昨年は日本での未成年女性自殺者数が前年比で44%も増加し95人になったということが話題になりました。日本の自殺者数は昨年21,081で、新型コロナの累積死者数8,700人を大きく超えています。特に20代の自殺者数が前年比19.1%、10代の自殺者数前年比17.1%も増えています。 “マタイ15章29-39節「イエスのあわれみが生み出す大変革」” の続きを読む
ヨブ記18、19章「私自身の目がこの方を見る」
市場経済の世界では、人の価値はしばしば、その生産能力で測られがちです。成功しているうちは人々が擦り寄ってきますが、立場を失うと周りの人から見向きもされなくなることがあります。お金持ちの方々も、周りの人々が自分を評価してではなく、自分のお金を求めて近づいてくることに疑心暗鬼になりがちだとも言われます。 “ヨブ記18、19章「私自身の目がこの方を見る」” の続きを読む
マタイ15章21〜28節「ダビデの子に救いを求めたカナン人の女」
閉塞感ということばが流行って久しくたっていますが、東日本大震災も新型コロナ蔓延も、逆説的な意味で、日本がその閉塞感の呪縛から解放される契機にもなるのではないでしょうか。
キルケゴールが言っているように、「絶望できるとは、無限の長所」であるけれども、同時に「絶望は、罪」です。なぜなら、「罪」とは「不信仰」に他ならないからです。 “マタイ15章21〜28節「ダビデの子に救いを求めたカナン人の女」” の続きを読む
ヨブ記15〜17章「ヨブが憧れたとりなし手とは」
私たちは小さいころから、「誠実さは報われる」と教わっています。ですから、「道徳と経営は合一すべきである」と説いた渋沢栄一の物語などが励ましになります。それを単なる理想と斜に構えていては人生の喜びを失います。 “ヨブ記15〜17章「ヨブが憧れたとりなし手とは」” の続きを読む
マタイ15章1〜20節「口に入る物より、心から出るものが人を汚す」
イエスは、「口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、それが人を汚す」と、不思議なことを言われました。それを聞いたある人が冗談に、「クリスチャンは、酒は良いけど、タバコはだめなのですね。だって、酒は口から入るけど、タバコの煙は口から出るから……」と言いました。 “マタイ15章1〜20節「口に入る物より、心から出るものが人を汚す」” の続きを読む
ヨブ記11〜14章「人は死ぬと、また生きるでしょうか?」
今から四、五十年前、欧米に行った人は、町の中に何らかの障害を持つ方が多いことに驚きました。ただ、日本でそのような方が少なく見えたのは、その存在を家族が恥じて、家の外に出さない結果だったと言われます。 “ヨブ記11〜14章「人は死ぬと、また生きるでしょうか?」 ” の続きを読む
マタイ14章22〜36節「それでも、湖の上を歩いてイエスに近づいてみたい」
国連難民高等弁務官として活躍し、日本のマザーテレサとも呼ばれた緒方貞子さんは外務大臣に推薦されたことに関して、「外務省の仕事っていうのは、細かくきちっとあげないと成り立たない。冒険ダン吉の世界じゃない。私には向いてないということは知っていましたよ」と言ったとのことです。 “マタイ14章22〜36節「それでも、湖の上を歩いてイエスに近づいてみたい」 ” の続きを読む
ヨブ記8〜10章「理性で把握できない神との対話に生きる」
第二次大戦中の英国を導いたチャーチル首相の息子ランドルフは友達と、「二週間で聖書を全部読むことができるか」という賭けに挑みました。聖書をそれまで一節も読んだことがなかった彼は恐ろしく興奮し、友に向かって、「君たちはきっと、こんなことが聖書に出てくるなんて知らなかったはずだ」と言いながら、わき腹を叩いて、「神様、あなたはくそじゃないか」と笑ったとのことです。 “ヨブ記8〜10章「理性で把握できない神との対話に生きる」” の続きを読む
マタイ14章13〜21節「主は羊飼いのようにその群れを飼う」
2021年1月24日
イエスは四十日間の断食の後、石をパンに変えるようにという悪魔の誘惑に対し、「人はパンだけで生きるのではない」(マタイ4:4) と言われましたが、これほど誤解されているみことばもありません。 “マタイ14章13〜21節「主は羊飼いのようにその群れを飼う」” の続きを読む
ヨブ記4〜7章「抽象的な正論を言われることの切なさ」
ある人が最愛の人を失った時に、友人のクリスチャンから「神がすべてのことを働かせて益にしてくださる」(ローマ8:28、新改訳第三版) と言われ、無性に腹が立って、そのみことばが大嫌いになったという話を聞いたことがあります。 “ヨブ記4〜7章「抽象的な正論を言われることの切なさ」” の続きを読む