マイム、マイム〜詩篇96篇、イザヤ12章「賛美から宣教へ」

多くの日本人は「マイム、マイム」というフォークダンスを知っています。以下はイスラエルで踊られているものです。

その由来と、神のみわざを喜び宣べ伝えることの関係を覚えたいと思います。

詩篇96篇の最初では「主 (ヤハウェ) に歌え」ということばが三度繰り返され、その目的が、「日から日へと 御救いの良い知らせを告げよ」「主の栄光を国々に語り告げよ」「その奇すしいみわざをあらゆる民の間で」と三つの観点から述べられます。

まさに「主に歌う」ことと「宣教」とは切り離せない関係にあります。

当教会は東京武蔵野福音自由教会の開拓教会として1989年に礼拝が始まりました。開拓期から小生が責任を担わせていただいていますが、その開拓を支えてくださった古山洋右先生が1995年2月に天に召されました。

古山先生の最後の年頭メッセージは、イザヤ12章4、5節からのもので「賛美から宣教へ」というタイトルが遺稿集の本の題名になっています。

そこで先生は、戦後50年間、日本の教会は米国をはじめとする国々からの多くの犠牲によって支えられてきたことを覚えながら、それからの50年に思いを馳せておられました。

そこで「宣教大命令の生活化」として、世界大の宣教の視野において福音を伝えることが生活様式になるべきことを述べておられました。

実は、イザヤ12章は、日本人の中年層のほとんどの人にとってなじみ深い聖句です。それは、1963年に現在の振付がイスラエル人女性によって指導され、全国の主中学校で指導されるようになった「マイム、マイム」というフォークダンスのもとになっているからです。「マイム」とは、ヘブル語で「水」という意味です。この踊りこそ「宣教大命令の生活化」の一例です。

その歌詞は、「あなたがたは喜びながら水を汲む」というイザヤ12章3節の繰り返しです。

イザヤ12章は次のように訳すことができます。

その日、あなたは言おう。 (1)

「【主】 (ヤハウェ) よ。あなたに感謝します。

あなたは、私に怒りを燃やされましたが、

その怒りをひるがえし、私を慰めてくださいました。」

見よ。神は私の救い。 (2)

私は信頼し、恐れない。

ヤハよ、【主】 (ヤハウェ) こそ、私の力、私の歌。

私の救いとなってくださった。

あなたがたは喜びながら水を汲む。 (3)

救いの泉から。

その日、あなたがたは言う。 (4)

「主 (ヤハウェ) に感謝し、御名を呼べ。

そのみわざが、国々の民の間で知られるようにせよ。

御名があがめられるように語り告げよ。

歌え!【主】 (ヤハウェ) を。 (5)

主がなさったすばらしいことが全世界で知られるように。

大声をあげて、喜び歌え。シオンに住む者よ。 (6)

イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」

マイム・マイムの原歌詞は以下のとおりです。

ウシャブテム マイム ベッサソン

あなたがたは汲む 水を 喜びながら

ミマアーネイ ハ イェシュア(繰り返し)

泉から 救いの

マイム マイム マイム マイム(水)

ヘ マイム(その水) ベッサソン(喜びながら)(繰り返し)

ヘイ ヘイ ヘイ ヘイ

マイム マイム マイム マイム(水)

マイム マイム ベッサソン(喜びながら)(繰り返し)

日本でのフォークダンスの振り付けは以下でご覧いただけます。

このビデオの中で、戦後のイスラエル建国に際し、民が荒れ地を開拓するときの水くみの歌と紹介されています。

しかし、もともとは、今から三千年余り前から始まっている仮庵の祭りに際し、エルサレムのシロアムの池から水を汲んで、それをエルサレム神殿に携えて、聖所に水を注ぐときに、イザヤ書12章全体が歌われ、踊れられたと言われます。その踊りと現在の踊りがどうつながっているかは分かりません。

どちらにしてもイザヤ12章の核心の命令は

歌え!【主】 (ヤハウェ) を。

主がなさったすばらしいことが全世界で知られるように。

ということにあります。主のすばらしい救いの御業が、全世界で知られるように「歌え」というのが命令の核心です。その意味で、賛美とは宣教であり、宣教は賛美の喜びで進められるのです。

先のビデオで日本人が、「マイム、マイム、ベッサソン」とヘブル語で歌っていました。それは、「喜びながら 水を」という意味です。知らないうちに現在の中年以上の日本人のほとんどはイザヤ書12章を歌っていたというのは何とも不思議です。その際、ほとんどの人はその意味を理解していませんでしたが、喜びの感覚は伝わっています。

当教会のホームページに掲載されているメッセージを通して、福音が日本語から少数言語にも翻訳されて伝わるという時代になっています。

古山先生が天に召された1995年には、そんな時代が来ることを誰が予測していたでしょう。

なお、当教会の場合は、2011年の教会ビジョンで、「従来の地域密着型の教会形成に代り、同じ関心や重荷を持つ人が集まるセンター型の教会形成を目指す」ということを確認し、インターネットをそのツールとして有効に活用するということを心がけてきました。

昨年の新型コロナ危機によって、「はからずも」(ルツ2:3)、このホームページメッセージが世界中で閲覧されるようになりました。

ホームページをご覧になっている多くの方は、当教会の礼拝に参加することはできないでしょうが、ここに「喜びながら(ベッサソン)」の集まりがあることを感じていただくだけでも素晴らしいことす。

なお、当教会の礼拝動画は限定配信ですが(今までの接点のある方にはサイトをご紹介できます)。

その他、このサイトでいろんな情報を得ていただくことができますので、いろいろご覧いただければ幸いです。