2009年10月25日
聖書の神の特質は、何よりも、「ねたみ」にあると言われます。事実、「十のことば」の中で、主は、「わたしはヤハウェ、あなたの神、ねたむ神である」(出エジ20:5私訳)と言われます。しかし、これは現代の日本人にはなかなか理解しにくいことばです。 “エゼキエル20章〜23章「わたしは、ねたむ(やきもちをやく)神」” の続きを読む
2009年10月25日
聖書の神の特質は、何よりも、「ねたみ」にあると言われます。事実、「十のことば」の中で、主は、「わたしはヤハウェ、あなたの神、ねたむ神である」(出エジ20:5私訳)と言われます。しかし、これは現代の日本人にはなかなか理解しにくいことばです。 “エゼキエル20章〜23章「わたしは、ねたむ(やきもちをやく)神」” の続きを読む
2009年10月18日
「どうせ私なんて・・・やるだけ無駄だ・・」という自己嫌悪と絶望感は、多くの人の心の底に巣食っています。ですから、大切な試験の最中でも、多くの人は、ふと無気力になることがあります。 “エゼキエル16章〜19章「生きよ!」” の続きを読む
2009年10月11日
二十世紀を代表するユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスは、ヒトラーによるユダヤ人絶滅計画を奇跡的に生き延びましたが、意外にも、「ヒトラー経験は多くのユダヤ人にとって、個人としてのキリスト教徒たちとの友愛のふれあいの経験でもあった・・それらのキリスト教徒たちは、ユダヤ人に対してその真心を示し、ユダヤ人のためにそのすべてを危険にさらしてくれた・・・」と語っています。 “ルカ22章35〜53節「傷ついたいやし人」” の続きを読む
2009年9月27日
フィリピンを初めて訪問して、正直なところ、その騒音と汚さと治安の悪さに閉口しました。私は決して、あの国には住めない人間だと思い、妙に、ドイツの生活をなつかしく感じました。 “エゼキエル12章〜15章「平安がないのに『平安』と言う者へのさばき」” の続きを読む
2009年9月13日
「かわいい子には旅をさせよ」ということわざがあります。放蕩息子のたとえでは、弟息子は、父の身近にいたとき、その恵みの大きさがまったくわかりませんでした。 “エゼキエル8章〜11章「失ってみて初めてわかる恵みの大きさ」” の続きを読む
2009年8月30日
ある有名な会社に30年あまり勤め、従業員百人を超える大きな海外現地法人の社長にまでなった方が、こんなことを言っておられました。海外駐在生活の中で、神と教会とに仕える生き方に喜びを見出し始めた40歳の頃、突然、上司から、「君を管理職に、特別に推薦したけれど、無理だったようだ・・・」と言われ、強いショックを受けました。 “ルカ22章24〜34節「一番偉い人は一番下の者のようになりなさい」” の続きを読む
2009年8月23日
あなたにとって、「信仰が深まる」とはどのようなイメージをもたらすでしょうか。しばしば、それは、「心が安定する」、「勇気がわく」、「喜びで満たされる」、「希望にあふれる」などと言い換えられるでしょう。 “エゼキエル4章〜7章「彼らは、わたしが主 (ヤハウェ) であることを知ろう」” の続きを読む
2009年8月9日
現代の多くの日本人にとって、「父の権威」が感じられない時代になっています。私は父を怖いと感じたことはありません。母はいつでもどこでも私の無条件の応援者でした。 “エゼキエル1章1節〜3章15節「主 (ヤハウェ) の栄光を拝するときの恐れと望み」” の続きを読む
2009年8月2日
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる平家物語の冒頭では、「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」ということばとともに、中国や日本での権力者の滅亡の有様が、「楽しみを極め、人の諫言も心に留めて聞き入れることもなく、天下の乱れることも悟らないで、民衆の嘆き憂いを顧なかったので、末長く栄華を続ける事なしに滅びてしまった」と説明されます。 “箴言14章〜15章「謙遜は栄誉に先立つ」” の続きを読む
2009年7月19日
ドイツ語のことわざに、「分かち合った喜びは二倍の喜びに、分かち合った苦しみは半分の苦しみになる」というのがあります。それこそが愛の交わりの中で起きる不思議ではないでしょうか。ともに悲しみながら、またともにうめきながら、そこに何ともいえない希望が生まれているということがあります。 “ローマ8章15〜30節「ともにうめく中で生まれる望み」” の続きを読む