マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」

2019年11月10日

「杖にすがるとも、人にすがるな」ということわざがあります。「すがる」というのは依存症的な生き方の象徴なのかも知れません。

ただし、私たちは誰もが皆、何かに対する依存症者であるとも言われます。それには、ギャンブル依存、薬物依存、買い物依存のようなものから、仕事依存、人間関係依存、ネット依存、活字依存など多様なものがあります。 “マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」” の続きを読む

マタイ4章12〜25節「真理はあなたがたを自由にする」

2019年10月20日(世界宣教の日)

私は学生時代に英会話を学ぶために宣教師のもとを訪ねました。そしてあるとき伝道集会に誘われて行きました。そこではヨハネの福音書4章14節から、「永遠のいのちへの水が湧き出る」という「」を受けるようにとの招きがありました。そこでイエスを救い主として信じたい人は、前に出るようにと言われました。私はそこで、「ここで信仰の決心をするなら、日本社会の中で浮いてしまい、将来に傷がつく……」とためらいました。 “マタイ4章12〜25節「真理はあなたがたを自由にする」” の続きを読む

マタイ4章1〜11節「悪魔の誘惑の昔と今」

2019年9月29日 

私たちはこの世での生活で、いつも「どんな働きをしていますか?」(成功)、「どのように人から見られていますか?」(評判)、「どんな影響力を持っていますか?」(力)という観点から「自分が何者か」を意識しようとしてはいないでしょうか?

これらはすべてイエスが退けられた、パンや富を第一とする成功、神殿の頂から飛び降りるというパーフォーマンス、この世界を従えようとする権力の誘惑と結びついています。悪魔の誘惑は今も、いつも目の前にある現実です。 “マタイ4章1〜11節「悪魔の誘惑の昔と今」” の続きを読む

マタイ3章1〜17節「イエスが受けたバプテスマ」

2019年9月22日 

この世界には様々な矛盾がありますが、その真の原因を知る人は稀です。この世界では常に、一つの問題の解決が次の問題を生み出します。今から二千年前、イスラエルの民はローマ帝国の支配から解放されることを切望していましたが、それに対しバプテスマのヨハネは、ひたすら神の救いを待ち望み、神の前に遜るようにと訴えました。この約200年前にギリシャ人の王を打ち破ったユダヤ人は、独立王朝を築くものの百年も経たずに内紛で自滅していました。 “マタイ3章1〜17節「イエスが受けたバプテスマ」” の続きを読む

マタイ1章1節〜2章23節「愛の完成に向かう預言の成就」

2018年12月23日 

今から33年前に英国のワムという二人がリリースした「ラスト・クリスマス」という曲が、今もこのシーズンになると町中で聞かれます。僕は今頃になって、その歌詞を味わっています。

「Last Christmas I gave you my heart, but the very next day you gave it away. This year, to save me from tears, I’ll give it to someone special(去年のクリスマス、君に僕の真心を捧げたら、何と君は、それを翌日に捨て去った。今年は涙を流さなくて済むように、それを誰か特別な人にあげよう)」  “マタイ1章1節〜2章23節「愛の完成に向かう預言の成就」” の続きを読む

マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」

2016年12月25日

最近、お金や経済に関する話で他教会に招かれます。次のような文章をどのように思われるでしょう。

「経済が国家の決定的な支配者の地位にのぼるのにきっちり応じて、貨幣は神となり、あらゆるものはこれに奉仕し、だれもがこの前に屈服しなければならなかった。天上の神々はますます時代遅れで、すたれたものとなり、隅の方へしまわれてしまい、代わりにマモン(富)の偶像に香がたかれた。まことに困った堕落が始まった・・・崩壊の究極的原因は、もっと外の領域に・・あるに違いない・・旧帝国の破滅のもっとも深い究極的原因は、人種問題および、それが民族の歴史的発展に対して持つ意味を、認識しなかったことにある」・・・ “マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」” の続きを読む

マタイ1章「ダビデの子としての救い主の誕生」

2016年12月18日

先日の子供クリスマス会で「靴屋のマルティン」の人形劇を上演しました。マルティンはロシアの田舎の評判の良い働き者の靴屋さんでした。若くして結婚しましたが、奥さんとお子さんたちを早くに亡くしてしまい、ひとり残った息子を育てながら後継ぎにすべく訓練していました。しかし、その子も病気でアッという間に死んでしまいます。彼は絶望の底に落とされます。 “マタイ1章「ダビデの子としての救い主の誕生」” の続きを読む