Ⅰコリント15章1〜11節,20〜24節、58節「キリストの福音に生きる教会」

2019年10月06日(三十周年記念礼拝)

私たちの教会は、30年前の10月1日に、キリストの復活宣言とともに礼拝を始めました。世の多くの人々はイエスが私たちの罪の身代わりとして十字架で苦しまれたということを知っています。しかし、聖書では十字架と復活はセットになっており、十字架は勝利のシンボルでもあるのです。 “Ⅰコリント15章1〜11節,20〜24節、58節「キリストの福音に生きる教会」” の続きを読む

マタイ4章1〜11節「悪魔の誘惑の昔と今」

2019年9月29日 

私たちはこの世での生活で、いつも「どんな働きをしていますか?」(成功)、「どのように人から見られていますか?」(評判)、「どんな影響力を持っていますか?」(力)という観点から「自分が何者か」を意識しようとしてはいないでしょうか?

これらはすべてイエスが退けられた、パンや富を第一とする成功、神殿の頂から飛び降りるというパーフォーマンス、この世界を従えようとする権力の誘惑と結びついています。悪魔の誘惑は今も、いつも目の前にある現実です。 “マタイ4章1〜11節「悪魔の誘惑の昔と今」” の続きを読む

マタイ3章1〜17節「イエスが受けたバプテスマ」

2019年9月22日 

この世界には様々な矛盾がありますが、その真の原因を知る人は稀です。この世界では常に、一つの問題の解決が次の問題を生み出します。今から二千年前、イスラエルの民はローマ帝国の支配から解放されることを切望していましたが、それに対しバプテスマのヨハネは、ひたすら神の救いを待ち望み、神の前に遜るようにと訴えました。この約200年前にギリシャ人の王を打ち破ったユダヤ人は、独立王朝を築くものの百年も経たずに内紛で自滅していました。 “マタイ3章1〜17節「イエスが受けたバプテスマ」” の続きを読む

Ⅰ歴代誌4章24〜9章34節「イスラエルの系図と、賛美を住まいとされる方」

2019年9月15日 

ヘブル人への手紙の結論では、「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえを絶えず神にささげようではありませんか」(13:15) と勧められていました。また詩篇22篇では、「あなたは 聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとされる方です」(3節)と告白されていました。

歴代誌の系図を読むイスラエルの民は、自分たちの歴史を振り返り、「初めの愛」に立ち返り、「どこから落ちたのかを思い起こす」ことができたのではないでしょうか (黙示2:4,5)。 “Ⅰ歴代誌4章24〜9章34節「イスラエルの系図と、賛美を住まいとされる方」” の続きを読む

Ⅰ歴代誌1章〜4章23節「ユダ族の系図とヤベツの祈り」

2019年9月8日 

本書はヘブル語聖書では旧約聖書の最後で、エズラ、ネヘミヤ記の続き的な意味で、ユダヤ教の伝承ではエズラが記したと解釈されてきました。ただ、現代はエズラの後の著者であるとの見方が多くなっています。

これが現在の聖書でサムエル記、列王記に続くのは、ギリシャ語七十人訳で「省略した記録」という名で呼ばれ、その二つの書を補完する意味が強いと解釈されたからです。全体的な意味からすると、バビロン捕囚後にイスラエルの民に対する神の特別な選びを意識させ、神の民としての誇りのうちに生きるように導く意図があったと思われます。旧約の総まとめ的な意味で読むことができます。 “Ⅰ歴代誌1章〜4章23節「ユダ族の系図とヤベツの祈り」” の続きを読む

ヘブル13章8節〜25節「イエスの辱めを身に負い、天の都を目指す」

2019年9月1日 

この日本の社会ではキリスト者はある程度の尊敬を受けられる可能性があります。私の学生時代の友人や職場の同僚も、私がキリスト教会の牧師であることを喜んでくれる人がほとんどです。それは明治以降の先輩クリスチャンや初期の宣教師たちの生き方が、評価されているおかげとも言えます。 “ヘブル13章8節〜25節「イエスの辱めを身に負い、天の都を目指す」” の続きを読む

ヘブル12章25節〜13章8節「イエスに生かされる信仰」

2019年8月18日 

しばしば、「キリストを信じることによって救われる」と言われますが、それ以前に、「キリストの真実によって救われる」という面をもっと強調すべきではないでしょうか。なぜなら、私たちは心の奥底で、「自分で自分を信じられない」という面を持っているからです。

多くの人は、必死に真理を求めた結果として信じたというより、キリストの真実が迫ってきて、知らないうちにイエスを救い主と信じるように導かれていたのではないでしょうか。あなたの信仰以前に、イエスの真実があなたを導いているという原点に立ち返りましょう。 “ヘブル12章25節〜13章8節「イエスに生かされる信仰」” の続きを読む

詩篇144篇「すべてのことを主に祈ることができる幸い」

2019年8月11日 

日本人にとってのキリスト教信仰はときに「武士道」にとって代わるような、無私で高潔な生き方を教えるものと見られてきた傾向があるかもしれません。「敬虔なクリスチャン」という表現には、勝つか負けるかというこの世の競争社会を超越した、聖なる生き方をする人というイメージがあるかもしれません。 “詩篇144篇「すべてのことを主に祈ることができる幸い」” の続きを読む

ヘブル12章12〜24節「天のエルサレム市民として生き始める」

2019年8月4日 

共産主義の創始者マルクスは、「宗教は、悩める者のため息……人民のアヘンである。人民の幻想的なしあわせとしての宗教を廃棄することは、人民の現実的なしあわせを要求することである」と言いました。しかし、彼は、キリスト者こそが、平和を保ちながら、時間をかけて世界を変え続けてきたという歴史を見ようとしていませんでした。 “ヘブル12章12〜24節「天のエルサレム市民として生き始める」” の続きを読む