詩篇46篇で、「万軍の主(ヤハウェ)はわれらとともにおられる」と繰り返されますが、それがどれほど大きな恵みかを忘れがちかもしれません。それは、地のどんな富、権力、軍隊も、神の御前には吹けば飛ぶような存在であることを意味します。神の敵がどれほど協力して、神の民に襲いかかって来ても、敵がまとまってくれていること自体が、戦いを短時間で終わらせる恵みの機会となっています。 “ヨシュア10章〜11章「神の戦いの昔と今…小羊の王国」” の続きを読む
ヨハネ17章9〜26節「彼らが全うされて一つとなるため」
江戸時代の踏絵を用いた徹底的なキリシタン弾圧以来、多くの日本人はそのトラウマに支配されているのかも知れません。学生時代、福音を聞きながら、「でも、クリスチャンになったら、何か悪いことが起こるかも・・」と不安でした。しかし、アメリカに留学中、「クリスチャンであるとは、喜びに満ち溢れることなのだ!」と、目が開かれました。当時、自然体で美しく輝いている方を知らなかったからです。 “ヨハネ17章9〜26節「彼らが全うされて一つとなるため」” の続きを読む
ヨシュア7章〜9章「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」
「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」という近代史の本が以前、ベストセラーになりました。昔は、一部の軍閥が勝手に戦争を引き起こしたという見方が大勢を占めましたが、最近はもっと大局的な視点が重視されるようになってきました。たとえば、日米開戦時の工業生産高では米国は日本の10倍にも達していました。しかし、そのような無謀な戦争に勝利を期待したのは、その36年前の日露戦争では日本が8倍の国家予算を持つロシアに勝利を収めたことが最も大きな理由になっていました。 “ヨシュア7章〜9章「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」” の続きを読む
マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」
主の祈り ギリシャ語原文対訳 “マタイ6章5〜15節「三位一体の神の愛に包まれた祈り」” の続きを読む
ヨシュア4章〜6章「新しい創造を、記念する」
私たちはみな、どこかで神のすばらしいみわざを体験しているからこそ、イエスにつながっているのではないでしょうか。
しかし、ときに、「あの頃は、神の臨在を身近に感じていたのに、今は、私の心は渇いたままだ・・・どうしたら、信仰の喜びを回復できるだろうか?」と悩むことがあるかもしれません。その際、その「体験の記憶」を繰り返し思い起こし、「新しい創造」として「記念」することこそ神の命令です。 “ヨシュア4章〜6章「新しい創造を、記念する」” の続きを読む
ヨシュア1章〜3章「恐れるな。わたしがあなたとともにあるから」
「ヨシュア」とは、「主(ヤハウェ)は救い」という意味で、そのギリシャ語名が「イエス」です。神が約束の地を占領させるためにヨシュアを立てたように、神はイエスを立てて私たちを世界に遣わされます。 “ヨシュア1章〜3章「恐れるな。わたしがあなたとともにあるから」” の続きを読む
申命記31章〜34章「自業自得の苦しみにあった後にある希望」
2017年1月22日
現代は、聖書が記された三千数百年前には想像もつかなかったような驚くべき豊かさと便利さの中にあります。しかし、何と多くの人々が孤独と失望と恐怖の中に生きていることでしょう。物質的に満ち足りることは幸福の保証にはなりません。 “申命記31章〜34章「自業自得の苦しみにあった後にある希望」” の続きを読む
ヨハネ16章25節〜17章8節「わたしはすでに世に勝ったのです」
最近日本でもブームになっている「サピエンス全史」という本があります。進化論的説明を絶対化することには賛成できませんが、ホモ・サピエンスと呼ばれる人類が、驚くほどひ弱であるにも関わらずこの地の支配者となれたのは、ときにフィクションとも呼ばれる「想像上の現実」を大集団で共有して協力し合うことができたからであるという解説には感心しました。 “ヨハネ16章25節〜17章8節「わたしはすでに世に勝ったのです」” の続きを読む
イザヤ40章「主を待ち望む者は新しく力を得る」
2016年紅白歌合戦のテーマは「夢を歌おう」でした。その中でひと際、歪んだ夢が歌われていました。高橋真梨子さんの「ごめんね」です。そこでは、「好きだったのに、それなのに貴方を傷つけた。ごめんねのことば涙で言えないけど……世界中きっと、いちばん大切な恋を無くしたのね……連れて行って、別離(わかれ)のない国へ」と歌われています。自業自得で苦しみながら、永遠への夢が歌われています。 “イザヤ40章「主を待ち望む者は新しく力を得る」” の続きを読む
マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」
最近、お金や経済に関する話で他教会に招かれます。次のような文章をどのように思われるでしょう。
「経済が国家の決定的な支配者の地位にのぼるのにきっちり応じて、貨幣は神となり、あらゆるものはこれに奉仕し、だれもがこの前に屈服しなければならなかった。天上の神々はますます時代遅れで、すたれたものとなり、隅の方へしまわれてしまい、代わりにマモン(富)の偶像に香がたかれた。まことに困った堕落が始まった・・・崩壊の究極的原因は、もっと外の領域に・・あるに違いない・・旧帝国の破滅のもっとも深い究極的原因は、人種問題および、それが民族の歴史的発展に対して持つ意味を、認識しなかったことにある」・・・ “マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」” の続きを読む