民数記8〜10章「主が先立って歩まれる」

2016年3月6日

多くの人が落ち込むときの最大の原因は、自分の将来の希望が見えなくなったときです。しかし、そんなときでも、「あなたがたにはあすのことはわからないのです」と断言されると、かえって安心できるかもしれません。 “民数記8〜10章「主が先立って歩まれる」” の続きを読む

ヨハネ12章9〜26節「人の子が栄光を受けるその時」

2016年2月28日

この社会には様々な不条理が満ちています。私たちはその解決を政治に求めがちです。確かに、テロとの戦いや隣国との対立感情、貧富の格差の解消など、多くの熱い政治の課題があります。 “ヨハネ12章9〜26節「人の子が栄光を受けるその時」” の続きを読む

ヨハネ11章47節〜12章8節「ひとりの人が民の代わりに死ぬ」

2016年2月21日

イエスはご自身のことを、「わたしは良い牧者です」(10:11)と言われましたが、それはエゼキエル34章が預言する新しいイスラエルの王であるという意味でした。そこでは主(ヤハウェ)ご自身がご自分の羊を直接に世話し憩わせると約束しつつ、その方と一体として民を養う新しいダビデを立てると約束されていました。当時の人々にとって、それはイスラエルの民がローマ帝国の支配から解放され、新しいダビデ王国が誕生することを意味しました。 “ヨハネ11章47節〜12章8節「ひとりの人が民の代わりに死ぬ」” の続きを読む

民数記5章〜7章「主は私たちの交わりに真中に住まわれる」

2016年2月7日

仏教では「死」を、私たちが受け入れ和解すべき人生の常と観て、死の中に安静と苦悩からの救いを見る傾向があります。一方、日本の神道では、「死」を禊ぎ祓うべき「穢れ」と観ます。それは「生の破滅を防ぐ所以」と言われます。それは3500年前のモーセの影響を受けているのかもしれません。日本最古の書の古事記はたった1、300年前に記されたに過ぎないからです。 “民数記5章〜7章「主は私たちの交わりに真中に住まわれる」” の続きを読む

民数記1章〜4章「勝利を得るための交わり」

2016年1月31日

日本では、「世間をお騒がせして申し訳ありませんでした」ということばが謝罪の定型句になりがちです。そこにあるのは、人々に不安や混乱を与えること自体が、重大犯罪であるという感覚です。 “民数記1章〜4章「勝利を得るための交わり」” の続きを読む

マタイ28章16〜20節他「イエスに倣い神のかたちで生かされ、祝福を分かち合う」

2016年1月24日

私たちはみな小さい頃から、「この地で成功する」ようにと様々な訓練を受けています。そして、キリスト教会でも「弟子訓練」の大切さが説かれてきました。 “マタイ28章16〜20節他「イエスに倣い神のかたちで生かされ、祝福を分かち合う」” の続きを読む

ガラテヤ6章11〜16節「新しい創造をここで喜び、その完成を待ち望む」

2016年1月17日

英国の上流階級に生まれたフローレンス・ナイチンゲールは16歳の1837年2月7日に夏の別荘の庭で、神の召しを受けたことを、「God spoke to me and called me into His service」と日記に記しています。 “ガラテヤ6章11〜16節「新しい創造をここで喜び、その完成を待ち望む」” の続きを読む

Ⅰペテロ2章22〜25節、エペソ2章19〜22節「キリストの愛にやすらぎ、いやされ、成長する」

2016年1月3日

昨年の紅白歌合戦を見ていて、不思議に心に残った歌がありました。西野カナさんの「トリセツ」です。 “Ⅰペテロ2章22〜25節、エペソ2章19〜22節「キリストの愛にやすらぎ、いやされ、成長する」” の続きを読む

ハバクク「神の真実に応答する者は生きる」

2015年12月27日

ハバクク書は多くの人に縁遠い箇所かもしれません。世界的なピアニストのイングリッド・フジ子ヘミングは無名だったとき聖路加病院でボランティアとして患者さんたちの前でピアノを演奏していました。その頃、ある教会で、預言者ハバククのみことばの小冊子をもらいます。その2章3節に、「たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない」と記されていました。 “ハバクク「神の真実に応答する者は生きる」” の続きを読む