士師記1章〜5章 「主を怒らせる民に対する救い」

2017年4月30日

クリスチャンとは、敬虔な生き方で尊敬される人でしょうか?また、聖書知識があってハバクク書などをすぐに開くことができる人でしょうか?しかし、パウロによると、「神の子としてくださる御霊を受け」て、イエスの父なる神を、「アバ、父」と呼ぶことができる人を指します (ローマ8:14、15)。 “士師記1章〜5章 「主を怒らせる民に対する救い」” の続きを読む

Ⅱコリント5章11〜21節「キリストのうちにある、新しい創造」

2017年4月23日

教会暦では、イエスの十字架への歩みを覚える四十日間の受難節に、自分の欲望を制するための様々な節制の実践が勧められました。しかし、実は、イースターの季節も四十日間あります。「使徒の働き」では、「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り…ご自分が生きていることを使徒たちに示された」(1:3)とあるからです。 “Ⅱコリント5章11〜21節「キリストのうちにある、新しい創造」” の続きを読む

ヨハネ18章28〜40節「私たちの不真実を変えるイエスの真実」

2017年4月16日

「イエスはどうして、十字架に架けられたのですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょう。ある人は、歴史的な観点から、「イエスの人気があまりにも高くなって、当時のイスラエルに混乱を起こすと見られたから」と答えます。またある人は、「神はイエスを、私たちの罪の身代わりとして十字架にかけられた」と神学的な視点から答えます。 “ヨハネ18章28〜40節「私たちの不真実を変えるイエスの真実」” の続きを読む

ヨハネ18章1〜27節「『わたしはある』と言われる方に生かされる」

2017年4月9日

あるお子さんが、「イエス様は、神様なんですよね。でも、イエス様も神様に向かってお祈りしてますよね。だったら、神様はふたりなんですか?」と聞いて来ました。 “ヨハネ18章1〜27節「『わたしはある』と言われる方に生かされる」” の続きを読む

ヨシュア23章〜24章「私と私の家とは主 (ヤハウェ) に仕える」

2017年4月2日

林竹治郎が描いた「朝の祈り」という絵があります。1905年第一回文部省美術展に入選し、今も多くのクリスチャンホームの朝の祈りの生活に励ましを与え続けています。お母さんと三人の子供たちが、真剣に神の御前に静まってお祈りしています(聖書に手を置いているのは下宿していた学生で、常に何人かいました)。竹治郎自身はこのときは家族の祈りの風景をスケッチしていたのでしょう。 “ヨシュア23章〜24章「私と私の家とは主 (ヤハウェ) に仕える」” の続きを読む

ヨシュア20章〜22章「神の平和をこの地に実現するために」

2017年3月26日

聖書で最も有名な言葉は、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬を向けなさい」(マタイ3:39)かもしれません。ときに、このみことばが悪用されてクリスチャンホームの子供がいじめに遭うなどと聞いたことがあります。 “ヨシュア20章〜22章「神の平和をこの地に実現するために」” の続きを読む

ヨシュア12章〜19章「神から与えられた責任を果たす喜び」

2017年3月19日

私は以前、もっと普通の人間でありたいと思っていた時期があります。しかし、村上春樹の小説の中に、「私は普通の人間ですと自己申告するような人間を信用してはいけない」と引用されている言葉を見て、笑ってしまいました。それは、「たとえ凡庸であっても、代わりはきかない」という意味のようです。 “ヨシュア12章〜19章「神から与えられた責任を果たす喜び」” の続きを読む

ヨシュア10章〜11章「神の戦いの昔と今…小羊の王国」

2017年3月5日

詩篇46篇で、「万軍の主(ヤハウェ)はわれらとともにおられる」と繰り返されますが、それがどれほど大きな恵みかを忘れがちかもしれません。それは、地のどんな富、権力、軍隊も、神の御前には吹けば飛ぶような存在であることを意味します。神の敵がどれほど協力して、神の民に襲いかかって来ても、敵がまとまってくれていること自体が、戦いを短時間で終わらせる恵みの機会となっています。 “ヨシュア10章〜11章「神の戦いの昔と今…小羊の王国」” の続きを読む

ヨハネ17章9〜26節「彼らが全うされて一つとなるため」

2017年2月26日

江戸時代の踏絵を用いた徹底的なキリシタン弾圧以来、多くの日本人はそのトラウマに支配されているのかも知れません。学生時代、福音を聞きながら、「でも、クリスチャンになったら、何か悪いことが起こるかも・・」と不安でした。しかし、アメリカに留学中、「クリスチャンであるとは、喜びに満ち溢れることなのだ!」と、目が開かれました。当時、自然体で美しく輝いている方を知らなかったからです。 “ヨハネ17章9〜26節「彼らが全うされて一つとなるため」” の続きを読む