2011年1月16日
祈りにはその人の性格が明確に現れます。たとえば、感情の激しい表出が自然な人もいれば、静かにポツリポツリと思いを語るほうが自然な人もいます。また、そのときの気持ちによっても祈りのかたちは変わることでしょう。イエスはここで、祈りに関してふたつのことを避けるように命じています。 “マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」 ” の続きを読む
2011年1月16日
祈りにはその人の性格が明確に現れます。たとえば、感情の激しい表出が自然な人もいれば、静かにポツリポツリと思いを語るほうが自然な人もいます。また、そのときの気持ちによっても祈りのかたちは変わることでしょう。イエスはここで、祈りに関してふたつのことを避けるように命じています。 “マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」 ” の続きを読む
2011年1月9日
私たちは今、「すぐに結果を出さなければ・・」というプレッシャーの世の中に置かれています。私自身もかつてそのような職場に身を置き、その発想を身に染み込ませて牧師になりましたが、そのために信仰生活が苦しくなった時期があります。なぜなら、あまりにも結果が見えなさ過ぎるからです。それは目に見える教会の成長のことばかりではありません。「これだけ神のみことばに親しんでいるのに、どうしてこうも僕は成長できないのだろう・・」と思ってしまいます。久しぶりに会った友人が、僕の若さをほめる意味で、「お前は何も変わっていないな」と言ってくれても、ふと、「お前の人格には昔から何も成長が見られない・・」と言われたような気になることがありました。 “イザヤ65章16節〜66章14節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」” の続きを読む
2011年1月2日
クリスチャンは天国にあこがれながらこの世の不条理をしのび、悔しいことがあっても微笑みながら生きる・・・そんなイメージがあるかもしれません。しかし、そんな生き方では、息が詰まってしまいます。義兄が私たちの信仰のあり方を尊重しながら、「お前たちの所は、アーメンだからな・・・」と言ってくれますが、今日の箇所には、「アーメン(真実)の神」という不思議な表現があります。それは、神にはご自身のことばと現実の行いの間にいかなるギャップもないということを意味します。 “イザヤ63章18節〜65章16節「アーメン(真実)の神によって祝福される歩み」” の続きを読む
2011年1月1日
AKB48の 「Beginner」を聞いて、これを書いた秋元康さんは本当にこの時代を見ていると妙に感心しました。「昨日までの経験とか、知識なんか荷物なだけ、風はいつも通り過ぎて、後に何も残さないよ、新しい道を探せ! 他人(ひと)の地図を広げるな! 伏せた目を上げた時に 0(ゼロ)になるんだ・・・今 僕らは夢見てるか、子どものようにまっさらに…支配された鎖は引きちぎろう Change your mind 何も知らなくていい Beginner! チャレンジは馬鹿げたこと? リスク回避するように愚かな計算して何を守るの? 僕らは夢見てるか? 未来を信じているか? 何もできない、ちゃんとできない、それがどうした? 僕らに可能性があるんだ、君は生まれ変わった Beginner! “イザヤ41章〜43章「恐れるな。わたしは、あなたとともにいる」” の続きを読む
2010年12月26日
ローザンヌ世界宣教会議に出席した友人が、「宇宙大で考え、その地域で行動せよ」ということを示されたと言っていました。マタイ福音書におけるイエスの誕生をめぐる記事はまさに、宇宙大の出来事が記されています。それは旧約聖書の要約とも言えるダビデの子の系図から始まり、救い主の誕生を知らせる星の出現、東方の博士の訪問、エジプトへの逃避、バビロン捕囚の思い起こし、そして、ひなびた村のナザレに住むという展開です。 “マタイ2章1〜23節「手探りの歩みの中で宇宙大の救いを見る」” の続きを読む
2010年12月19日
「約束」という漢字には、目印を付け、木を束ねて縛るという意味が込められています。つまり、「約束」には互いを束縛する取り決めを忘れないようにするという意味があります。そして、これはヘブル語の「契約」ということばでも同じです。当時、契約を結ぶ儀式には、「のろい」の警告と「祝福」の約束が付随していました。 “マタイ1章1〜25節「神の約束の成就をこの地で見る」” の続きを読む
2010年12月12日
「あきらめ」には良い面と悪い面があります。これは、本来、「明きらむ」から生まれた言葉のようですが、そこには、「心を明るく楽しくする」という意味がありました。依存症の原因に、自分では変えようのない過去への後悔や恨みがあると言われますが、目の前の現実を明らかに見るときに、断念すべきことがわかります。 “イザヤ62章4節〜63章17節「諦めることなく、主に訴える」” の続きを読む
2010年12月4日
多くの人々は、「大切な何かを失うこと」を恐れて生きています。この恐れは豊かになるほど大きくなります。福音を聞き、それに感動しながらも、何か大切なものを失うことを恐れて決断できない人もいます。これは江戸時代からのキリシタン迫害のトラウマが日本人全体の心に深く染み込んでいるためでしょう。そればかりか、イエスはご自身に従う者が、この世で大切な家族や財産を失う可能性があるとさえ言われました。 “イザヤ60章10節〜62章3節「神の救いがもたらす大逆転」” の続きを読む
2010年11月28日
北朝鮮が韓国の島の民家を攻撃したことで、戦争は起きないはずだという信仰?が揺るがされています。しかし、戦争が起きないと思うのは希望的観測であって信仰とは無関係です。それどころか、聖書は終わりのときが近づくに連れて世界に争いが広がるとさえ語っています。 “ヘブル10章32節〜11章13節「待ち望みつつ、今を生きる」” の続きを読む
2010年11月21日
人はみな自分の努力が正当に報われることを心から願います。しかし、大学新卒者の就職内定率が五割という状況の中で、そのような成功志向が、ますます目先の損得勘定に敏感な品格のない人間を育てることになってはいないでしょうか。高度経済成長の時代は、努力がそれなりに報われたかもしれませんが、それは長い歴史の中ではほんの一瞬でした。 “イザヤ59章1節〜60章9節「世のやみの中で私の光を見る」” の続きを読む