Ⅰ歴代誌13〜16章「定めに従って主を求め、主を喜び歌う幸い」

2019年11月3日 

歴代誌は、もとはヘブル語聖書の最後に位置し、3章終わりの系図から判断すると紀元前400年頃の人によって記されたと思われます。とにかく、これこそ時代的にもっとも新約聖書に近い旧約最後の書物です。

当時の神殿は、ソロモンの神殿に比べたら驚くほど小さいもので、そこには契約の箱さえありませんでした。しかし、唯一、ダビデ時代からの驚くべき遺産がありました。それは訓練されたレビ人によっての多くの楽器を用いての主への賛美を歌うことでした。そしてそれこそ、現代の教会にまで続く伝統です。

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Ⅰ歴代誌9章35節〜12章40節「主 (ヤハウェ) に召された者が問われる誠実さ」

2019年10月27日 

先日は日本国天皇の即位の礼が行われましたが、それはキリスト教国における戴冠式と根本的に異なります。天皇が即位を宣明する高御座(たかみくら)は、その構造が天照大御神の子孫としての座を現わす舞台装置になっています。そこには天孫(てんそん)降臨という古事記神話の伝統が随所に見られ、天皇は、即位を自分で宣明しています。 “Ⅰ歴代誌9章35節〜12章40節「主 (ヤハウェ) に召された者が問われる誠実さ」” の続きを読む

マタイ4章12〜25節「真理はあなたがたを自由にする」

2019年10月20日(世界宣教の日)

私は学生時代に英会話を学ぶために宣教師のもとを訪ねました。そしてあるとき伝道集会に誘われて行きました。そこではヨハネの福音書4章14節から、「永遠のいのちへの水が湧き出る」という「」を受けるようにとの招きがありました。そこでイエスを救い主として信じたい人は、前に出るようにと言われました。私はそこで、「ここで信仰の決心をするなら、日本社会の中で浮いてしまい、将来に傷がつく……」とためらいました。 “マタイ4章12〜25節「真理はあなたがたを自由にする」” の続きを読む

イザヤ48章12〜22節「あなたの平安は川のようになったであろうに」

2019年10月13日 

多くの人々は、天国の祝福以前に、地上の歩みにおける平安を求めていますが、旧約聖書でも、死後の希望以前に、地上的な苦しみと「平安 (シャローム)」のことが書いてあります。

私たちの人生にはストレスの種が満ちていますがアーロン・アントノフスキーというユダヤ人の医療社会学者は、ナチスの強制収容所という想像を絶するストレスを体験したユダヤ人を徹底的に調査した結果、その後に心の健康を回復して人生を豊かに生きた人の割合が予想外に多いという事実を発見します。 “イザヤ48章12〜22節「あなたの平安は川のようになったであろうに」” の続きを読む

Ⅰコリント15章1〜11節,20〜24節、58節「キリストの福音に生きる教会」

2019年10月06日(三十周年記念礼拝)

私たちの教会は、30年前の10月1日に、キリストの復活宣言とともに礼拝を始めました。世の多くの人々はイエスが私たちの罪の身代わりとして十字架で苦しまれたということを知っています。しかし、聖書では十字架と復活はセットになっており、十字架は勝利のシンボルでもあるのです。 “Ⅰコリント15章1〜11節,20〜24節、58節「キリストの福音に生きる教会」” の続きを読む

マタイ4章1〜11節「悪魔の誘惑の昔と今」

2019年9月29日 

私たちはこの世での生活で、いつも「どんな働きをしていますか?」(成功)、「どのように人から見られていますか?」(評判)、「どんな影響力を持っていますか?」(力)という観点から「自分が何者か」を意識しようとしてはいないでしょうか?

これらはすべてイエスが退けられた、パンや富を第一とする成功、神殿の頂から飛び降りるというパーフォーマンス、この世界を従えようとする権力の誘惑と結びついています。悪魔の誘惑は今も、いつも目の前にある現実です。 “マタイ4章1〜11節「悪魔の誘惑の昔と今」” の続きを読む

マタイ3章1〜17節「イエスが受けたバプテスマ」

2019年9月22日 

この世界には様々な矛盾がありますが、その真の原因を知る人は稀です。この世界では常に、一つの問題の解決が次の問題を生み出します。今から二千年前、イスラエルの民はローマ帝国の支配から解放されることを切望していましたが、それに対しバプテスマのヨハネは、ひたすら神の救いを待ち望み、神の前に遜るようにと訴えました。この約200年前にギリシャ人の王を打ち破ったユダヤ人は、独立王朝を築くものの百年も経たずに内紛で自滅していました。 “マタイ3章1〜17節「イエスが受けたバプテスマ」” の続きを読む

Ⅰ歴代誌4章24〜9章34節「イスラエルの系図と、賛美を住まいとされる方」

2019年9月15日 

ヘブル人への手紙の結論では、「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえを絶えず神にささげようではありませんか」(13:15) と勧められていました。また詩篇22篇では、「あなたは 聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとされる方です」(3節)と告白されていました。

歴代誌の系図を読むイスラエルの民は、自分たちの歴史を振り返り、「初めの愛」に立ち返り、「どこから落ちたのかを思い起こす」ことができたのではないでしょうか (黙示2:4,5)。 “Ⅰ歴代誌4章24〜9章34節「イスラエルの系図と、賛美を住まいとされる方」” の続きを読む

Ⅰ歴代誌1章〜4章23節「ユダ族の系図とヤベツの祈り」

2019年9月8日 

本書はヘブル語聖書では旧約聖書の最後で、エズラ、ネヘミヤ記の続き的な意味で、ユダヤ教の伝承ではエズラが記したと解釈されてきました。ただ、現代はエズラの後の著者であるとの見方が多くなっています。

これが現在の聖書でサムエル記、列王記に続くのは、ギリシャ語七十人訳で「省略した記録」という名で呼ばれ、その二つの書を補完する意味が強いと解釈されたからです。全体的な意味からすると、バビロン捕囚後にイスラエルの民に対する神の特別な選びを意識させ、神の民としての誇りのうちに生きるように導く意図があったと思われます。旧約の総まとめ的な意味で読むことができます。 “Ⅰ歴代誌1章〜4章23節「ユダ族の系図とヤベツの祈り」” の続きを読む

ヘブル13章8節〜25節「イエスの辱めを身に負い、天の都を目指す」

2019年9月1日 

この日本の社会ではキリスト者はある程度の尊敬を受けられる可能性があります。私の学生時代の友人や職場の同僚も、私がキリスト教会の牧師であることを喜んでくれる人がほとんどです。それは明治以降の先輩クリスチャンや初期の宣教師たちの生き方が、評価されているおかげとも言えます。 “ヘブル13章8節〜25節「イエスの辱めを身に負い、天の都を目指す」” の続きを読む