福島第一原子力発電所から約5㎞の所に、東北地方の福音的な教会の中で非常に高い評価を受けていた福島第一聖書バプテスト教会があります。佐藤彰先生を中心に約50名の方が、現在、奥多摩福音の家での避難所生活をしておられます。子供たちが奥多摩の小学校に通い始め、日常生活のリズムが戻りつつあり、先日の礼拝には近郊に避難している方を含め80人近くが集まったとのことです。 “ダニエル1章〜2章「寄留者としてこの世に生きる」” の続きを読む
マルコ2章13〜22節「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」
2011年4月3日
1923年9月に14万人の命を奪った関東大震災が起きました。それは第一次大戦に伴う好景気の反動から激しい不況に突入し財政赤字が膨れ上がっていた当時の日本経済をますます混乱に陥れ、四年後には金融恐慌、また、その四年後には満州事変と、日本の破局へのきっかけとなりました。それは、新しい状況に対応した財政運営ができなかったからです。 “マルコ2章13〜22節「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」” の続きを読む
箴言20章〜21章「矛盾を抱えたまま、神と人に仕える」
2011年3月27日
何かに真剣に取り組んだり、犠牲も厭わずに人に尽くすことは本当にすばらしいことです。しかし、ときに、「どうせ、自分のためにやっているのでしょう……」となどと言われることもあります。そのとき人はみな、自分の動機の純粋さを弁明したくなります。 “箴言20章〜21章「矛盾を抱えたまま、神と人に仕える」” の続きを読む
マルコ2章1〜12節「罪を赦す権威を持つ方」
2011年3月20日
この一週間余りに日本で起こったことは誰も予想のできなかった大惨事でした。想定外の大津波で何と多くの人々の命と財産、生活の場が失われ、将来の夢が奪われたことでしょう。そして、関東の地においても、観測史上最大の地震が、世界で最も安全と評価されていた原子力発電所を破壊し、電力不足を起こし、交通機能を麻痺させました。 “マルコ2章1〜12節「罪を赦す権威を持つ方」” の続きを読む
イザヤ56章〜66章「新しい天と新しい地での礼拝を目指して」
2011年3月13日
日本の歴史上、最大級の地震が起きて、多くの方が苦しんでおられます。そして、世界中の多くの私たちの兄弟姉妹が、この日本のために祈っていてくださいます。フィリピンやシンガポールや香港、アメリカの兄弟姉妹から安否のお問い合わせと、何かできることはないかとの支援のお申し出を受けています。 “イザヤ56章〜66章「新しい天と新しい地での礼拝を目指して」” の続きを読む
マルコ1章21〜45節「この世に神の国をもたらす」
2011年3月6日
大学時代の友人が、「今になってみると、お前が輝いて見える・・・。お前が元勤めていた会社の勧めで買収したアメリカの子会社が倒産しそうだ。身辺を整理できたら、お前のところに教えを請いに行こうか・・」などと言っていました。残念なのは、教会はこの世のしがらみから自由になってから行くところと思われていると誤解されていることです。 “マルコ1章21〜45節「この世に神の国をもたらす」” の続きを読む
イザヤ40章〜48章「まことに、あなたはご自身を隠す神」
2011年2月6日
先日、ある教会の礼拝でご奉仕させていただいたとき、その後で、ある方が、「どうしても先生に、一言、お尋ねしたい・・・」と言って来られました。その方は、「以前、私は、神様のことをとっても身近に感じ、疑いなどを持つことがなかった。教会奉仕も楽しくてたまらなかった。ところが、今は、心が渇き、苦しくてたまらない。それで必死に、以前のように戻りたいと様々な努力を重ねているのですが、かえって苦しくなるばかりです。どうしたら良いのでしょう・・・」という趣旨のことを尋ねてくださいました。 “イザヤ40章〜48章「まことに、あなたはご自身を隠す神」” の続きを読む
イザヤ66章7〜24節「神が創造してくださる礼拝」
2011年1月23日
新渡戸稲造は「武士道」という著書で、日本の武士道とキリスト教精神に共通点があることを描き、それは国際的なベストセラーになりました。小生も同じ大学の大先輩であるという理由だけで、尊敬とともに親近感を覚えますが、そのような視点の危なさを感じることもあります。武士道精神では、どのような状況下でも心の平静さを保つことができるように自分で自分を律することが大切にされます。しかし、ふと、「自分で自分を律することができるなら、どこに信仰の必要があるのだろう・・・」とも思います。 “イザヤ66章7〜24節「神が創造してくださる礼拝」” の続きを読む
マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」
2011年1月16日
祈りにはその人の性格が明確に現れます。たとえば、感情の激しい表出が自然な人もいれば、静かにポツリポツリと思いを語るほうが自然な人もいます。また、そのときの気持ちによっても祈りのかたちは変わることでしょう。イエスはここで、祈りに関してふたつのことを避けるように命じています。 “マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」 ” の続きを読む
イザヤ65章16節〜66章14節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」
2011年1月9日
私たちは今、「すぐに結果を出さなければ・・」というプレッシャーの世の中に置かれています。私自身もかつてそのような職場に身を置き、その発想を身に染み込ませて牧師になりましたが、そのために信仰生活が苦しくなった時期があります。なぜなら、あまりにも結果が見えなさ過ぎるからです。それは目に見える教会の成長のことばかりではありません。「これだけ神のみことばに親しんでいるのに、どうしてこうも僕は成長できないのだろう・・」と思ってしまいます。久しぶりに会った友人が、僕の若さをほめる意味で、「お前は何も変わっていないな」と言ってくれても、ふと、「お前の人格には昔から何も成長が見られない・・」と言われたような気になることがありました。 “イザヤ65章16節〜66章14節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」” の続きを読む