Ⅰ歴代誌27〜29章「主への礼拝を第一とすることの幸い」

2019年12月29日

イスラエルは70年前に生まれた国でありながら、5年前に一人当たり国内総生産額で日本を抜き、今や、隠れ人工知能大国と呼ばれています。世界の最先端技術の研究所がひしめき合い、新しい会社が次々に生まれます。 “Ⅰ歴代誌27〜29章「主への礼拝を第一とすることの幸い」” の続きを読む

イザヤ11章〜12章「未知の旅の先の平和を夢見て」

2019年12月22日

「アナと雪の女王」 Ⅱの主題歌で In to the unknown(未知の旅に踏み出そう)という曲があります。自分の中で今ここにある平穏な生活から抜け出て、未知の世界に踏み出す必要があるという歌です。それは、現在の平和の背後に過去の偽りがあったからです。雪の女王のエルサはそれを正すために特殊な力が与えられているというのです。 “イザヤ11章〜12章「未知の旅の先の平和を夢見て」” の続きを読む

マタイ6章1〜18節「天の父との交わりの中でこの世に生きる」

2019年12月15日

私たちの信仰は、親しい人々が見ていないところで、どのように行動するかに現わされます。イエスの時代のパリサイ人は、人々から正しいことを行う信仰者とした高く評価され、模範となっていました。しかし、イエスは彼らがいつも人々の目ばかりを意識して行動していると、その偽善を激しく非難しました。 “マタイ6章1〜18節「天の父との交わりの中でこの世に生きる」” の続きを読む

Ⅰ歴代誌22〜26章「主の宮での礼拝形式を整えたダビデ」

2019年12月8日

イエスは「ダビデの子」として生まれたと福音書では強調されます。しかし、サムエル記で描かれるダビデは、忠実な家来の妻を奪い取ったあげく彼を騙し討ちにし、息子たちの殺し合いに何も言えず、息子の反乱でエルサレムから追い出される父親失格の人間です。それを見ると、救い主を「ダビデの子」と呼ぶのに躊躇を感じる人もいることでしょう。 “Ⅰ歴代誌22〜26章「主の宮での礼拝形式を整えたダビデ」” の続きを読む

マタイ5章33〜48節「天の父の完全を目指して」

2019年12月1日

イエスの時代のイスラエルではローマ帝国からの独立運動が盛んで、現在のアラブのテロリストと同じことをユダヤ人が行なっていました。彼らはイエスが説教した近くの洞穴に隠れ、ゲリラ戦で圧倒的なローマ軍と戦い続けていました。

イエスはその戦いのただ中で、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われました。「」とは、「厭な人」ではなく「敵対してくる人」のことです。 “マタイ5章33〜48節「天の父の完全を目指して」” の続きを読む

Ⅰ歴代誌17〜21章「エルサレム神殿はどこに建てられたのか」

2019年11月24日

歴代誌はダビデによるエルサレム神殿建設の備えのことが詳しく描かれます。詩篇132篇では、「 (ヤハウェ) よ、ダビデのために 彼のすべての苦しみを思い出してください」という記述から始まり、「彼は主 (ヤハウェ) に誓いました。ヤコブの力強き方に誓願を立てました。『私は決して、私の家の天幕に入りません……主 (ヤハウェ) の……御住まいを……見出すまで』」と続きます (3-5節)。これはダビデが神殿建設の場所を見つけるまで、自分の家に入って眠ることもしないという覚悟の現れです。 “Ⅰ歴代誌17〜21章「エルサレム神殿はどこに建てられたのか」” の続きを読む

マタイ5章17〜32節「律法を成就するキリスト」

2019年11月17日

子どもは大人を振り回す天才とも言えますが、イエスは「向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入ることはできません」(マタイ18:3) と言われました。これは、子どもの心は純粋、無垢だというのではなく、自分の無力さを心の底で自覚している姿勢に倣うようにとの、心の方向転換の勧めと言えます。 “マタイ5章17〜32節「律法を成就するキリスト」” の続きを読む

マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」

2019年11月10日

「杖にすがるとも、人にすがるな」ということわざがあります。「すがる」というのは依存症的な生き方の象徴なのかも知れません。

ただし、私たちは誰もが皆、何かに対する依存症者であるとも言われます。それには、ギャンブル依存、薬物依存、買い物依存のようなものから、仕事依存、人間関係依存、ネット依存、活字依存など多様なものがあります。 “マタイ5章1〜16節「主にすがり、地の塩、世の光として生きる」” の続きを読む

Ⅰ歴代誌13〜16章「定めに従って主を求め、主を喜び歌う幸い」

2019年11月3日 

歴代誌は、もとはヘブル語聖書の最後に位置し、3章終わりの系図から判断すると紀元前400年頃の人によって記されたと思われます。とにかく、これこそ時代的にもっとも新約聖書に近い旧約最後の書物です。

当時の神殿は、ソロモンの神殿に比べたら驚くほど小さいもので、そこには契約の箱さえありませんでした。しかし、唯一、ダビデ時代からの驚くべき遺産がありました。それは訓練されたレビ人によっての多くの楽器を用いての主への賛美を歌うことでした。そしてそれこそ、現代の教会にまで続く伝統です。

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Ⅰ歴代誌9章35節〜12章40節「主 (ヤハウェ) に召された者が問われる誠実さ」

2019年10月27日 

先日は日本国天皇の即位の礼が行われましたが、それはキリスト教国における戴冠式と根本的に異なります。天皇が即位を宣明する高御座(たかみくら)は、その構造が天照大御神の子孫としての座を現わす舞台装置になっています。そこには天孫(てんそん)降臨という古事記神話の伝統が随所に見られ、天皇は、即位を自分で宣明しています。 “Ⅰ歴代誌9章35節〜12章40節「主 (ヤハウェ) に召された者が問われる誠実さ」” の続きを読む