ヨシュア10章〜11章「神の戦いの昔と今…小羊の王国」

2017年3月5日

詩篇46篇で、「万軍の主(ヤハウェ)はわれらとともにおられる」と繰り返されますが、それがどれほど大きな恵みかを忘れがちかもしれません。それは、地のどんな富、権力、軍隊も、神の御前には吹けば飛ぶような存在であることを意味します。神の敵がどれほど協力して、神の民に襲いかかって来ても、敵がまとまってくれていること自体が、戦いを短時間で終わらせる恵みの機会となっています。

ヨシュアに導かれたイスラエルの民がカナンの地の全土を支配できるようになったのは、たった二回の南と北の都市国家連合に圧倒的な勝利を得られたからです。神の敵がまとまって神の民に攻撃をしかけて来るときがあっても、それは「万軍の主」の勝利を見させていただくことができる絶好の機会に過ぎません。

私たちに求められているのは、ただ、主の前に遜って、主にすがり続けることです。勝利は確実だからです。

1.「主(ヤハウェ)が、イスラエルのために戦ったから」

エリコとアイの戦いの勝利は、対照的なようで、主ご自身の細かな戦略を与えているという共通点がありました。

その後、イスラエルは約束の地の中心エバル山とゲリジム山に立ち、「祝福とのろい」のことばを改めて聞きました(8:30-35)。その核心は、「主を愛し、御声を聞き、主にすがる」ことで約束の地で繁栄できるというものでした(申命記30:16,20)。

そして、9章では、ギブオンの住民たちがヨシュアを欺いて盟約を結んだことが描かれています。彼らは自分たちが約束の地の外にいる住民であるかのように装ったのですが、実際は、彼らの町はアイから南南西に10km程度の近距離にありました。このとき、彼らは「主(ヤハウェ)の指示をあおがなかった」(9:14)ために先住民との妥協という問題の種を蒔くことになりました。

そして、エルサレムは、その南南東10kmぐらいの近くにありましたから、その王アドニ・ツェデクはこの盟約を聞いて「大いに恐れ」ました(10:2)。それは、「ギブオンが大きな町で・・そこの人々はみな勇士たち」だったからです。それで彼は、南のヘブロンや南西の三つの町との五王国連合を組み、ギブオンを攻撃し、その町を自分たちの防衛線にしようと計画しました。

ヘブロンはエルサレムの南約30㎞、ヤルムテはエルサレムの西南西約30㎞、ラキッシュはヤルムテの南南西約20㎞、エグロンの位置は定かではありませんが、ラキッシュの南東10㎞、ヘブロンの西南西20㎞程度の地にあると思われます。これらすべての町はギブオンの南側にありエルサレム以外の町は、30㎞から50㎞程度の距離にありました。

そこで、「ギブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアのところに使いをやって」、「あなたのしもべどもから・・手を引かないで、早く・・上って来て私たちを救い、助けてください。山地に住むエモリ人の王たちがみな集まって、私たちに向かっているからです」と言いました(10:6)。

ギブオンの人々は自分たちをヨシュアの「しもべ」として位置付けながらすがって来ていますが、人間的に考えるなら一挙に五つの王国を相手にするなど無謀極まりません。しかも、ヨシュアのいたギルガルはギブオンから約30kmも東にあり、救援が間に合うかどうかも不明です。それに対して、ヨシュアは、躊躇することなく、「すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行った」と記されます(10:7)。もともとギルガルとの盟約は、騙されて結んだものでしたが、ヨシュアはあくまでも「盟約」に忠実であろうとしました

このとき、主(ヤハウェ)は彼に、「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない」(10:8)と励まします。この連合軍の勢力は、それまでと比較にならないほど強力だからです。

彼は、「夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲い」(10:9)ます。その際、「主(ヤハウェ)は彼らをイスラエルの前でかき乱し」(10:10)、とあるように主ご自身が直接に御手を指しのべ敵軍を混乱に陥れます。

そして、「イスラエルはギブオンで彼らを打ち殺し」と敵軍を撃破したばかりか、その西7㎞ぐらいにある「ベテ・ホルンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打った」と記されます。アゼカはヤルムテのすぐ西、マケダはエグロンの北5㎞ぐらいの場所だと思われ、西に20㎞、その後南に50㎞ぐらいの距離を一挙に追い落としたことになります。

その際、主はギベオンから西に10㎞あまりの「ベテ・ホロンの下り坂で」、「主(ヤハウエ)は天からの・・大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった」(10:11)と描かれます。

興味深いのは、ヨシュアが動き出したとき、主は「恐れてはならない」と励まし、また、急襲した時。敵の陣営を「かき乱し」、追跡しているとき「石を降らした」ということです。盟約を結んでいた以上、ヨシュアはギブオンを助けざるを得ませんでした。

私たちの人生にも損得勘定を越えて行動しなければならないことがあります。そのとき、主は不思議な形で私たちを助けてくださいますが、それは実際に動き出して見るまでは分からないことです。

そればかりかヨシュアはそこで、主(ヤハウェ)に向かって、「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で」と、彼の途方もないことを願います。これは三千数百年前のヨシュアが地球は丸いことも、地球が太陽の周りを回っているという天文学の基礎知識もなかったために願えたことですが、不思議なのは、それに応じて、「民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった」(10:13)、「日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出てくる(入る)のを急がなかった」と記されていることです。

私たちは常識にとらわれているため大胆なことを願うことができなくなっているのかもしれません。しかし、「神は仰せられた。『光があれ』。すると光があった」(創世記1:3)を初めとする天地創造の不思議を誰が科学的に説明できるでしょう。

確かに、「神はご自分が定めた物理の法則をご自分で崩すことはないはず・・・」と言う見方もできますが、それも人間的な推論に過ぎません。無から光、また全宇宙を創造したということの不思議を思う時に、「神にとって不可能なことは一つありませんと御使いガブリエルが聖母マリヤに語ったことばの意味がわかります(ルカ1:37)。人間的な常識に囚われて、祈りが小さくなってはいけません。

しかも、「主(ヤハウェ)が人の声を聞き入れられたこのような日は、先にもあとにもなかった」(10:14)とあるように、これは一度限りの奇跡でした。多くの人は、神を自然法則の中で働く方のように小さくとらえますが(理神論)、神はすべての上におられる方です。

ただし、人の理性をも創造された方は、理解不能な奇跡ばかりを行なうことを躊躇されるという現実もありましょう。これは、地球と太陽の関係が知られていなかった時代だから、神が敢えて起こした奇跡とも言えましょう。

しかも、これはヨシュア自身がまず、既に結んだ異邦人との「盟約」に忠実に行動したという中で起きたことです。自分でリスクを取ろうともせず、自分の身の安全ばかりを願う人がこのようなことを願っても何も起きはしないことでしょう。

そして、ここで何よりも大切なことは、「(ウェ)がイスラエルのために戦った」(10:14)という点です。今も、その同じ全能の主は、あなたのために戦ってくださいます。私たちにも、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)と言われています。それを前提に、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」(マタイ5:39)と言われます。勝利が約束されているから、そうできるのです。

2.神のさばきの器としての戦い

「ヨシュアは、全イスラエルを率いてギルガルの陣営に引き上げた」(10:15、43)とは、彼らが無傷のまま、神の幕屋が置かれら場に整然と戻った様子を表現したものです。ただ21節ではヨシュアはマケダの陣営にいると描かれていますから、15節は時間的な順序を現した表現ではないと思われます。

とにかく、ヨシュアの猛攻によって、五人の王たちは逃げて、マケダのほら穴に隠れ」ました(10:16)。マケダの位置には異論がありますが、10節で述べたようにエグロンのすぐ北、ヘブロンの西10㎞余りと考える方が全体の流れに合うように思われます。

興味深いのは、ヨシュアはそのことを聞くと、まず「ほら穴の口に大きな石をころがし」て、王たち閉じ込め(10:18)、「敵のあとを追い…彼らを絶ち滅ぼし、ついに全滅させた」(10:19,20)と描かれていることです。王たちはそろって自分の身の安全を求め、その間に、部下たちが皆殺しにされるというのは、敵の混乱を如実に描いたものです。これが負け戦の典型とも言えます。

その後、ヨシュアは五人の王たちを捕え、イスラエルのすべての人々の前で、戦士たちに「王たちの首に足をかけ」(10:24)させます。これは当時、敵を圧倒したことの象徴的な動作ですが、それは詩篇110篇1節でダビデが、「主(ヤハウェ)は私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右に着いていよ』」と歌っていることにも現されています。

その後、五人の王は殺された上で、「木にかけ」られ、さらし者にされます。それは、彼らが神ののろいを受けてさばかれたことを知らせるためです(10:26、参照申命記21:22,23)。これはらは今から三千数百年前の常識的な風習でした。

しかし、イエスはそれを逆転されました。私たちの王である方ご自身が、私たちが受けるべきのろいをその身に引き受け、「木にかけられ」、「のろわれた者」となってくださいました(ガラテヤ3:13)。ここに描かれた卑怯な王たちと何と対照的なことでしょう。

しかもイエスは十字架の上で、ご自身を十字架にかけた人たちのために、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているか自分で分からないのです」(ルカ23:34)と祈ってくださいました。私たちはその例にならって、今は、「迫害する者を・・祝福すべきであって、のろってはいけません」(ローマ12:14)と命じられています。

当時の常識が残虐に見えるのは、主がいのちがけで真の愛を教えてくださった結果です。歴史の流れとともに啓示された過程を忘れてはなりません。

その後、ヨシュアは、この後、イスラエル南部の主要都市の掃討作戦を展開します。ここには最大の敵エルサレムを除いた、その南西部に広がる七つの町を絶滅したことが記されています。

それらすべてにおいて、「その中にいたすべての者を聖絶し、ひとりも生き残るものがないようにした」とか、「その中のすべての者を、剣の刃で打ち、その中にひとりも生き残る者がないようにした」と繰り返され、最後に、「息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主(ヤハウェ)が命じられたとおりであった」とまとめられます(10:28-40)。

何とも複雑な、やり切れない気持ちになりますが、それは、主がその七百年以上前にアブラハムに語っていたご計画の成就でした。主は罪に満ちたソドムとゴモラを硫黄の火で焼かれましたが、それに先立って、「エモリ人の咎が・・満ちる」(創世記15:16)のを待つ、と言っておられたのです。

つまり、主は、カナンに増え広がる罪に、忍耐に忍耐を重ね、その地にアブラハムの子孫によって「神の国」を建てようとの遠大な計画によって、イスラエルにこの地の民の聖絶を命じておられたのです。それは、さばきの執行者であるイスラエル自身も、神を恐れることを心から学ぶことができるためでした。

私たちも、自分の罪がどれほどに神のみこころを痛めているかを知るべきです。使徒ペテロはこの世界の完成の前の状況を、「今の天と地は・・・火で焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びの日まで保たれている」(Ⅱペテロ3:7)と描いています。

そして、その日が遅いと思われるのは、「主は・・ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」からです(同3:9)。神は人々をご自身に立ち返らせるために、御子をこの世に送ってくださいました。御子の十字架は、私たちの罪がどれほどに解決困難な問題かを示しています。

私たちは自分に害を及ぼす悪に関してはたちどころに滅ぼされることを願いがちですが、悪を罰する者自身が、なお大きな悪となってしまうのが人間の歴史です。実際、この後、イスラエルは「神の敵」となってしまい、神の救いのご計画に反抗しました。イエスの十字架には、聖なる神の罪への怒りと、罪人への深いあわれみが交差しています。

3.海辺の砂のように多い敵との戦い

その後、ガリラヤ湖の北15㎞余りにあるハツォルの王ヤビンは、カナンの南でのイスラエルの戦いのことを聞いて、恐れにとらわれ、ガリラヤ湖の南から地中海に至る都市国家の王たち、そして北はヘルモン山のふもとのヒビ人にまで広がる連合を訴えます。ハツォルは当時のカナン全域で最大の町であったとも言われます。

そしてその結果が、「それで彼らは、その陣営を率いて出てきた。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった」(11:4)と描かれます。戦車をもたないイスラエルが勝てる見込みはあり得ないはずなのに、恐れた連合軍はハツォルの北西10㎞にあるメロムの水のあたりにまで引き下がって陣を敷きます。

そこでも、主(ヤハウェ)はヨシュアに、「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない」(11:6)と命じます。主は、戦車との戦い方まで教えてくださいました。

そして、「そこで、ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水のあたりで、彼らを急襲し・・襲いかかった」(11:7)と記されます。その結果が、「(ウェ)が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち、大シドンまで…さらに東の方では、ミツパの谷まで彼らを追い、ひとりも生き残る者がないまでにされた」(11:8)と戦いの様子が簡潔に描かれます。これは、地中海岸ではツロの北、東ではヘルモン山のふもとの谷まで敵を追って、彼らを絶滅したことを意味します。

そして、10、11節では、「ヨシュアが引き返して、ハツォルを攻めとり・・・その中のすべての者を剣の刃で打ち…聖絶した」と記されます。そればかりか、「ヨシュアはそれらの王たちのすべての町々、および、そのすべての王たちを捕らえ、彼らを剣の刃で打ち殺し、聖絶した。主(ヤハウェ)のしもべモーセが命じたとおりであった」(11:12)と記されます。これはカナンの人々を「聖絶する」ことが、主の明確な命令だったからです。

その上で16,17節では死海の南西部からヘルモン山のふもとにいたる約束の地全体に広がる地の「王をことごとく捕らえて、彼らを打って、殺した」と約束の地の占領の様子が描かれます。

そして、「ヨシュアは、これらすべての王たちと長い間戦った」(11:18)と、その後の戦いがごく簡潔に要約され、「ギブオンの住民を除いては、イスラエルと和を講じた町はひとつもなかった・・・彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは主から出たことであり、それは主が彼らを容赦なく聖絶するためであった」(11:19,20)と敢えて記されます。神のご計画は、この地から徹底的に悪を取り除くことでした。

そして、「それでイスラエルの地には、アナク人がいなくなった」(11:22)とは、かつて彼らが、「ネフィリム(巨人族)のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えた」(民数記13:33)と怯えていた時とは正反対の状況になりました。私たちも、この世の圧倒的な力による脅しを恐れる必要はありません。

その結果、「こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った・・・ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てに従って・・・分け与えた。その地に戦争はやんだ」(11:23)と約束の地の占領が完了したかのように描かれます。

実際には、イスラエルの戦いは、土地の分配後も続きますが、これは1章3-6節に約束された土地の占領が、大枠において実現したという神の約束の成就を強調した表現です。

今も、国際政治では、軍事力のバランスによってしか平和を保てない現実があります。しかし、私たちは、隣人との関係では、「悪に悪を報いることをせず・・自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」(ローマ12:17)と命じられています。

ヨシュアの勝利を恐れたカナンの王たちが連合したように、悪霊たちは、この世の権力者を「ハルマゲドン」(黙示16:16)に集め、神の民を攻めてきます。しかし、「神のことば」と呼ばれる方が、「王の王、主の主」としてこの敵をたちどころに滅ぼされます(黙示19:13,16)。私たちの使命は、敵と戦うことではなく、たとえ首をはねられてでも、主に従い続けることです。

今、私たちの王は、「小羊」と呼ばれ、十字架で死ぬという「弱さ」によって、圧倒的な死の力に打ち勝ちました。私たちの戦いは、ヨシュアの時代とは違います。敵を力で圧倒することではなく、「敵が飢えたなら・・食べさせ、渇いたなら、飲ませる」ことで、「善をもって悪に打ち勝つ」ことこそが主のみこころです(ローマ12:20,21)。「小羊の王国」は、力ではなく、愛によって広がって行きます。

ただし、ヨシュアの時代も今も、私たちに求められていることは、「死に至るまで忠実である」(黙示2:10)こと、また、「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です」(ヘブル10:39)と言われた通りに生きることです。

目の前に小さなハルマゲドンの戦いがあるように思えることがあっても、それは悪霊の空脅しに過ぎません。私たちの心の目が主の愛に向けられているなら、どんな試練の中でも、「私たちを愛してくださった方によって・・圧倒的な勝利者」(ローマ8:37)となっていると告白することができます。

神は不思議にも、イスラエルの戦いを圧倒的な勝利に導くため、敢えて、敵に大きな連合軍を組まさせられたからです。

今年は宗教改革五百年記念の年です。マルティン・ルターは改革に着手して十年後、精神的にも肉体的にも瀕死の状態になりました。熱狂主義者が聖霊の御名で秩序を否定し、カトリック勢力は猛烈な反撃に転じ、聖書教師は育たず、ペストの流行で長女が病死し、トルコ帝国が東から攻め、彼自身もサタンの誘惑に圧倒され神経衰弱に陥りました。

その時、詩篇46篇に慰められ、讃美歌「神はわれらが砦」を記しました。これは宗教改革の進軍歌とも呼ばれますが、実際は、祈りの歌です。そこでは、サタン勢力の圧倒的強さと私たちの無力さの対比が描かれ、私たちに代わって(「共に」ではない!) 戦ってくださる万軍の主キリストと、みことばひとつで敗北するサタンの様子が歌われます。

四番の原文「命も・・妻も子も奪うに任せよ」は衝撃的です。サタンは脅しで人々を動かし「からだを殺す」ことはできても、「たましいは殺せない」(マタイ10:28)からです。

なお、ルターはその後20年生かされ、福音的な教会の基礎を築きました。最愛の家族を守る人間的な努力さえも「やめよ!」(10節)と歌った人を、イエスはその家族ばかりか、その教会と国さえも守り通してくださったのです。平和のための祈りの戦いは今も続いています。