エゼキエル20章〜23章「わたしは、ねたむ(やきもちをやく)神」

2009年10月25日

聖書の神の特質は、何よりも、「ねたみ」にあると言われます。事実、「十のことば」の中で、主は、「わたしはヤハウェ、あなたの神、ねたむ神である」(出エジ20:5私訳)と言われます。しかし、これは現代の日本人にはなかなか理解しにくいことばです。 “エゼキエル20章〜23章「わたしは、ねたむ(やきもちをやく)神」” の続きを読む

エゼキエル12章〜15章「平安がないのに『平安』と言う者へのさばき」

2009年9月27日

フィリピンを初めて訪問して、正直なところ、その騒音と汚さと治安の悪さに閉口しました。私は決して、あの国には住めない人間だと思い、妙に、ドイツの生活をなつかしく感じました。 “エゼキエル12章〜15章「平安がないのに『平安』と言う者へのさばき」” の続きを読む

エゼキエル4章〜7章「彼らは、わたしが主 (ヤハウェ) であることを知ろう」

2009年8月23日

あなたにとって、「信仰が深まる」とはどのようなイメージをもたらすでしょうか。しばしば、それは、「心が安定する」、「勇気がわく」、「喜びで満たされる」、「希望にあふれる」などと言い換えられるでしょう。 “エゼキエル4章〜7章「彼らは、わたしが主 (ヤハウェ) であることを知ろう」” の続きを読む

エゼキエル1章1節〜3章15節「主 (ヤハウェ) の栄光を拝するときの恐れと望み」

2009年8月9日

現代の多くの日本人にとって、「父の権威」が感じられない時代になっています。私は父を怖いと感じたことはありません。母はいつでもどこでも私の無条件の応援者でした。 “エゼキエル1章1節〜3章15節「主 (ヤハウェ) の栄光を拝するときの恐れと望み」” の続きを読む