでは突然、イスラエルの初代王サウルの最後が描かれます。イスラエルに王が登場したのは、士師記の混乱の時代を収束させたサムエルの息子が不信仰だったため、民が「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」と願ったからです (Ⅰサムエル8:5)。

サムエルは悩みますが、 (ヤハウェ) は「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ」と言われます (同8:22)。そして、主ご自身がサウルを選ばれます (同9:16)。

その際、彼は謙遜に、「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか」(同9:21) と答えますが、そこに神が彼を選ばれた理由がありました。それは人間的な力を誇らせないためでした。ベニヤミン族は士師記ではイスラエルの他の部族と戦って滅びそうになった民として描かれています。

ただ一方、彼は長身で、「民のだれよりも、肩から上だけ高かった」と描かれ、「民全体のうちに、彼のような者はいない」という王にふさわしい風貌を備えていました (同10:23、24)。

しかし、部族的な背景の弱さと、見栄えの良さは、サウルを、民の顔色ばかりを伺うような指導者にしてしまいました。彼は幾度も神の命令に背き、最後にサムエルから「あなたは主 (ヤハウェ) のことばを退け、(ヤハウェ) あなたをイスラエルの王位から退けられた」と言われます (同15:26)。

ところが、そこに至っても、彼は自分の罪を深く悔いる代わりに、「どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前での面目)を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、主 (ヤハウェ) を礼拝します」(15:30) と言います。これは、「預言者と一緒に礼拝しているという体裁を整え、俺の面目を立ててくれ」という身勝手な願いに過ぎません。

この直後にサムエルは主の命令でダビデを新たな王として選び、油を注ぎます。しかし、サウルは、自分が王の立場を退けられたということを知られないようにと、さらに自分の面目ばかりに囚われます。そして、ダビデの評判が高くなると、王位を奪う者と見て、徹底的に追い詰めて行きました。

そのようなことを背景に10章1-3節では「ぺリシテ人はイスラエルと戦った。イスラエル人は逃げた。ペリシテ人の前から、そしてギルボア山で刺されて倒れた。ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫った。そしてヨナタンを打ち殺した、アビナダブ……などのサウルの息子たちを。攻撃はサウルに集中した」と記されます。

ここにはイスラエル人が逃げ去って、サウルと息子たちが戦いの前線に取り残された様子が描かれています。これはサウルが既に神から退けられていたことの結果です。

ところが、この攻撃で傷を負ったサウルは、ここに至っても、自分の面目を守ることばかりを気にして、道具持ちに「おまえの剣を抜いて、私を刺し殺してくれ。さもないと、あの無割礼の者たちがやってきて、私をなぶり者にするだろう」と命じます (3、4節)。

道具持ちが王を刺し殺すことを躊躇していると、サウルは自分で「剣を取り、その上に倒れ込んだ」というのです。これは自ら命を絶つことで、聖書的には、神への最後の反抗の試みとも言えましょう。道具持ちもサウルの真似をして「剣の上に身を伏せて死んだ」と記されます (5節)。

その結果が「こうしてサウルは死に、彼の三人の息子も彼の全家も、ともに死んだ」と描かれます (6節)。これはサウルの血筋が断絶したというのではなく、サウル王家が滅んだという意味です。

そして7節では改めて、「イスラエル人はみな……逃げ……サウル……が死んだのを見て、逃げた」と、「逃げた」ということばが繰り返されます。イスラエル人はみなサウルを捨てて「逃げたという響きが背後に感じられます。

その結果、何と皮肉にも、サウルが最も恐れていたはずのこと、ペリシテ人が「彼の首」を「ダゴンの神殿にさらした」という、究極の辱めにさらされることになりました。

ダゴン

その後になってようやく、以前、サウルに助けられたヤベシュ・ギルアデの人々がサウルと息子たちの亡骸を運んで、葬り、七日間断食をするということが実現します。しかし、それはサウルと息子たちの亡骸がさらしものにされた後のことでした。

そしてこのようになった理由が最後に、「このように、サウルは不真実のゆえに死んだ。それは、主 (ヤハウェ) を裏切って、主 (ヤハウェ) のことばを守らず、霊媒に伺いを立てることまでしたことのゆえだ。彼は主 (ヤハウェ) 伺いを立てなかった(新改訳は「尋ねなかった」と訳すが、それではことばの繰り返しが不明になる)」と記されます (10:13、14)。

サウルが最後にした愚かなことは、霊媒をする女を探し出して、サムエルの霊を呼び出したことでした (Ⅰサムエル28:5-19)。不思議にも、霊媒師はサムエルを呼び出し、サウルは死んだはずの彼と対話します。しかし、そこで告げられたのは、明日、サウルと息子たちがペリシテ人の手に渡されるということでした。サウルはどうしてよいかわからずに、霊媒師に頼りましたが、それがかえって彼の家の滅亡を決定的にしたのです。

これがここでは、「彼は主 (ヤハウェ) に伺いを立てなかった」と描かれます。ただⅠサムエル28:6では、サウルが霊媒に頼った理由が、「サウルは主 (ヤハウェ) に聞いた(伺った)が、主 (ヤハウェ) は夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった」からと記されています。そこでの「聞いたが」と、ここでの「霊媒に伺いを立て、主に伺いを立てなかった」は違ったことばです。

サウルの問題は、最初から主のみこころを「伺い知ろう」とはしていなかったという、その生き方です。神の最後の沈黙は、それに対するさばきでした。

ダビデも何度も神の沈黙に苦しみますが、彼にはみこころを尋ね続け、主を慕い求めるという姿勢がありました。ですから、彼は神の一時的な沈黙を通して、神との交わりを深めて行きました。

サウルが最後に霊媒に頼るという愚かなことまでしなければ、もっと別の終わり方があったことでしょう。彼と息子ヨナタンの遺体に対する侮辱は、その報いとも言えます。

2.「彼らは、ダビデとともに王権を強固にし、全イスラエルとともに彼を王とした人々である」

11章1節では、「全イスラエルは、ヘブロンのダビデのもとに集まってこう言った」と記されますが、その前に、Ⅱサムエル3:1を見ると、「サウルの家とダビデの家の間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった」という約二年間があります。

サウルの叔父でサウルの将軍であったアブネルは、サウルの遺児の一人イシュ・ボシェテを後継者に建ててダビデと戦いますが、彼との関係が悪化する中で、ダビデとの和解を求めるようになります。

ただアブネルがダビデの将軍ヨアブの騙し討ちに合って死ぬと、イシュ……ボシェテも家来に殺されてしまい、王家が成り立たたなくなります。そのような中で初めて、イスラエルの全部族がダビデを王として立てたいと願ってきたのです。

その理由としてイスラエルの全長老たちは、(ヤハウェ) ご自身がダビデに、「あなたがわたしの民イスラエルを牧し……わたしの民イスラエルの君主となる」と言われたという事実を認め、主が彼を全イスラエルの王としたと言います (11:2)。

続けてそれは「サムエルによる主 (ヤハウェ) のことばのとおり」であったと描かれます。サムエル記によると、 (ヤハウェ) は「サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれ」(Ⅰサム15:35) ますが、その直後、サムエルに新しい王を示し、油注ぐように命じられます (同16:1)。それがダビデでした。

しかしそれはイスラエル全体には隠されていました。人間的にはサウルの王位は安泰に見えたからです。

ところが、サウルがダビデを追い詰めて行く中で、主ご自身がダビデを守っておられるということが徐々に人々に明らかになり、ついにはサウル自身も正気に返った時、「おまえが必ず王になり、おまえの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った」と告白するまでになります (同24:20)。

その後、「ダビデと全イスラエルはエルサレム、すなわちエブスに行った」(4節) と記されますが、Ⅱサムエル5:6では、エブスの住民は天然の要害を誇って、「おまえは、ここに攻めて来ることなどできない。目の見えない者どもや足の萎えた者どもでさえ、おまえを追い出せる」と言ったと記されています。

それに対し、ここではダビデが、「だれでも最初にエブス人を打つ者がかしらとなり、長となる」と人々を励ましたと記され (11:6)、それで全軍の長となったのがダビデの姉のツェルヤの息子ヨアブでした (2:16参照)。ヨアブはダビデにとっての目の上のたんこぶのような存在になりますが、ヨアブが力を持つようになった原点がここに記されています。

それは同時に、ダビデの公平性を現わすエピソードとも言えましょう。

10節からは「ダビデの勇士たちのかしら」が描かれますが、ここでは、「彼らは、ダビデとともに王権を強固にし、全イスラエルとともに彼を王とした人々である」と彼らの功績が記されます。ただ同時にそこでは「それは、イスラエルについての主 (ヤハウェ) のことばのとおりである」という説明が付きます。

つまり、イスラエルの王権は、ダビデと勇士たちとの真実な信頼関係の上に成り立っており、その背後に主 (ヤハウェ) の真実なご支配があったというのです。

これはサウルが王であるにも関わらずダビデの成功を喜ぶことができず、ダビデに対する報酬も変え、ダビデを匿ったという嫌疑で大祭司アヒメレクと85人の祭司、またその町の住民を乳飲み子にいたるまで惨殺したという不真実な姿勢と対照的です (Ⅰサムエル22:11-19)。

11-14節はⅡサムエル23:8-12の三勇士の記事と重なりますが、名前や殺した人の数での違いも見られます。第一のヤショブアムの働きが「槍をふるって一度に三百人を刺し殺した」と記され、第二のエルアザルとその仲間の働きが、「兵はペリシテ人の前から逃げたが、彼らはその畑の真ん中に踏みとどまってこれを守りペリシテ人を討った」と記されます。ここではサムエル記での第三の勇士シャンマの名が省かれます。

ただその結論、「(ヤハウェ) 大勝利をもって救われた」という点が両方で強調されています。

15-19節では、三勇士とダビデとの心の結びつきが描かれます(サムエル記とほぼ同じ)。あるときダビデが「アドラムのほら穴」にいて、ペリシテ人の守備隊は彼の故郷のベツレヘムにいましたが、ふと彼は、「だれか私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらよいのだが」と切に望みます。

それを聞いた三勇士は、何とペリシテ人の陣営を突き破りベツレヘムの水を汲んできました。それを受けたダビデは、「それを飲もうとはせず、それを主 (ヤハウェ) の前に注いで」、そのを彼らの「いのちをかけて……の血」と呼びました。これは、彼ら自身を自分ではなく主に結びつけたという意味として理解できます。

20、21節にはツェルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイが登場しますが、彼は「三十人のかしら」と紹介され、「彼は槍を振るって三百人を刺し殺し、あの三人とともに名をあげた」と記されながらも、「あの三人には及ばなかった」と描かれます。これはダビデとの心の絆の違いを指しているのかもしれません。

22、23節ではエホヤダの子ベナヤの勇敢さが「雄獅子を打ち殺した」とか「身長が五キュビト (2.2m) もあるエジプト人を打ち殺した」と描かれます。

彼はクレタ人ペレテという外人部隊を指導し (Ⅱサムエル8:18)、ダビデの護衛長として活躍し、ソロモンの王権の確立に至るまで長期わたって力を発揮します。

26節から41節のヘテ人ウリヤに至る31人の名は、若干の表記の違いがあるもののサムエル記と同じですが、ここではさらに16名の名が追加されます。それらはみなヨルダン川の東の部族であると思われます。これらを通して、ダビデの支配権の広がりが人との信頼関係をもとにしていると描かれます。

3.「ダビデよ、私たちはあなたの味方……あなたの神はあなたを助ける」

12章1-7節ではダビデがサウルから身を避けるためにペリシテ人の王アキシュ支配下のツィクラグにいたときのことが記されます。歴代誌の記者は、サムエル記のようにダビデがペリシテ人の庇護のもとに身を置いたという事情を記す代わりに、ここではサウルの同族ベニヤミンの出身のものまでもがダビデに「加勢をした」ということが描かれます。これは何と、サウルがペリシテ人に敗北する直前のことです。

8-15節ではヨルダン東側の「ガド族から離れて、荒野の要害にいたダビデのもとに来た……勇士」たちのことが紹介されます。これはダビデの逃避行の初期の時代のことだと思われます。

ここでは彼らの強さが、「その最も小さい者も、一人が百人に匹敵し、最も大いなる者は千人に匹敵した」と描かれます。

16-18節では「ベニヤミンとユダの子孫から……要害のダビデのもとに来た人たち」が描かれます。ダビデは彼らの意図を最初は疑いますが、「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイをおおった」と記され、彼は、「ダビデよ、私たちはあなたの味方……あなたの神はあなたを助ける」という神のことばを語ります。ここには聖霊ご自身が、ダビデのうちに、敵になりえる人たちへの信頼を生み出したという意味が記されています。

19-21節では、「マナセからも何人かのものがダビデのもとに下って来た。それはダビデがペリシテ人と共にサウルと戦うために出たときである」と記されます。マナセの領地はペリシテ人との戦いの最前線になるはずの場で、これがペリシテ人の領主たちがダビデを疑い、ツィクラグに送り返す原因になったかのように描かれます。

そして「マナセに属する千人隊のかしら」たちがダビデを助け、アマレクの略奪隊の手からダビデとその部下の家族たちを救い出すことに役立ったと描かれます (Ⅰサム30章参照)。

そして22節では、「人々は日に日にダビデのもとに来た、彼を助けるために。そして大陣営にまでなった、神の陣営のような」と描かれます。続いて、「これらはヘブロンにいるダビデのもとに来た武装した者のかしらの数である、サウルの支配をダビデに移すための、主 (ヤハウェ) のことばのとおり」と記され、24-37節まで十二部族すべてから彼のもとに来た様子が記されます。

ただし、ダビデに属するユダ族からの兵士が6,800人に対し、エフライム族からは20,800人、ゼブルンからは5万人、ヨルダンの川向うからは12万人という数字は、どう考えても非現実的です。これに関しては、「千」という数字を実数ではなく象徴的な単位と見ることもできるようです。

Iサムエル6:1ではダビデがペリシテ人との戦いに招集した全イスラエルの人数が3万人と記されていますが、合計がその程度になる方が実態に近いと思われます。

どちらにしても38節には、「これらすべての、戦いに備えて集まった戦士たちは、全き心でヘブロンに来た、ダビデを全イスラエルの王にするため。イスラエルの残りの者たちも心が一つになっていた、ダビデを王にするため」と記されますが、これが11章から続く記事の結論です。

これらはすべて、「主は……王位をエッサイの子ダビデに回された」(10:14) ということの現れです。そしてヘブロンでダビデをイスラエルの王とした祝宴が三日間続いたと描かれ、最後に「イスラエルに喜びがあった」とまとめられます。

サウルは、自分を選び王に立ててくださった創造主に背いて、主から退けられました。それでも自分の立場を守ろうと必死になり、ついに厳しいさばきを受け、自滅しました。

一方、主はダビデを王に任職しましたが、それが人々に明らかになるのは、サウル王家が自滅した後です。ただそのときになると、不思議に全イスラエルの側から彼を王に立てたいと強く願ってきます。神によって立てられたことが人々の目に明らかになるのには驚くべき時間がかかりましたが、ダビデは神の時を待ち続け、神との真実な関係を築くことと、人間との真実な関係を築くことをいつも切り離せないこととして大切にしていました。

ダビデは何よりも人々を創造主との交わりの中へ招こうと、その信仰を導いていました。その代表例が、三勇士がダビデのために命がけで汲んできたベツレヘムの水を神へのささげ物にしたことでした。ダビデと真実な関係を結ぶことができた人々は、神との真実な関係をも築くことができたのです。

黙示録5章9、10節ではイエスの十字架の目的が、「あなたの血によって人々を神のために贖い、私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです」と記されています。

私たちは今、一人ひとりが、キリストとともにこの地を治める王として、世界に遣わされています。そこで問われるのはダビデと同じように、神との信頼関係に基づく、人と人との真実な関係が築かれることです。サウルは不真実のゆえに滅びました。一方、ダビデは自分を召した主への誠実(真実)を守り通しました。