30年ぶりの株価の高値〜詩篇35篇

いかがお過ごしでしょうか。何かご心配がありましたらご遠慮なくお知らせください。久しぶりに株の話しをします。

私のたましいに言ってください。
「わたしがあなたの救いだ」と
(詩篇35:3)

日経平均株価が約30年ぶりに3万円台を回復したということが話題になっていますが、この間、ニューヨークダウ平均株価は約12倍になっていることをご存じでしょうか?(30年前のニューヨークダウ平均株価は2500ドルから2700ドル、それが現在は31,450ドルの水準)。

ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われていた日本が、この30年あまり低迷状態にある中で、米国では次々と新しい産業や企業が誕生してきました。GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)などと言われる大企業が独占的な地位を築いていると言われますが、これらの会社は誕生(または再生)してから二十年も経っていません。リスクを取って次から次と新しいビジネスを米国は生み出してきました。

日本はこの間、バブル崩壊後の後遺症に悩まされて、多くの企業も内部留保ばかりをためてきました。また個人も「株にはこりごり……」と言った感じで、その有り余ったお金が、ゆうちょ銀行などに流れ、それが日本の巨大な財政赤字(GDP の約2.7倍)を支えています。

確かに現在は経済の実態からかけ離れて株価が上がっていることは確かですが、これは株価が異常に安く評価されていたことの反動高ということもできます。

それが証拠に、この30年間、外国人による日本株の保有比率が約5%から30%を超えるまでになっています。一方で金融機関の日本株保有比率は約40%から20%に下がってきています。安全安心を第一とする日本の金融機関が株の保有比率を下げる一方で、外人投資家が日本株を買い続けて来て、最近は、日本の個人投資家が株式市場のようやく積極的に入ってきて、株価を押し上げているという構造が見られます。いわゆる、1990年の異常な株高を生んだバブル状態とは大きく異なります。

これは別に、牧師である私が、株式投資をこれから推奨するという意味では決してありません。株式市場はトランプのババ抜きに似ている面がありますから、個人投資家が株式投資に目覚めて、素人までが株を買い出す……という状況にならなければ株が天井を打つということはないとプロの投資家は見ています。ですから、多くの人々が、現在の株高を異常と見ているうちは、株が上がり続ける可能性が高いのかとも思われます(これはあくまでも一般論です)。

ただ、昔、証券会社で株式投資を勧めていたことがある者として、あまり株式投資をバカにしてほしくはないという気持ちがあります。今もたまに、「クリスチャンが株式投資をしても良いのですか?」という質問をいただくことがあります。それに対して僕はしばしば、「ゆうちょ銀行にお金を預けるより、ずっと信仰的な決断だと思いますよ」と答えてしまいます。なぜなら、ゆうちょ銀行に預けられたお金はかなりの部分が、日本の財政赤字の補填に回ります。現政権を批判しながら、お金の使い方をすべて、政権にお任せするという途方もない矛盾を多くの人は気づいていません。

米国の GAFA が急成長した背後には、リスクを取ってそれらの新興企業を応援する投資家がいたからです。そして、イノベーションが進むためにはリスクを負って、新しいことにチャレンジする人が必要です。僕は基本的に株の短期売買は決してお勧めしたくはありません。しかし、日本や世界の将来を考えながら、「このような企業を応援したい、この経営者にかけてみたい、たとえ失敗しても悔いはない」と思えるような株式投資なら、それこそまさに、私たちの信仰の姿勢と合致するのではないでしょうか。

ダビデの生涯は、まさにリスクを積極的に背負ってゆくものでした。多くの子供たちが好きなゴリヤテとの戦いなどはまさに圧巻です。五つの滑らかな石を取って、石投げによって大巨人ゴリヤテを倒し、イスラエルの勝利をもたらしました。

僕がダビデの生涯で感心するのは特に、サムエル記第一23章の記事です( の記事参照)。ダビデはサウル王から妬まれ、命を狙われ、逃亡生活の中でしたが、ケイラという町がペリシテ人の攻撃を受けているときに、その町を救うために戦います。しかしその後、ケイラにダビデがいるということを知ったサウルは、ケイラを包囲して、町の住民とダビデを同時に滅ぼそうと考えました。その意図が伝わると、ダビデはその町が攻撃の対象とならないように、自分が助けた町から抜け出て、再び荒野をさまようようになります。そのような中でダビデは詩篇35篇を記したのかと思います。

ダビデは主に向かって、「槍を抜き 私に追い迫る者たちを封じてください。『わたしがあなたの救いだ』と」と祈りました。ダビデはケイラの人々を守るために二度も自分の命を危険にさらしました。ダビデの生涯には、そのように、神に信頼してこの地でのリスクを積極的に背負う生き方が見られました。

しかし、ダビデが家来の妻を奪い、その家来をだまし討ちにするという途方もない醜い罪を犯したのは、国が安定し、自分の評判を守ろうという態度になった時でした。

しかし、そのダビデが再び、その大失敗から立ち直ってダビデ王国を安定させることができたのは、息子のアブサロムが謀反を起こした時、エルサレムを戦場にしないために、潔くエルサレムを後にし、人から罵倒され、泣きながらオリーブ山を登り、神に祈ったということがあったからです。

ダビデは主に期待して、リスクを負った時、神ある勝利を体験しました。しかし、自分の評判を守ることを第一としたとき、恐ろしい罪を犯しました。

リスクを取る生き方を積極的に考え直してみてはいかがでしょうか?

以下は、その詩篇35篇を歌ったものです。英語しかなくてすみません。不安な雰囲気の中での希望が歌われています。