Ⅱ歴代誌34章8節~36章最後「新しい神殿での礼拝への道筋」

2020年6月21日

私たちは今、新型コロナウィルス感染対策のため、史上初めて礼拝に集まることが困難なばかりか、賛美の声を上げることができない特殊な時間を過ごしています。インターネットを通して、多くの名説教家のメッセージも聞くことができますが、聖書の基本は、一つの場所に集まり、ともに主をたたえ、みことばの朗読をともに聞くという交わりを築くことであることを忘れてはなりません。

歴代誌の最後がエルサレム神殿の再建を異教徒の王が命じるという話で終わることは驚くべきことです。そして、新約時代の教会の特徴とは何よりも主 (ヤハウェ) への礼拝が異邦人の間に広がることにあります。「教会はキリストのからだです」(エペソ1:23) と言われるように、この全世界的な礼拝共同体こそが新しい「神の宮」です。そして、私たちはここにおいて、モーセ以来の聖書を読み、ダビデの時代からの礼拝賛美をささげ、聖餐式を祝います。

1.『主 (ヤハウェ) の宮で律法の書を見つけました』

ヨシヤは、父のアモンが家来によって殺されたため、たった8歳で王として即位し、31年間王位にとどまります。彼は曽祖父のヒゼキヤにまさる敬虔な王で、「彼は主 (ヤハウェ) の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった」(34:2) と描かれます。彼は祖父マナセと父アモンが汚したエルサレム神殿の修理に力を注ぎます。

その際、王の命令を聞いて記す「書記」(34:15) であった「シャファン」(34:8) は、神殿修復に関する王の命令を伝え、実行させるために「大祭司ヒルキヤのもとに行き、神の宮に納められていた金を渡し」ます (34:9)。このお金は、ユダとベニヤミンばかりか、「マナセとエフライム、すべてのイスラエルの残りの者」(34:9) とあるように、もとの北王国の「残りの民からの献金が含まれていました。

その際、そのお金が工事の「監督者」にそのまま渡され、それがまた工事の実行者や大工にすぐに渡されて行きます。ここに工事に携わって大工たちを全面的に信頼しているという関係が見られることは大きな驚きです (34:10、11)。さらに、「この人々は忠実に仕事を行った。彼らの上には、メラリ族……ケハテ族(レビの氏族)が監督として任命された……みな、楽器を奏でるのが得意な者たちであったが、……各分野の仕事に当たるすべての職人たちの指揮も執った」と記されています (34:12、13)。

これは礼拝の核心部分で奉仕するレビ人自身が工事者たちを、礼拝を建て上げるという明確な目的に沿って職人や大工たちを指揮するということです。すべてが明確な目標のもとに現場中心に動いています。

最近、話題になっている持続化給付金の分配をめぐっての「中抜き」とは大違いです。残念ながら官僚組織の肥大化に伴い、公平性や透明性の名目のもとにペーパーワークがどんどん増え、現場を知らない人が権力を握るようになってきます。それはどの国でも歴史を重ねた官僚機構で起きる弊害です。

さらに残念ながら原発収束事業でも現場の危険の中で働く人よりも、現場を知らない人々が管理業務の名目で何層もの人々が利益を得ています。そして現場は、雇用契約の不安定な非正規労働者に任されます。

そしてその同じ「治世の第十八年」(紀元前622年、34:8) のことですが、「祭司ヒルキヤは、モーセを通して示された主 (ヤハウェ) 律法の書を見つけ……書記シャファンに知らせて (ヤハウェ) の宮で律法の書を見つけました」と言います (34:14、15)。この「律法(みおしえ)の書」という表現は特に申命記を指しているとも言われます (申命記28:61、29:21)。

ここには、それまで、この律法の書が祭司の間においてさえも読まれていなかったことが示唆されています。主はモーセの後継者ヨシュアに、「このみおしえ(律法)の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ……そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである」(ヨシュア1:8) と言っておられましたが、それと真逆の事態となっていたのです。

そして、「王は律法のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた」(34:19) と記されますが、これは特に申命記28、29章などにある、「のろいの誓い」(申命記29:12、14、19) の部分を読んだからだと思います。そこには、主の御声に背き続けるときに、「 (ヤハウェ) は遠く地の果てから一つの国を来させ、鷲が獲物に向かって舞い降りるように、あなたを襲わせる」(28:49) と、国の滅亡と住民の強制移住のことが警告されていました。

そして、ヨシヤがこれを読んだのは、紀元前625年にナボボラッサルがアッシリア軍を打ち破ってバビロンに入城し、新バビロニア帝国の樹立を宣言して間もなくの頃です。彼らはこのとき、北王国イスラエルの滅亡が、主の怒りの現れであると理解し、同じことがエルサレムにも起こると恐れたのです。

そこで王は、「行って、主 (ヤハウェ) を求めよ(主に尋ねよ)、私のため、イスラエルとユダの残りの者のために。主 (ヤハウェ) の憤りが激しいからだ、私たちの上に注がれたところの、私たちの先祖が主 (ヤハウェ) のことばを守らず、すべてこの書に記されているとおりに行わなかったために」(34:21) と命じます。

そこで女預言者フルダのもとに使者が遣わされ、彼女は、「 (ヤハウェ) はこう言われる。見よ。わたしはわざわいをもたらす、この場所とその住民の上に。その書物に記されているすべてののろいを……彼らはわたしを捨て、ほかの神々に犠牲を供え……わたしの怒りを引き起こした。わたしの憤りはこの場所に注がれ、消えることはない」(34:25) と宣告します。

ただ同時に、ヨシヤ王に対しては、「あなたは心を痛めて神の前にへりくだり……へりくだって自分の衣を引き裂き、わたしの前で泣いた」ので、彼が生きている間にその悲劇は起きないという保障を与えます (34:27、28)。

それを聞いたヨシヤは、国中の長老たちを集め、「契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせ……主 (ヤハウェ) の前に契約を結び、主 (ヤハウェ) に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証しと掟を守り、この書物に記されている契約のことばを行うことを誓った。王はエルサレムとベニヤミンにいるすべての者をこの契約に加わらせ」(34:30-32) ます。

契約の書の朗読をともに聞くことこそ私たちの礼拝の原点です。一人で学ぶのではなく、ともに同じみことばを聞きます。王はその後、あらゆる偶像礼拝の施設を排除し「イスラエルにいるすべての者を……主 (ヤハウェ) に仕えさせ」ます。そして、「彼の生きている間、彼らは……主 (ヤハウェ) に従う道から外れなかった」(34:33) と記されます。

2.「このような過越しが守られたことはなかった、預言者サムエルの時代以来」

35章1節は、「さて、ヨシヤはエルサレムで、主 (ヤハウェ) への過越しを守った。人々は第一の月の十四日に過越しのいけにえを屠った」と記されています。

新改訳では、最初の文章を「過越しのいけにえを献げた」と訳されますが、過越しの祭りの核心は、「いけにえを献げる」ことよりも、一度限りの出エジプトの際の主のみわざを「思い起こす」ことにあります。ですから、共同訳は「主の過越し祭を祝った」と訳しています。同時にここでは、それとセットで、「過越しのいけにえを屠った」という文章が続きます。

3節の「聖なる箱を、イスラエルの王ダビデの子ソロモンが建てた宮に据えなさい」の意味は良くわかりません。これは「十のことば」を記した二枚の石の板を納めた「契約の箱」のことですが、ダビデの時代には、運び方を誤ったため、ウザが打ち殺されるなどという悲劇につながったほどに、取り扱いが恐れられていたものです。

このときはまだ主 (ヤハウェ) の栄光はそこを去ってはいませんでしたから、移動することがあるとしたら、至聖所を特別にきよめる必要があって、一時的に移動したというような場合だけだと思われます。とにかく、この核心部分は「もはやあなたがたはそれを肩に担ぐことはない」ということばで、それほどに(ヤハウェ) の宮が完全に整えられたという意味だと思われます。

その上で、「今、あなたがたの神、主 (ヤハウェ) と、その民イスラエルに仕えなさい」と命じられます。これこそレビ人に与えられた使命です。

35章4、5節では、この書で繰り返されていたダビデが整えた礼拝の形を守ることの大切さが命じられます。

さらに6節では「過越しのいけにえを屠りなさい……モーセを通して示された主 (ヤハウェ) のことばのとおりに行いなさい」と、モーセの律法の原点に立ち返るように命じられます。

そして「ヨシヤは民の者たちに……子羊とやぎの子……三万匹、牛……三千頭」を「王の財産の中から」提供します (7節)。さらに「王の高官たちも……羊2600匹、牛300頭を与えた」、「レビ人の長たち」も「羊5,000匹、牛500頭を提供した」と記されます (8、9節)。

そして10-14節では、過越しのいけにえが……規定通りに屠られ、献げられ、配られ、食されたようすが描かれ、「アサフの子孫である歌い手たちは、ダビデ、アサフ、ヘマン、および王の先見者エドトンの命令のとおりにその役目に就いていた」(15節) と、聖歌隊の働きが特別に記されます。

35章16節は、「こうして、主 (ヤハウェ) への奉仕の用意はすべて整った、その日に。それは、過越しを守り、全焼のささげ物を主 (ヤハウェ) の祭壇で献げるためであった。それはヨシヤ王の命令のとおりであった」と記されています。ここでも「過越しを守る」ことと並行して、いけにえを屠り、献げることが描かれます。

35章18、19節は、「このような過越しが守られたことはなかった、預言者サムエルの時代以来。イスラエルのどの王も、ここでヨシヤが守ったような過越しを守ったことはなかった、祭司とレビ人、そこにいた全ユダとイスラエル、エルサレムの住民とともに。ヨシヤの治世の第18年に、この過越しが守られた」と記されます。

預言者サムエルの時代以降にイスラエルは王制になります。モーセやその後継者ヨシュアの時代は、荒野からイスラエルの地の征服の時代で余裕がありませんでしたから、この過越しの祭りの規模は、ダビデ、ソロモンを上回る史上最大の過越しの祭りとなったという意味です。

そしてⅡ列王記では、「ヨシヤのようにモーセのすべての律法に従って、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって (ヤハウェ) に立ち返った王は、彼より前にはいなかった……それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、主はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった」(23:25、26) と記されます。

それは主の怒りが、これまで積み重ねられた結果です。それはまもなく起こるバビロン捕囚を示唆します。ヨシヤの悔い改めは、ヨシヤ一代の王国を繁栄させることにしか役立ちませんでした。それは先に述べた「のろいの誓い」(申命記29:12、14、19) が変えられないからです。

しかし、イエスは、ヨシヤの宗教改革によってさえ変えられなかった流れを変えてくださいました。そのことをパウロはガラテヤ人への手紙3章13、14節で、「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです。それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためでした」と記しています。

これは人間には理解し難い神秘です。しかし、イエスにすがるすべての者の上を、神の怒りが過ぎ越すことの保障です。

ヨシヤが祝った「過越しの祭り」はユダヤ人の最大の祭りで、現代の聖餐式につながっています。そこで私たちは一つのパンを裂き、一つの杯からともに飲むという神の民としての交わりを築いて行きます。

3.エジプトの王ネコを通して主は語られ、ペルシャの王を用いて宮を再建する

イスラエル、ユダ王国を通して、神への真実さにおいてダビデに次ぐのがヨシヤでした。ただその最後は空しい悲劇です。紀元前609年、エジプトの王ネコは滅亡直前のアッシリア帝国を支えて新興国バビロンと戦うためユーフラテス河畔のカルケミッシュに向かいます (35:20)。その途上、イスラエル領土を通過せざるを得ませんが、ヨシヤはネコの通過を阻もうと出陣します。

それに対して、ヨシヤとの無駄な戦いを避けようとするネコは、「今日は、あなたを攻めに来たのではない。私が戦っている王家に向かって行くところなのだ。神は、早く行くように命じておられる。私とともにおられる神に逆らうことはやめよ。さもなければ、神があなたを滅ぼされる」(35:21) と警告します。

そして、これは「神の御口から出たネコのことば」(35:22) と描かれます。神は、異教徒の王の口を通してさえ、ご自身のみこころを知らせることができます。

ヨシヤは、エルサレムから百キロも北のイズレエル平原の町メギドでネコを迎え撃とうとします。しかし、戦力の圧倒的な劣勢の中、彼は戦死します。このとき既にアッシリアの首都ニネベは陥落していました。彼はバビロンの勢力拡大を恐れるべきでしたが、それが見えていませんでした。

ヨシヤはアッシリアの滅亡ばかりを願い過ぎて、アッシリアを支えようとするエジプトを敵に回してしまいました。アッシリア、バビロン、エジプトなど大国間の勢力争いには関与すべきではありませんでした。

戦う必然性がないのにも関わらず勝ち目のない戦いになぜ挑んだのか、後代の歴史家は首を傾げます。それはヨシヤが「信仰の落とし穴」に落ちたとも言えましょう。彼は自分が主 (ヤハウェ) に熱心であることを自負していました。そのような人は、しばしば、自分の心の思いを神のみこころと誤解します。

神はときに、神の民の敵と思われる人の口を通しても語ってくださいます。その意味で、自分を正当化する自己義認こそ信仰の落とし穴でしょう。

35章24、25節は、全ユダとエルサレムがヨシヤの死を悼み悲しむようす、また預言者エレミヤが彼のために哀歌を作ったことが記されますが、それは聖書のどこにも残されていません。ただ、歴代誌が記された時代までヨシヤのことを思い起こす哀歌が歌われ続けていたと、彼の栄誉が描かれています。

その後、ヨシヤの子のエホアハズが王位を継ぎますが、三ヵ月後にエジプトの王ネコに捕らえられてエジプトに連行されます。ネコはもう一人のヨシヤの子エルヤキム(神は確立した)の名をエホヤキム(ヤハウエは確立した)に改めさせ、傀儡政権とします。

しかしその後、エルサレムはバビロン帝国の支配下に置かれますが、本書ではそれらのプロセスが省かれ、36章5節では「エホヤキムは25歳で王となり、エルサレムで11年間王であった。彼は自分の神、主 (ヤハウェ) の前に悪であることを行った」とのみ記されます。

この間、預言者エレミヤは、主がバビロンを用いてエルサレムをさばこうとしていると語り続け、反逆などを考えずに、主に立ち返ることを第一にするように勧め続けます。しかし、エホヤキムの反逆を知ったネブカドネツァルはエルサレムを攻撃し、エホヤキムを青銅の足かせにつなぎ、バビロンに引いて行きます (36:6)。

その後、その子のエホヤキンは「18歳で王となり、エルサレムで三カ月と十日の間、王であった。彼は主 (ヤハウェ) の目に悪であることを行った。年が改まると、ネブカドネツァル王は使者を遣わして、主 (ヤハウェ) の宮にあった尊い器とともに彼をバビロンに連れて行った」(36:9、10) と描かれ、単にエホヤキンは主に対する罪のゆえに、捕囚とされたという面だけが強調されます。

しかし列王記の最後では、彼は捕囚の37年目にバビロンで釈放され、王宮で厚遇されたと記されます。彼の名はイエス誕生の系図にエコニヤとして残されます (マタイ1:12)。彼はバビロンと戦おうとせず、すぐに降参したのが良かったのだと思われます。

そして、バビロンの王ネブカドネツァルは21歳のエホヤキンのおじゼデキヤを王に立てます (36:11)。彼は11年間王位に留まりましたが、「その神、主 (ヤハウェ) の目に悪であることを行い、主 (ヤハウェ) のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった」(36:12) と描かれます。それはエジプトの助けを得て国の独立を保とうとする偽預言者たちのことばに従ったためです。

このことがここでは、「彼はまた、彼に神にかけて誓わせたネブカドネツァル王に反逆した。彼はうなじを固くし、心を閉ざして、イスラエルの神、主 (ヤハウェ) に立ち返らなかった」(36:13) と記されます。その不信仰な態度は、「祭司長全員と民」に及んでいました (36:14)。

さらに15、16節では、主 (ヤハウェ) は「ご自分の民と、ご自分の住まいをあわれまれた」ので何度もご自身の使者としての預言者を遣わしますが、民は「その預言者たちを笑いものにしたので、ついに主 (ヤハウェ) の激しい憤りが民に対して燃え上がり、もはや癒されることがないまでになった」と描かれます。

36章17-20節では 主の憤りの結果が、「主は、彼らのもとにカルデア人の王を攻め上らせた。彼は、聖所の中で若い男たちを剣で殺し、若い男も若い女も、年寄りも弱い者も容赦しなかった。主は、すべてのものを彼の手に渡された……神の宮は焼かれ、エルサレムの城壁は打ち壊され……その中の宝としていた器も一つ残らず破壊された。彼は、剣を逃れた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移し」と描かれます。

これが紀元前586年のエルサレの崩壊と民のバビロン捕囚です。しかも、この理由が「これは、エレミヤによって告げられた主 (ヤハウェ) のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た」(36:21) と記されます。

これはエレミヤ25章11節などの預言を指しますが、それ以前にレビ記26章では、神の命令に背くことへのさばきとして町々が廃墟とされると記されると同時に、「地は、荒れ果てている間、休むことができる。それは、あなたがたがそこに住んでいたとき、あなたがたの安息のときには得られなかったものである」(35節) と記されます。

これはたとえば、七年に一度の安息年、五十年に一度のヨベルの年の安息規定を守らなかったことに対する神のさばきですが、それは同時に「地が安息を取り戻すため」という前向きの理由があるというのです。

最後の36章22、23節では、ペルシャの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主 (ヤハウェ) のことばが成就するために、主 (ヤハウェ) は……キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し……『天の神、主 (ヤハウェ) は……エルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された」と述べながら、エルサレム神殿の再建のために主の民を動かします。

エレミヤ29章11節にはこの七十年の捕囚の意味が、「それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」と記されています。バビロン捕囚を通してイスラエルの民は二度と偶像礼拝に走らない民とされ、現在の旧約聖書の形がまとめられ、それがイエス・キリストの出現につながります。

イエスはエルサレム神殿を指して、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」(ヨハネ2:19) と言われましたが、今、この全世界に広がる教会が新しい「キリストからだ」としての神殿となっています

多くの人々はマラキ書が旧約聖書の最後だと思っていますが、もとのヘブル語聖書の順番では歴代誌が最後です。時代的にもマラキ書は紀元前460年ごろ、歴代誌は第一3章17-24節の系図からすると紀元前400年以降であると推測されます。

歴代誌の最後の「ペルシャの王キュロス」はイザヤ45章1節では「油注がれた者キュロス」と、メシヤ(キリスト)と描かれています。それに対し、新約では「ダビデの子」としてのキリストが登場します。大切なのは、主 (ヤハウェ) ご自身が歴史の支配者であるという告白です。

歴代誌では神殿建設以上にダビデが整えたレビ人による礼拝形式、賛美を中心とした礼拝が描かれ、ヨシヤの宗教改革でも失われていた律法の書の発見がテーマになっています。そして、新約に受け継がれている資産こそ、この聖書朗読と礼拝賛美です。

イスラエルの民はバビロン捕囚を通して、神の民として整えられ、それは誤った律法主義という極端にぶれたところがありますが、聖書の伝統を守る民として今も健在なユダヤ人の信仰共同体を生み出しました。本来、キリスト教会はそのユダヤ人と異邦人からなる神の民として始められました。私たちキリスト教会こそ歴代誌の礼拝を受け継ぐ民なのです。