詩篇100篇「全地の民よ 主の大庭へ」

2018年9月9日

  感謝の賛歌
主(ヤハウェ)に喜び叫べ  全地よ。(1)
 主(ヤハウェ)に仕えよ 喜びをもって。(2)
  御前に来たれ  喜び歌いながら。
知れ 主(ヤハウェ)こそ 神であられることを。(3)
 この方が私たちを造られた。私たちは主のもの
  私たちは主の民、主の牧場の羊である。
来たれ 主の門に  感謝をしながら、(4)
 主の大庭へと 賛美しながら。
  主に感謝し 御名をほめたたえよ。
それは主(ヤハウェ)が いつくしみ深く (5)
 主の恵み(慈愛:ヘセド)は とこしえで
  主の真実は 代々に至るから。

詩篇100篇は、主日礼拝の招詞として最も頻繁に用いられる詩篇の一つです。上記の交読文は、日本語として意味が通じる範囲で、原文のリズムを生かした訳です。これは四組の三行詩に分けて読むことができます。まず全体を味わってみると、どのようなことに気づくことができるでしょう? “詩篇100篇「全地の民よ 主の大庭へ」” の続きを読む

詩篇92篇「あなたの御手のわざを私は喜び歌います」

2018年7月22日

「機械の一時停止ボタンを押すと、機械は停止する。しかし、人間の一時停止ボタンを押すと、人間はスタートするんだ」と、世界的企業に倫理とリーダーシップを助言しているダブ・サイドマン氏が説いているとのことです。

続けて、「つまり、じっくり考え始め、思い込みを洗い直し始め、なにが可能であるかについて考えを組み立て始める。もっとも重要なのは、心の底に根付いている信念と、ふたたび結びつき始めることだ。そうなったときに人は、より優れた道をあらたに想像しはじめる」と記しています。

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詩篇19篇「天は語り、みことばは生かす」

2018年1月7日

ふたつのものがある。それに思いを巡らし心を集中させればさせるほど、この心をいつも新たな驚異と畏敬の念に満たしてやまない。それは私の上の星空と、私のうちにある道徳律である」と、ドイツの哲学者インマヌエル・カントは実践理性批判の結びにおいて記しています(私訳)。

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詩篇139篇「神の最高傑作として生かされる」

2017年6月18日

人は今、小川のせせらぎや森の木々、青空ばかりか太陽の光さえなくても過ごせるような人工的な世界に住んでいます。「世界って、何て美しいんだろう!」という感動を最近味わったことがあるでしょうか? “詩篇139篇「神の最高傑作として生かされる」” の続きを読む

詩篇96篇「主 (ヤハウェ) は王である」

2014年10月26日

長い歴史を振り返ると、現代の日本は人類史上未踏の繁栄に中にあると言えます。宇宙船から見下ろす日本はまさに「光の国」に見えるとのことです。そして、その繁栄のシンボルは東京ですが、その中でひとりひとりの心はどんどんやせ細り、漠然とした不安や不満が広がっていると言われます。生活はどんどん便利になる一方で、心はどんどん余裕がなくなっています。 “詩篇96篇「主 (ヤハウェ) は王である」” の続きを読む

詩篇62篇「ただ神に向かって、私のたましいよ、沈黙せよ」

2014年2月9日

多くの信仰者にとっての落とし穴とは、主ご自身を仰ぎ見ることよりも、自分の「生き方」に目が向ってしまうことではないでしょうか。また、キリストご自身以前に、他の信仰者の成功例に習いたいという誘惑もあります。多くの人々から尊敬されている神学舎で、カウンセラーでもあるラリー・クラブは自分の失敗談を次のように語っていました。 “詩篇62篇「ただ神に向かって、私のたましいよ、沈黙せよ」” の続きを読む

詩篇19篇「天は神の栄光を語る」

2014年元旦

この詩篇の美しさは比類ないものです。何かの説明を加えること自体が、かえって聖霊の語りかけを減じるようにさえ思われます。ここには言葉にならない神の語りかけと、人のことばを用いた神のかたりかけの二つが記され、私たちの「こころ」を創造主に向けさせてくれます。 “詩篇19篇「天は神の栄光を語る」” の続きを読む

詩篇1篇〜2篇「問題に追われているとき」

2013年2月10日

何年か前ですが、健康診断を受けた時、いつもは低い血圧が上がっていることがわかり、驚きました。医者からは、「あなたには、血圧が上がりやすい傾向があるということを知っておいたほうがよいですよ……」と言われ、ショックを受けました。私は何が起きても動じない平静な心 (Serenity) にあこがれていました。牧師として二十四年がたち、すでに還暦を迎えるというのに、ストレスに弱く、いろんなことに心が敏感に反応してしまいます。 “詩篇1篇〜2篇「問題に追われているとき」” の続きを読む

詩篇109篇「恨みから自由になるための祈り」

2012年9月23日

今まで数えきれないほど多くの人々の相談に載ってきましたが、その中で、非常に多いのは、怒りの気持ちの処理の問題です。しかも、それはクリスチャンの場合に特に大きな問題になります。なぜなら、彼らは、「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません」(ローマ12:14)というみことばを知り、かえって、自分に不当な仕打ちをした人を憎んでいる自分を責めてしまうからです。 “詩篇109篇「恨みから自由になるための祈り」” の続きを読む

詩篇91篇「危険に満ちた人生の中で」

2012年9月2日

私たちの人生は、日々、いろんな危険に満ちています。そのような中で、不安な要素を一つひとつ数え上げると、外に出ることさえできなくなるかもしれません。事故で首から下が動かなくなった星野富弘さんは、以下のような詩を、きびしい自然の中で育つ美しい紫色の花を咲かせる高山植物の「おだまき」の絵とともに記しています。 “詩篇91篇「危険に満ちた人生の中で」” の続きを読む