主の前に祈りささぐ〜詩篇103篇

詩篇103篇では1、2節と22節最後に、「わがたましいよ。主 (ヤハウェ) をほめたたえよ」と三度繰り返されます。そしてこの詩全体を通して、御霊に導かれた自分自身が、不自由な肉の身体に縛られた自分のたましいに向って福音を語るという不思議な構成になっています。 “主の前に祈りささぐ〜詩篇103篇” の続きを読む

主よ、人の望みの喜びよ②〜詩篇18篇

詩篇18篇 「主が私を喜びとされたから」

最近話題のイスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリはコロナ感染の社会的な影響に関して、「悪い変化も起きます。我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の中にある悪魔です。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取られると、人々は互いを憎み合い、感染をめぐって外国人や少数者を非難し始める。これを機に金もうけを狙うビジネスがはびこり、無知によってばかげた陰謀論を信じるようになる。これらが最大の危険です」と述べています。最大の敵は、人の心の中に住む悪魔というのは明言ではないでしょうか。 “主よ、人の望みの喜びよ②〜詩篇18篇” の続きを読む

主よ、人の望みの喜びよ〜詩篇18篇

本日は詩篇18篇1-19節を味わっていただければと思います。この標題は異例に長いもので、同じ歌はⅡサムエル22章にもあり、ダビデの生涯の総まとめ的な意味があることが分ります。彼はサウル王に命を狙われ、同胞のユダ族からも裏切られ、明日の命が分らない緊張の中に長い間、放置されました。 “主よ、人の望みの喜びよ〜詩篇18篇” の続きを読む

セリーヌ・ディオン「祈り」〜詩篇145篇

ONE WORLD TOGETHER AT HOME(一つの世界、一緒に家で)というインターネット・ライブイヴェントが4月19日に行われました。レディー・ガガが中心に世界のアーティストの協力で、コロナウィルスと戦う世界の医療従事者を応援するためのイベントでした。 “セリーヌ・ディオン「祈り」〜詩篇145篇” の続きを読む

岩淵まことさんの「誰かが鐘を鳴らしている」〜詩篇108篇

詩篇108篇は「神よ 私の心は揺るぎません」ということばから始まります。これは、「確立されています」とも訳すことができます。僕の場合などは始終、「心が揺れ」ますから、その方が心に響きます。大切なのは、心の方向がいつも創造主に向かうことなのです。それに続けて、「私は歌い続けます、旋律を奏でます、私の心の底から」(私訳)と記されます。これは、神を「全存在をもって」たたえているという告白です。 “岩淵まことさんの「誰かが鐘を鳴らしている」〜詩篇108篇” の続きを読む

ただ神のもとで私のたましいはやすらいでいる〜詩篇62篇

最近の政治の動きや報道を通して、正直、僕の心は揺れています。怒りが湧き起こって来ることもあります。今日の配信も先ほどまでは休むつもりでいました。

その中で、ふと詩篇62篇が心に浮かんできました。それをマーガレット・リッツァさんが次のような黙想の歌にしています。
“ただ神のもとで私のたましいはやすらいでいる〜詩篇62篇” の続きを読む

You raise me up(あなたは私を高くしてくださる)〜詩篇55篇

昨日は詩篇55篇1~8節の祈りを19世紀ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーンが「わが祈りを聴きたまえ」(hear my prayer) という十分間余りの曲にしていることをご紹介しました。暗く重い調子で始まった音楽が、「ああ、鳩のような翼が私にあったなら……」というところから、すみきった希望の調子に変わります。 “You raise me up(あなたは私を高くしてくださる)〜詩篇55篇” の続きを読む

気づきと心の復活〜詩篇55篇

例年とは全く違う復活祭になりましたが、いかがお過ごしでしょう。家に閉じこもらざるを得ないというのもつらいものですね。

ただ、それを通して自分の心の傷つきやすさに気づき、それを主の御前に訴えることで、心の復活を体験する機会になれたらとふと思いました。 “気づきと心の復活〜詩篇55篇” の続きを読む