家庭の大切さと結婚の定義〜詩篇128篇

先日、札幌の地方裁判所で同性婚を認めていない日本の制度は法の下の平等を定めた憲法に反するという判決が出され、また昨日は、最高裁において同性事実婚にも法的保護が与えられるとの判決が下されました。日本でも、同性婚に向けての大きな動きが始まっています。

ただ、聖書を「誤りのない神のことば」と信じる私たちの立場からすれば、この動きには注意が必要です。イエスは、「創造者ははじめの時から、『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われました」(マタイ19:4、5) と言われ、男女の間の結婚を神が定めた聖なる関係と言われました。

また、「結婚がすべての人の間で尊ばれるようにしなさい」(ヘブル13:4) とも記されています。

欧米の諸国では、同性婚と同性どうしのパートナーシップを保護する法律は区別されてきました。日本の裁判所で議論されたのは、同性どうしのカップルに対して法的な保護を与えるべきということであって、社会通念上の「結婚」の定義を変えようという動きではありません。

同性婚は結婚における性別を問わない法律ですが、パートナーシップ法は、同性カップルを結婚に相当する関係と認めて保護する法律であり、日本でも2015年3月渋谷区区議会でその条例が可決されています。

たとえば、ドイツでは2001年に Lebenspartnerschaftsgesetz(生活パートナーシップ法)が成立しましたが、同性婚を認める法律が施行されるようになったのは2017年10月になってのことです。

一方、米国では、2004年にマサチューセッツ州で同性婚が合法化され、2008年にはカリフォルニア州で同性婚が認められ、それ以降、多くの州において合法化されましたが、2014年の時点で13の州が同性婚に反対しており、それが法の下の平等に反するとして最高裁に判決が持ち込まれました。そして、2015年6月の最高裁判決で米国のすべての州で同性婚を合法化する判決が下されましたが、その際9人の判事のうち、同性婚に賛成が5名、反対が4名という僅差でした。これは米国の保守派の間に大きな危機意識を生み出すことになりました。

詩篇127篇の最後の節は「幸いなことよ……人は」と記され、そこでは「主の恵みのうちにある家庭」の「祝福(幸い)」が描かれていました。そして詩篇128篇でも、家庭の祝福が引き続き描かれています。

エペソ人への手紙4章14、15節で使徒パウロは、「こういうわけで、私は膝をかがめて、天と地にあるすべての家族の、『家族』という呼び名の元である御父の前に祈ります」と記していますが、ここでの「家族」のギリシャ語は「パトリア」で、「御父」は「パテラ」です。つまり、すべての「家族」という概念は、父なる神から生まれていると描かれているのです。まさに家庭の平和の基礎は、父なる神のうちにあります。

詩篇128篇1節の原文では、「幸いなことよ 主 (ヤハウェ) を恐れるすべての人は」とまず記され、続けて「主の道を歩む人は」と追加されています。すべての祝福された生き方の基本は、「主を恐れる」ことにあります。それは、この世界のすべて、またこの地の人間関係の基本単位である「家庭の平和」は、創造主をあがめ、主を礼拝することから生まれることを意味します。

さらに、「あなたがその手で労した実りを食べること それはあなたの幸い あなたへの恵み」と記されますが、ここには農作業の祝福がイメージされやすいですが、すべての労働に当てはまります。「幸い」は今までと同じ「祝福」とも訳されることばで、「恵み」は「善い」が基本的な意味で「楽しみ」とも言えましょう。

19世紀のフランスの画家ミレーの傑作に「晩鐘」と呼ばれる絵があります。遠くの教会で鳴らされる夕刻の鐘の音に合わせて若い夫婦が、心を合わせて祈っている姿が感動的に描かれています。このときのミレーには六番目の子が生まれ、貧困にあえぎつつも、家庭は平和でした。

3節の「あなたの妻は 家の奥で たわわに実るぶどうの木のようだ。あなたの子どもたちは 食卓を囲むとき まるでオリーブの若木のようだ」とは、今から三千年前の情景で、子どもの数やその健康に神の祝福の現れを見るものです。それは現代も、母親が外で働いていたとしても「家族がそろって安心しながら食卓を囲む」ことを大切にする生き方として適用することができましょう。そして、4節の「見よ 主を恐れる人は 確かに このように祝福を受ける」とは、主を恐れる家庭の平和と繁栄を示すものです。

5節の「主 (ヤハウェ) がシオンからあなたを祝福されるように」とは、現代的には、主が私たちの交わりのただ中に住んで、私たちに平和と繁栄を与えてくださることを願う祈りと解釈できます。そして、5節後半と6節初めに、「そして、見なさい」という同じ命令形が二回繰り返されます。第一は「エルサレムへのいつくしみ」です。それは先の「恵み」と同じことばで、神の民の交わりのただ中に、善いことが実現し、楽しみが満ちる姿を確認しなさいという勧めです。

また第二は、「あなたの子らの子」、つまり、孫が増えて成長することを確認しなさいという勧めです。これは神の祝福が必ず実現するという保証とも言えましょう。最後に、「イスラエルの上に平和」を祈るのは、主を恐れる家庭から、より大きな神の家族の平和を祈るものと言えましょう。

なお、肉の家族で傷つけられた人、結婚や子の誕生を望みながら、それが実現せずに苦しんでいる人もいます。しかし、私たちはそれでも「神の家族」である教会の「平和」また、身近な人との「平和」のために祈ることができます。私たちの幸いは、主を恐れる交わりから生まれるからです。

祈り

父なる神様、あなたこそがすべての家族の創造主であることを感謝します。どうか、「主を恐れる」生き方を教えてください。そして、主を恐れることを通して、私たちの肉の家族ばかりか、神の家族としての教会の上に祝福を見させてください。