2011年9月25日
韓国ドラマでは、朝鮮王朝の歴史物語が多くの人気を博していますが、王宮の中での権力闘争や怨念の連鎖を見るときに、「王族に生まれるのも大変だな・・」と思わされます。しかし、そのようなどろどろとした世界は、神の民であったはずのユダヤ人の歴史に中にも見られました。 “マルコ6章14〜29節「権力の罠の中で神の前にひとりで立つ」” の続きを読む
2011年9月25日
韓国ドラマでは、朝鮮王朝の歴史物語が多くの人気を博していますが、王宮の中での権力闘争や怨念の連鎖を見るときに、「王族に生まれるのも大変だな・・」と思わされます。しかし、そのようなどろどろとした世界は、神の民であったはずのユダヤ人の歴史に中にも見られました。 “マルコ6章14〜29節「権力の罠の中で神の前にひとりで立つ」” の続きを読む
2011年9月18日
私たちの礼拝では2004年5月から、創世記1章から駆け足で聖書を解き明かし、聖書の時系列からすればほとんど最後の書に至っています。そしてその中心テーマは、エルサレム神殿の再建です。それはソロモンの神殿に比べれば「無いに等しい」ほどに、ちっぽけなものでした。 “エズラ3章「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」” の続きを読む
2011年9月11日
私たちは自業自得でとんでもない苦しみに会うことがあるかもしれません。そこで、「もう、私の人生は終わってしまった……」と落胆しながら、後悔の思いで一杯になることがあります。しかし、そこで神に立ち返るとき、どんな悲惨な中からも、不思議な道が開かれてきます。 “エズラ1章〜2章「わざわいではなく平安の計画の実現」” の続きを読む
2011年9月4日
私たちはしばしば、「どうして分かってもらえないのだろう!」と悩みます。イエスもご自分の郷里で同じでした。大科学者で神の臨在に感動したパスカルは、「気に障るからこそ、その理由が見つかる・・・心情(le Coeur)は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている・・神を感じるのは、心情であって、理性ではない」と語りました(パンセ276-278)。自分の「心」が自由でなければ、神のみわざが見えなくなります。 “マルコ6章1〜13節「神の国の福音の大きさ」” の続きを読む
「正直者がバカを見る」ような世界、言葉巧みにうまく立ち回る人ばかりが評価される世の中は、誰もが嫌だと思いますが、現実はなかなか期待通りには動きません。それどころか、とんでもない邪悪な人間が権力を握ることがあり、神の民を苦しめるときがあります。ダニエル書は、そのような世界の不条理に対する答えとして記されています。そして、神の公平なさばきの現れこそ、キリストの復活です。キリストの十字架は、サタンの勢力の勝利と見られました。しかし、神はキリストを死者の中からよみがえらせました。 “ダニエル11章13節〜12章13節「神の公平なさばきを期待した歩み」” の続きを読む
2011年8月21日
日本語の「諦める」には、「諦めの境地」などと言われるように英語などには訳しきれない美しさがあります。「諦める」の本来の意味は「明らかにする」ことのようです。そこには、「自分の願望が達成されない理由が明らかになり、納得して断念するというプロセスがあれば、悔い、怨み、愚痴が残らない。それが諦めるである」という思いが込められているようです。 “マルコ5章21〜43節「あきらめないで、信じ続ける」” の続きを読む
私たちの周りには有能で影響力のある人々が数多くいます。また、神を知らない人々の中にも、クリスチャンよりもはるかに信頼できそうな人格者がいくらでもいます。その中で私たちは、自分がまわりの世界に「地の塩、世の光」として何らかの影響力を発揮できることを願います。 “ダニエル10章〜11章「権力者たちの争いの狭間で生きる」” の続きを読む
2011年8月14日
「原子力発電の安全神話はどのように作られたか・・」という観点からのインタビュー番組を見ました。国策としての原発推進が決まった後は、原発の危険性を指摘する声をあげる人が出ても、誰の目にもわかる形でその人をあらゆる手段を使って苛め抜き、「原子力村」という「村社会」の統一見解を作って行ったということです。 “マルコ5章1〜20節「現代的な悪霊支配に目を開く」” の続きを読む
今から三十年近く前、私はドイツ銀行が集めてくれた一般投資家を前に、日本株投資の魅力を熱く語っていました。実際、そのとき日本株に投資したドイツ人は、通貨と株価の相乗効果でその後の五年余りのうちに少なくとも投資資産を三、四倍に増やすことができました。しかし、この教会が始まって間もなく、日本経済の成長は止まり、現在の株価も最高値の四分の一近くのままです。 “ダニエル9章「苦難が続く中での希望」” の続きを読む
2011年7月17日
「杖にすがるとも、人にすがるな」ということわざがあります。そして、「すがる」ということばをネットで調べたら、「誰かにすがるしかできない……」とタイトルで、「ひとりでいることが辛くて睡眠薬を大量に飲んでリストカットして気を失った……」などという女性の痛々しい記事がすぐに出てきました。「すがる」というのは依存症的な生き方の象徴なのかも知れません。 “マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」” の続きを読む