私たちが憧れる指導者の姿は、自分の信念を生涯貫くことができる人かもしれませんが、しばしば、それが人の話を聞くことができない頑固さになって、不幸な老年を迎える場合もあります。その反対に、いつでも身近な人との人間関係を大切にし、ときにはとんでもない悪人に振り回されながら、同時に、信頼できる人も周りにいるおかげで、倒れそうで倒れない柔軟な指導者を見ることができます。 “Ⅱ歴代誌16章~19章「主(ヤハウェ)を恐れる交わりの回復力」” の続きを読む
マタイ8章1〜17節「イエスの癒しの権威は、十字架につながる」
今年の受難節は2月26日の灰の水曜日から始まっています。2月26日と言えば、84年前1936年の二・二六事件を思い出します。そこから日本は後戻りのできない絶望的な戦争モードに入って行きました。
今年の2月26日は新型コロナウィルスに対する政府の声明が発表され、二週間にわたっての大規模イベントの自粛要請がなされ、そこから急速に全国の雰囲気が変わって行きました。もちろん、私たちは自分たちがウイルスを引き受けて、知らない間に、身体の弱い人にうつしてしまうようなことがあってはなりませんから、その対策に万全を期する必要があります。しかし、活動自粛ばかりが叫ばれる中で、今、私たちができることは何なのかを忘れてはなりません。 “マタイ8章1〜17節「イエスの癒しの権威は、十字架につながる」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌11章18節〜15章「私が主 (ヤハウェ) を求めると、主は答えてくださった」
信仰はすべて創造主ご自身の「選び」から始まり、私たちには既に「永遠のいのち」が与えられています。これは、来たるべき「新しい天と新しい地」の「いのち」であって、失われることがないはずです。しかし、今回の箇所では、「あなたがたが主 (ヤハウェ) を捨てるなら、主もあなたがたを捨てる」という趣旨のことばが繰り返されます (12:5、13:10、11、15:2)。 “Ⅱ歴代誌11章18節〜15章「私が主 (ヤハウェ) を求めると、主は答えてくださった」” の続きを読む
マタイ7章13〜29節「いのちを生み、教会を建てた教え」
イエスの山上の説教は世界を変えた教えです。これほど人々の心を動かした教えはありません。ただ同時に、様々な誤解もあります。
イエスの教えは、旧約の律法を否定したものではなく、そこに新しいいのちを与え、イスラエル民族のための律法を、全世界の民のための愛の教えへと変えました。しかも、イエスの教えはイエスご自身の聖霊の働きなしには全うできません。そこにキリストの教会の誕生もあります。 “マタイ7章13〜29節「いのちを生み、教会を建てた教え」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌8章〜11章17節「ソロモンに現れた神の国の栄光とその限界」
多くの日本人はソロモンの栄華の記事を読みながら、平家物語の有名な始まり、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」を思い起こすかもしれません。 “Ⅱ歴代誌8章〜11章17節「ソロモンに現れた神の国の栄光とその限界」” の続きを読む
Ⅱコリント5章11〜21節「見よ。全てが新しくなった」(早矢仕宗伯先生)
マタイ7章1〜12節「愛への渇きから愛の連鎖へ」
私たちはみな心の底に、「愛への渇き」を持っています。そこから、人々の愛になさに失望して互いに非難し合うという連鎖になるのか、反対に、アダムの罪の原点に立ち返ってイエスの生き方に倣い、主の御父に「お父様!」とすがることができる自由を味わい、愛の交わりを広げることもできます。 “マタイ7章1〜12節「愛への渇きから愛の連鎖へ」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌5〜7章「主 (ヤハウェ) の栄光が主 (ヤハウェ) の宮に満ちるために」
あなたの心の願いは何でしょう。ダビデの何よりの願いは、「いのちの日の限り、主 (ヤハウェ) の家に住み。主 (ヤハウェ) の麗しさを見つめ、その宮で、深く静まること」でした (詩篇27:4私訳)。彼はそのために神殿を建てようとしたのではないでしょうか。 “Ⅱ歴代誌5〜7章「主 (ヤハウェ) の栄光が主 (ヤハウェ) の宮に満ちるために」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌1〜4章「あらゆる民の祈りの家となるべき神殿建設」
私たちは何のために、三千年前のエルサレム神殿のことを学ぶ必要があるのでしょう。モーセが建てた幕屋も、ソロモンが建てた神殿も、「天にあるものの写しと影」(ヘブル8:5) であると記されていますが、私たちは「本物の模型」(同9:24) を知って初めて天の本物を思い浮かべることができます。 “Ⅱ歴代誌1〜4章「あらゆる民の祈りの家となるべき神殿建設」” の続きを読む